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農文協トップ主張 2004年5月号

「国連・持続可能な開発のための教育の10年」への農文協の考え

目次
◆自然と人間が調和する社会の「開発」は、人類の基本課題
◆都市空間主導の時代から、農村空間主導の時代へ
◆情報革命の時代に進む「生消一体」の経済
◆農村の情報利用能力の高まりが、都市空間をリードする
◆人口の逆流こそ「持続可能な開発」の基本
◆「校区」コミュニティの再興から農都両棲社会へ

 2002年12月、国連は「持続可能な開発のための教育」(ESD)を決議し、2005年から10年間、持続可能な社会をつくるための教育運動が、世界各国で取り組まれることになった。昨年6月には、ESDの日本における推進協議会(ESD―J)が発足、食農教育を推進してきた農文協はこの協議会に積極的に参加し、農文協発行「農村文化運動」172号(本年3月発行)では、協議会を担う方々の「私はこう考える」を特集している。農文協・坂本尚専務理事もこれに寄稿しており、この一文を国際的な教育運動に対する「農文協の考え」として、本誌読者にも読んでいただきたく、「主張」として再録することにした(スペースの関係で一部改変)。

自然と人間が調和する社会の「開発」は、人類の基本課題

 1972年6月5日「オンリー・ワン・アース」をテーマに掲げた「国連主催・人間環境会議」が、スウェーデンの首都ストックホルムで開かれた。世界112カ国から1200人の政府代表が参加し、12日間にわたる会議で、よりよい環境をつくりあげるためには、各国政府の国際的な協力が必要であることを確認し、「人間環境宣言」を採択して閉会した。

 20世紀は人類がかつてない豊かさを追求し、それを享受した時代であった。豊かさを支えたのは、技術革新による開発であり、大量生産・大量消費・大量廃棄による豊かさであった。その開発による豊かさの実現によって地球環境の破壊、資源の枯渇を招き、いまや破綻の淵に直面している。これまで部分的問題としてしか問題にされなかった自然破壊=「自然と人間の敵対矛盾」関係が人類史の基本問題となる時代に入ったのである。

 人間と人間の社会的関係=階級関係が基本問題であった時代が終わって、人間と自然の関係、生産力の発展の仕方を選択することが人間の基本問題の時代に入った。自然と人間が調和する社会を「開発する」ことが人類の課題となる時代に入ったのである。

 「階級闘争」では社会変革の主導力は労働者階級であった。しかし、「自然と人間の調和」する社会の実現の運動の主導力に労働者階級はなりえない。労働者階級は、自然と人間が隔てられた「疎外された労働」を担ってきたからである。自然に対して働きかけ、働きかけかえされる労働を担ってきたのは農民である。農民は土に働きかけ、その土の要求に応じて耕作してきた。作物と土地の要求に応えた労働が農耕労働なのである。表徴的にいえば、「この枝を切ってくれ」と樹が言うから剪定する。それが「剪定」という労働なのである。耕地だけでない。周囲の森も林も、山も川も含めて、地域自然の全体を活かして暮らしをつくる「労働」をしてきたのが農家なのである。それが、「農業の近代化」と称する「農業の工業化」ともいうべき、機械と化学肥料、農薬による大量生産・大量販売方式の農耕によって、農家も、自然破壊の一部を担う段階に入ったのが、日本でいえば1960年代である。

 「持続可能な開発」(SD)のベースは農村である。暮らしをつくる農家労働への回帰こそ、「SD」の基本である。

都市空間主導の時代から、農村空間主導の時代へ

 労働者階級には地区はあるが、地域はない。農民には地域がある。自然と人間が調和する社会は、農民が主導する農村空間である。この空間は歴史的に形成されてきた生命をベースにした空間である。西田哲学の用語を利用して、主客統一の「歴史的生命空間」と呼ぼう。自然科学的に同一な地域空間でも、そこに住んでいる人間の歴史によって異なる地域空間ができ上がる。社会が自然に働きかけ、自然が社会(人間)に働きかけかえす。その相互関係が「歴史的生命空間」、すなわち地域を創り上げる。

 それに対して都市には地域がない。無機物によって自然をつくりかえた人為的無生命空間である都市には、自然に働きかけ、働きかけかえされる関係がない。農業革命によって食物に余裕ができたときから、人間は自然を人為的につくりかえた都市をもつようになった。人類の歴史は都市文明を農村にひろげ、都市をより住みよい便利な空間とし、都市が農村をリードしてきた歴史である。農村は都市の影響によって進歩し発展してきた。その結果が、環境破壊であり資源の浪費である。

 持続可能な未来は、自然と人間が調和した社会の実現でなければならない。都市空間主導の人類史を、農村空間主導に変革することこそ、「持続可能な開発」なのである。

 農民が都市民の意識変革をするという人類史はじまって以来初めての運動が、すでに30年前から有機農業研究会によってはじめられている。1971年の有機農研「結成趣意書」に「食生活の健全化についての消費者の自覚にもとづく態度の改善が望まれる。そのためにも、まず食物の生産者である農業者が、自らの農法を改善しながら、消費者にその覚醒を呼びかけることが何よりも必要である」とある(傍点は筆者)。人類史上初めて、農村の農民が都市の市民を「覚醒」させる「文化運動」が宣言されたのである。

 有機農研の創立者である一楽照雄は、「提携」と「産直」のちがいをこう述べている。「『産直』というのは商品交換における合理化だ。つまり、農家は高く売りたい、消費者は安く買いたい。中間マージンがあるわけだから、両方にわけて、生産者には高く、消費者には安く――そんなものは流通の合理化であって、提携でも何でもない。『提携』というのは都市民の食意識の変革をすすめることである。お互いに交流によって話し合いをすすめ、都市民が援農をしたり、更には農村に長期滞在、居住したりするところまで進む人も出てくる。都市民と農民の『提携』をすすめることが、『有機農業研究会』の『有機農業運動』だ」

 世界の有機農研は、有機農産物であることを「認証」によって区別して市場流通させているから、「産直」も「提携」もない。ところが最近、ヨーロッパの有機農業研究会の一部が「テーケイ」というカタカナの日本語をそのままつかって、「提携」を始めるところが出てきた。農業での「持続可能な開発」の一つの流れが「有機農業運動」であり、日本有機農研は30年前から「持続可能な開発のための教育」(ESD)の運動を意識せずに実行しているのである。

 農村の「歴史的生命空間」が、都市空間をリードする時代が21世紀である。

情報革命の時代に進む「生消一体」の経済

 現在、われわれは、人類史の第三の分岐点にいる。最初の分岐点は「農業」革命であった。農業革命によって食べることに余裕ができ、都市がつくられた。都市の時代に入った。第二の分岐点は「産業」革命である。産業革命は人間の生活を豊かにし、便利にし、大都市が農村をリードして農村から都市への人口の移動を生み、やがて、世界の画一化を導き、自然と人間の敵対矛盾関係の時代、環境破壊・資源の枯渇の時代を迎えた。そして今、第三の分岐点、「情報」革命の時代に入った。情報革命とは情報テクノロジーの革命であるが、それは「情報による」革命をもたらす。「農業」による革命、「産業」による革命と同じように、「情報」による革命なのである。

 人類史の三つの分岐点は、物事の大きな転換だけでなく、「考え方」の大きな転換点であった。産業革命以降は、主客分離の科学的思想方法論の時代である。世界普遍の真理の時代であるから、地域を重んじる地域の時代からグローバリズムの時代に時代思潮は転換した。力の支配、権力によって世界秩序を確立してゆく方向、経済合理主義によって経済を発展させ、国境をこえたグローバルな世界にしてゆく時代である。一方では国家権力を奪取して、権力により、平等な搾取なき社会をつくろうとする時代である。

 それに対して、「情報」革命の時代は、主客非分離の方向へ転換する時代である。主客非分離の方向は、価値の多様化に向かう地域経済、あるいは生活経済形成の流れである。「食」においての「地産地消」がそうであり、「住」でも、それぞれの地域を活かして個性ある建築物をつくるという建築家の動きがある(典型的にはOMグループの「近くの山の木で家をつくる運動宣言」)。

 前者、グローバル化の流れは主客分離の市場が成立する経済、後者は主客非分離の市場が形成される生消一体の経済、地域を活かす経済である。

 「生消一体」の経済、地域を活かす経済というのは、本来の―近代化路線以前の―農村経済である。農村経済は、地域の自然経済を土台にしていた。食べものだけでなく、住む家も、燃料も、灯火も「自給」でまかなう経済であった。有機農研のいう「提携」は、消費者に代わって「自給農産物」をつくってあげることである。「自給」の「社会化」という、「社会化」しないから「自給」なのに、それを一つにした、矛盾を内にふくむ、新しい段階の「自給」なのである。今日的にいえば、風車発電にしろ、ソーラーシステムにしろ、家畜糞尿を活用したメタンガス発生装置にしろ、エネルギーを含めて、地域自給をめざす時代である。

 歴史的生命空間である農村に住む人がふえることによって、自然と調和した高度な文明的生活を、自然を活かして実現できる可能性は農村にある。

農村の情報利用能力の高まりが、都市空間をリードする

 電子段階の情報は、自然と人間が調和する革命を実現するうえでの決定的条件である。農村空間に最も適性がある情報メディアが電子メディアなのである。

 電子メディアの特性として、メンテナンス性、検索性、インタラクティビティ、オンデマンド編集性がある。しかも、映像、音声、文字など何でも扱うことができる。

 農業ほど、自分たちの生産にあうように検索されたデータが必要な産業はない。農村はそれぞれ違うから、自分たちの生産にあうように検索されたデータが必要だ。農業の営みは、隣りとも違うのだ。技術も資材もどんどん変わっていくので、データのメンテナンスも必須である。

 そのうえ、オンデマンド編集。自分にあった情報だけを集めて編集できる。それぞれが、それぞれに必要なデータを編集して独自情報をもつことが農業では不可欠だ。

 さらに、インタラクティビティがある。自分が受信し、自分が発信できる。自分と同じ条件の仲間に発信して意見を交換することができる。受信した情報に、自分の文章や画像データを組み合わせることで、「自分の本」がつくれる。

 新しい革命は、まず情報の利用において、農村が都市より優れているという条件があって可能だ。その可能性はきわめて高い。これを市町村や農協がバックアップする。

 今日は、農業が工業の真似をするのではなく、工業が農業の真似をする時代である。一番端末の道具機がコンピュータ化しているから、いろんな種類の衣料とか、いろんな種類の加工食品をつくれる。工業の分野でも、個別化、差別化がどんどんすすんでいる。その尖端を行っているのが農村だ。農村でやっている手法を、工業がいま取り入れている。「持続可能な開発」(SD)は農業の工業化ではなく、「工業の農業化」で実現できる。

人口の逆流こそ「持続可能な開発」の基本

 「持続可能な開発」は農村から都市への人口移動ではなく、都市から農村への人口の移動によって実現できる。都市への異常な人口の集中と農山漁村の過疎―この人口の二極分化こそ、「持続可能な社会」を、自然と人間の敵対矛盾の社会に変化させてきたのである。

 兵庫県八千代町は京阪神から車で一時間半ほどのところに位置し、人口6300人の農村である。この町に、滞在型市民農園がつくられ、役場による「農都交流事業」がはじまったのは、平成五年のことだった。

 町は、町おこし事業として、農園付きのコテージ60棟から成る「フロイデン八千代」をつくった。年間27万6000円の利用料で自分のコテージをもち、農業を楽しむ。初年目1362件の応募があり、いまも200組以上の人々が空きが出るのを待っている。多くの入居者は週末にきて宿泊し、農業を楽しむ。ほとんど毎日利用している定年退職者もいる。コテージの農園だけでは飽きたらず、減反田を借り受けて農業をはじめる人も出てきた。

 農園のある俵田集落は五八戸、ここに60組の市民農園ができ、「むら」の「人口」は二倍以上になった。統計上はふえたことにはなっていない。しかし、コテージの利用者は、毎月のように行なわれる行事やイベントにも参加している。1月のご来光登山、3月の初午、8月のお弥勒さん、盆踊り、霧月祭りなど、これに部落と入居者の共催企画、4月末のレンゲ祭り、6月のホタル鑑賞会、そして入居者が集落の住民へのお礼として開催する収穫祭もある。俵田集落の事実上の人口は2倍にふえていることになる。

 このふえ方の特徴は、「農都両棲」の住まい方にある。週末の農業を楽しむ人も、定年後の農耕を楽しむ人も、都市と農村の両方にまたがって生きている。人により比重の違いがあるにしても、農都両棲の新しい生活スタイルが生まれている。大量生産・大量消費の画一的なモノの豊かさから、地域の豊かさと都市の豊かさの両方をすべての国民が享受できる農都両棲の時代に入っているのである。

 考えてみれば、日本人は盆暮は故郷に帰る「帰郷」が習慣化している国民である。故郷は遠くても近い。「農都両棲」の国民なのである。この「帰郷」の習慣は隣国中国でも同じだ。アジア全体の一年の暮らし方の伝統なのである。都市から農村への人口の逆流こそ、「持続可能な開発」の基本路線である。その根本に「小学校」を置く。

「校区」コミュニティの再興から農都両棲社会へ

 日本近代化の礎石は「小学校」である。明治5年(1872年)に公布された「学制」によって、小学校はつくられた。明治6年には1万2558校、明治8年には2万4303校。現在の日本の小学校数は2万106校であるから、そのすさまじさに驚く。短期間にこれほど多数の小学校が設置されたのは、われわれのご先祖様、“むらびと”の力による。藩政時代には集落が生産と生活の自給自足的自治機能を確立していた。「学制」によってつくられた学校は、集落が力をあわせてつくったのである。

 都市人口の大部分は農村の出身である。大部分の都会人は農村の小学校を出ている。6年間学びと遊びをともにした「懐かしい友」という「精神的文化」を共有している仲間が、農村と都市に同窓生として存在しているのである。

 かつて農村青年は都市に憧れていた。当世、都市に住むかつての農村青年も、現代の青年も農村に憧れだしている。政府は内閣官房副長官を主査とし、総務・文科・厚生労働・農水・経済産業・国土交通・環境の副大臣を構成員として、「都市と農山漁村の共生・対流に関するプロジェクトチーム」をつくり、「オーライ! ニッポン」を組織した。また、労働組合の連合はJA全中や日生協などとともに、NPO「100万人のふるさと回帰支援センター」を発足させた。

 農村のコミュニティの基本であった「むら」は、力を弱めている。一方、市町村は合併が推進され、コミュニティの機能を失った。「小学校区」に新しい21世紀の“むら”をつくらねばならない。「校区コミュニティ」である。小学校の「総合的な学習の時間」は、校区コミュニティ形成の有力な足がかりになる。「総合的な学習の時間」は、「地域」の勉強ができる時間だ。地域住民が社会人先生として教えることもできる。「総合的な学習の時間」でパソコンの勉強もしている。全国の小中学校すべてに、全児童が使用できるパソコンが設置され、学校がホームページをもち、校区の父母にむけて学校情報を発信する日は近い。

 さらに、同窓会がホームページを立ち上げ、全国の同窓生にむけて懐かしい学校の情報を発信し、卒業期生ごとに同窓生の情報を発信することもできる。「懐かしい友」との電子での面談、校区の昔仲間との交流、郷土を共有する友へ、産直の農産物を届ける。さらに同窓生に「別宅」を建てる援助をする。50歳をすぎたら、ふるさとに「別宅」を建て、休日は「別宅」で暮らし、定年になったらマンションを息子に譲り、一室だけを自分の室として確保し、「別宅」に住んでもたまには都会に残した自分の部屋に泊まり、スポーツ観戦、観劇、美術館・展覧会めぐりをする。奥さんのふるさとに「別宅」を建てるのも大いによい。

 高度経済成長期の都市への人口移動と同じように、農村への人口移動を組織する。「持続可能な開発のための教育」(ESD)は、「働きかけ、働きかけかえされる」という自分自身が入った学習、「歴史的生命空間」を成り立たせてきた主客非分離の教育である。この教育が進むことによって、「持続可能な社会」は創られる。

(農文協論説委員会)

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