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農文協トップ主張 2001年1月号

「戦争と革命」の世紀から、
「文明によって文化をつくる」世紀へ

教育改革とIT革命による社会変革

目次
◆戦争と革命 ――二十世紀の高度経済成長を可能にしたもの
◆人類史の新段階 ――自然と人間の敵対矛盾の克服
◆農村空間 ――歴史的生命空間としての地域
◆食農教育 ――自然と人間の調和にむけた最大の文化運動
◆農都両棲 ――新しい生活習慣の形成
◆IT革命 ――パソコン=「情報編集機」は農家のためにある
◆文化としての農業 ――そこには輸入農産物で実現できない価値がある

戦争と革命
 ――20世紀の高度経済成長を可能にしたもの

 20世紀は「文明」による高度経済成長の世紀であった。そして、高度経済成長は、資本主義的生産関係を植民地を含めて世界中に拡げ、貧富の差を大きく拡げた。かくして高度経済成長の世紀は「戦争と革命」の世紀となった。

 日本は、まさにその戦争のチャンピオンともいうべき存在であった。20世紀の前半世紀は、日本にとって戦争の連続の時代であった。1904〜5年に日露戦争。1914年に第一次世界大戦に参戦。1918年にシベリア出兵。1931年満州事変。1937年日中戦争。そして1941年太平洋戦争に突入した。

 この戦争によって、日本は朝鮮を、満州を、さらには中国をも植民地的支配の下におき、海外市場を獲得した。日本は戦争によって半世紀に及ぶ高度経済成長を続けたのである。

 他方、20世紀の前半は社会主義革命の時代でもあった。1917年にロシア革命が成功し、1949年には中国革命が勝利した。そして20世紀の後半は、民族独立革命の連続であった。日本の敗戦とともに大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が独立し、日本が侵略したアジアの諸国は次々に独立した。日本が軍事的に占領していた地域から独立が実現された。

 1946年アメリカからフィリピンが、1949年オランダからインドネシアが、1945年フランスからベトナムが、同じくフランスから1953年にラオスとカンボジアが、そして、イギリスから1947年にインドが、1948年にビルマが独立した。20世紀の前半、欧米諸国侵略者の支配下にあったアジアの植民地諸国は、20世紀の後半にことごとく独立したのである。

 この植民地諸国の独立に対する承認とともに、資本主義諸国では労働条件の改善、社会保障制度の確立等々が進んだ。この大きな改革はなぜ起こったのだろうか。

 第二次大戦後、社会主義陣営と資本主義陣営の対立、東西両陣営の冷戦の下、資本主義陣営は社会主義陣営に対する対抗措置として、資本主義の弱点をカバーするためにその内部で大きな改革を進めたのである。この改革は結果として資本主義のもつ弱点を大きく改善し、資本主義諸国の高度経済成長を維持することを可能にした。

人類史の新段階
 ――自然と人間の敵対矛盾の克服

 こうして20世紀の長期間続いた高度経済成長が、人類にもたらしたものは何であったろうか。高度経済成長のウラ側に人口・食料・資源・環境問題という人類的課題が地球上に発生した。人類は人類史上初めて、自然と人間の敵対矛盾関係という、人類の存亡を問う根本的問題にぶつかったのである。

 生産を発展させると環境を汚染し、資源を枯渇させる。人口僅か数億人の先進資本主義諸国の高度経済成長によって地球環境の危機が生まれ、地球環境の危機が叫ばれた。一方、一国だけで13億を超える民がいる隣国中国では、資本主義国に学んだ市場の原理をとり入れた社会主義市場経済の下、すべての人民が高度経済成長をめざして働いている。その生産力が現在の日本に追いついた時、地球環境はどうなるのだろうか。

 中国の人民だけではない。地球上のすべての後進国諸国の膨大な民がすべて、高度経済成長をめざして経済を発展させるだろう。それが「世界市場」の時代の特徴である。つまり、人類は自然と人間の敵対矛盾関係という、人類史の新しい段階に入っているのである。生産力の発展によって人類は発展する、という楽観的な史観は通用しない時代が21世紀である。資本家階級と労働者階級の階級間の敵対矛盾関係の克服が人類史の中心課題であった時代は終わった。

 自然と人間の敵対矛盾関係を克服するという、人類史の新しい課題に挑戦する時代が21世紀である。

 資本家階級と労働者階級の敵対矛盾の克服は階級闘争によって、つまり労働者階級による資本家階級の打倒によって解決されるものと考えられてきた。しからば、自然と人間の敵対矛盾関係の克服は如何にして可能であろうか。

 それは農村空間が主導する、都市空間と農村空間の調和する社会の形成によって可能である。

 歴史は農耕の時代から産業革命を経て今日まで、都市が農村を領導する形で発展してきた。歴史の進歩・発展は常に、都市によって導かれてきたのである。

 農耕的世界から工業的世界へと「文明」は社会を変革してきた。自然と調和することで生産を発展させてきた農業までも、工業と同じ手法で発展させることが「文明」による高度経済成長の勢いである。農業の近代化と称して農業の「文明」化、工業化がすすめられた。

 「文明」は自然を支配し、自然を人間の意志に従わせる。化学肥料と農薬と機械で農業生産を営む。あたかも化学肥料と農薬を原料とし、機械と土で農産物を製造するかの如く、「文明」技術で農耕が営まれることによって、農業は進歩し、発展するものと考えられてきた。

 しかし、化学肥料と農薬によって土は死に、作物は病に冒され、人間も病気になり、つくられた作物は食べものとして安全でない。自然と人間の敵対的矛盾関係は農業にまで及ぶに至った。

農村空間
 ――歴史的生命空間としての地域

 元来、農村は自然と人間の調和によって営まれてきた。農民は自然を生かし、自然によって生きる。農民は自然に働きかけ、自然に働きかけられる関係を通じて、人間の生活を豊かにしてきた。

 決して自然を支配するのではなく、自然のいうことを聞き、自然のいうことに応えることによって、豊かな稔りを得てきたのである。たとえば稲作農家は、稲に聞いて肥料をやった。稲が肥料を欲しいというから肥料をやったのである。田も畑も、それをとりまく川も山も、自然と人間が調和するように自然に聞き、自然に働きかけて、農村空間をつくってきたのである。

 農村空間は、人間の意志(労働)が加わっているのだから、決して天然の自然ではない。といって、化学肥料や農薬によって自然を支配するといった、自然を画一化する人工的自然とも根本的に異なる。

 農村空間は、人間と自然の個性が織りなす「歴史的生命空間としての地域」である。客観的自然条件(気象、土壌、水質等)が同じでも、そこに暮らす人々の意識=暮らしようによって、それぞれの農村空間は地域によって異なる。長い歴史をかけて、自然と農民の働きかけ働きかけられる関係が農村空間をつくり出してきたのである。

 この農民がつくってきた農村空間を主導空間として、都市空間と農村空間の調和のとれた社会を形成することこそが、人口・食料・資源・環境問題という、自然と人間の敵対的矛盾関係を克服する根本的道である。農村空間を形成する農民こそ、自然と人間の敵対矛盾関係を克服する主導者であることを自覚しなければならない。

 21世紀の人類の課題である自然と人間の敵対的矛盾関係の克服は、階級間の敵対的矛盾の克服のように政治革命・経済革命によって実現できるのではない。

 自然と人間の調和する日常の生活の革命・日常の生産の革命によって、それは実現する。自然と調和するライフスタイルへの変革によってしか新しい社会は実現しないのである。自然と人間の調和する社会の建設は、政治運動・経済運動ではなく、日常的生活・生産を変革する日常文化運動によって実現される。政治運動・経済運動は、文化運動を助ける上で大きな役割を果たす。また、政治運動・経済運動の内に文化運動が含まれていなければならない。

食農教育
 ――自然と人間の調和にむけた最大の文化運動

 世の中週休2日制は進み、2002年からは小中学校が完全週5日制になる。余暇の増大は日曜菜園・援農・貸農園等々、親子で農耕に親しむ時間をふやす。自然と人間が調和する社会の基本は農業と食べものによって担われる。農業の衰退が問題になっている今日、逆に都会人の農業に対する関心は史上最高に高まっている。

 この流れを決定的にするチャンスが小中学校の教育改革によって生まれた。2002年から全小中学校で、小学校3年から中学校3年まで7学年で実施される「総合的な学習の時間」である。「総合的な学習の時間」は国語・算数に匹敵する時間が割り振られた新しい教科単元である。この単元では、それぞれの小中学校は自らの裁量で地域の食と農についての学習のために、自由に授業時間を使うことが可能になった。そして、地域の農家が社会人先生として、農業を教えることができる。また農家のお母さんが、郷土料理について教えることもできる。日本の学校史上初めて、それぞれの地域について学ぶ、それぞれの地域の独自性を活かした教科単元が、各学校の裁量によって実施できるのである。教育における地方分権の実現である。国家でなく、地域が教育の主体になるのである。

 農文協はいち早くこのチャンスをとらえ、「総合的な学習の時間」をバックアップするために、教育出版社にさきがけて、「総合的な学習の時間」専門の教育雑誌「食農教育」(季刊)を発行し、今年から隔月刊にする。

 一方、JA全中の指導で、全国611のJAが小中学校へ「バケツ稲作セット」を紹介・提供しており、444JAが学校農園の施設管理援助を実施している。さらに314JAは、学校給食へ地元農産物を提供している。

 また、少なからぬ農家が学校の要請に応じて、「社会人先生」として学校農園の指導援助を行っており、自分の田畑を学校の教育用の農園として開放している。

 2002年から小中学校で一斉にスタートする「総合的な学習の時間」を、「地域の「食農教育」の時間」として全国で実現することは可能である。全国の「現代農業」読者が立ち上がることによって、地元の農業と食べものを子供たちにしっかり身につけさせる公教育を、全小中学校で実現することが可能なのである。地元の味を旨いと感じる「味覚」を子供にしっかり植えつけることが、外国農産物の輸入を阻止する上で決定的に重要である。

 自然と人間の調和する社会づくりのための最大の文化運動が、「総合的な学習の時間」の「食農教育」化である。

農都両棲
 ――新しい生活習慣の形成

 「食農教育」は農村の小中学校にとどまるものではない。

 大都会の小中学校に農家が「出張」して「食農教育」をやっている事例も少なくない。都会と姉妹協定を結んでいる農村地域の市町村では、農家が社会人先生として呼ばれているのである。「総合的な学習の時間」の「食農教育」化の文化運動を、農村にとどめてはならない。大都会にも及ぼさなければならない。これによって、学校教育の中での農村都市の交流が組織されるのである。

 ライフスタイルの変革とは、農都両棲的生活習慣の形成である。休日増は農都両棲を可能にした。週末を農村で過ごす。こういうライフスタイルは、日本のように農村と都市が接近し、かつ交通至便の国においてはすべての国民が享受できる。

 アメリカ人は金持ちになると、みんな農場を買うという。大統領も外国の客人を農場で接待している。

 「日本では金持ちではなく、国民の誰もが農村に「別荘」をもち、余暇を楽しんでいる」、といえる国にしたい。

 平均寿命が80歳を超える時代が21世紀である。定年後は農村に住む。マンションは息子にゆずり、自分の部屋を一部屋だけ確保しておく。農村に住み、ささやかな自給農業を営み、気がむけばマンションの自分の部屋に帰り、美術館まわりをする。音楽会・芝居見物をする。定年後を豊かに暮らす新しい農都両棲のライフサイクルをつくることが、自然と人間の調和する社会をつくることなのである。

 平均寿命が80歳の時代である。何も農業の後継ぎが若くなければならないということはない。後継ぎは20歳代というのは人生50年の時代のライフサイクルである。60歳で定年退職したら、農家に帰って後を継いで一向に不思議ではないのである。もちろん50でも40でもよい。年齢にこだわらない、自由なライフサイクルをつくる。

 ライフスタイルとライフサイクルの変革は、自然と人間の調和する社会のベースである。

 今年は「総合的な学習の時間」への移行期の最終年。2002年からすべての小中学校ではじまる「総合的な学習の時間」を「食農教育」の時間としてスタートさせるための大事な年なのである。

IT革命
 ――パソコン=「情報編集機」は
   農家のためにある

 「総合的な学習の時間」による「教育改革」とともに、もう一つの柱になるのが「IT革命」である。

 パソコンは農家のためにある、と農文協は考えてIT革命に取り組んできた。

 農家の必要とする農業情報はそれぞれの農家によって異なっている。だから、それぞれの個性に合った情報が欲しいのである。

 たとえば皆さん方が読んでおられるこの「現代農業」15年分が電子データ化されている。自分の条件に合った自分の農業にあう記事を15年分の中から自由に探せるのである。たとえば、米ヌカで稲作でやっている実例を自分の住んでいる岩手県の例で知りたいと思えば、「米ヌカ」と「岩手」の「アンド」検索(両方の文字を含む記事)を探し出すことができる。自分の条件を入れて、検索すれば、自分の条件に合った記事が得られる。

 さらに「米ヌカ米」を産直するにはどうしたらよいか、「無農薬米」「産直」の「アンド」検索で、参考になる記事が得られる。

 「産直」をやっておられる方はパソコンで売掛管理もできれば、売先が次にコメが必要になる時期を販売データから知ることもできる。Eメールで注文をとることも可能だ。

 まさに、それぞれの農家が、それぞれ違う条件を活かすための個性的なデータが得られるのである。

 自動車は、アメリカであろうと日本だろうと作り方は皆同じである。アメリカにとってよいものは日本にとってもよい。ところが農業はそうはいかない。土も違えば天候も違う。それだけではない。年齢によって技術が違うし、同じ年齢でも家畜が好きか嫌いか、その人の好みによって技術は違うのである。それぞれの農家の条件や意思に合わせてデータを編集できる情報編集機としてのパソコン、だからこそパソコンは農家のためにあると考えたのである。

 さらに、自分のためのデータをまとめて、プリントすれば、自分の「雑誌」ができる。それに自分の稲作の技術を加えれば、自分の「本」ができる。それを同じ条件の農家にパソコン通信で発信することも可能なのである。

文化としての農業
 ――そこには輸入農産物で実現できない
   価値がある

 自分の個性に合わせて情報を編集することによって、自分の条件に合った農耕を個性的に営むことができ、この個性を買ってくれるお客様をつくることもできる。かくして、大量生産、大量消費の画一的な「文明」的農業から、それぞれの地域の条件を活かし、自分の好みまで含めた「文化」としての農業が営めるようになる。

 そのことが可能なのは「パソコン」という「文明」があるからなのである。「文明」を利用して「文化」を生むことができる。それぞれの地域の独自性とそれぞれの個人の個性を活かした「文化としての農業」を生み出すことができるのである。

 化学肥料・農薬を基本とする画一化された「文明化された農業」を、もう一度自然条件の個性と人間の個性を活かした、「文化としての農業」につくりかえることができる。

 新しい「文化としての農業」は無農薬・無化学肥料=有機農業等々新しい高い付加価値を生産し、生産を高める。さらに、「文化としての農業」はその価値を知る消費者と提携する。農業は6次産業としての農業となる。生産・加工・調理を含めた社会化された自給。トフラーが1980年にとなえた「プロシューマー」「生産する消費者」「生産者と消費者の一体化」の時代がひらかれる。

 「文明」によって「文化」をつくることが21世紀の課題なのである。そのキーワードは「教育改革」と「IT革命」。2つとも、極めて今日の現実的な課題である。

 貿易の自由化による「農産物価格の下落」、この問題を根本的に解決するのは「文化としての農業」の再建である。そこから生まれる農産物には、輸入農産物で実現できない価値がある。「文化としての農業」をめざす生産者と消費者の提携が未来を生む。

(農文協論説委員会)


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