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農文協トップ主張 1998年3月号
転作をバネに、田畑と体力に
合わせた自在農業

目次
◆転作を考えるときの4つの前提条件
◆大きいだけでは損をする
――「大規模農家」はどうするか

◆高齢農家、定年帰農が作る新しい農業経営
◆昭和一桁世代の第二《経営草創期》
◆米の産直、米価維持にも必要な転作
◆教育への支援も視野に入れた農村計画を

◆転作を考えるときの4つの前提条件

 米の需給均衡回復と生産調整実施者のメリットをうたった「新しい米政策」が平成10、11年の2カ年で実施されることが決定された。平成9年度と比べて17万6000ha拡大した、96万3000haの生産調整を実施するというものである。全水田面積の35.5%に及ぶ転作をどう考えたらよいだろうか。
 これまでは、転作といえば米以外の何で儲けるかという視点からのみ考えられてきた。しかし今、転作を考える時、かつてと根本的に異なる条件が生まれていることに注目したい。
 一つは大規模生産・大量販売で儲けるという論理がまったく通用しなくなったことだ。今までなら専作型産地は既存の作目の経営拡大が正道とされてきたが、それが成り立たなくなったということである。
 二つには人生八十年時代になり、農村空間で「人生二毛作」を追求する新しいライフサイクルが動き始めたことである。それは平成7年の10万人の新規就農者のうち六割が定年帰農である事実として現実になっている(「現代農業」1998年2月増刊「定年帰農16万人の人生二毛作」)。
 三つには平成五年の米の大凶作以来、燎原の火のごとく広がった「米プラスα」産直の流れである(「現代農業」1997年11月増刊「朝市大発見」)。埼玉県農林部の調査では43都府県で1万カ所を超える直売所がある。このプラスαにとって、転作の位置は大きい。
 四つには、この数年にわかに高まってきた、農村が地域の小中学校の食農教育を支援しようという流れである(中教審の第一次答申でいう「ゆとり」の中で子どもたちに「生きる力」を育むことをめざす)。小中学校の「体験学習農園」や障害者・老人施設での「福祉農園」など、減反田をこれまでとまったく異なる発想で使っていこうとする動きである。

◆大きいだけでは損をする
――「大規模農家」はどうするか

 近年の市場での米価下落はきわめて激しいが、これによる所得減をいっそうの規模拡大で取り戻そうとするのはきわめて危険である。米作りにせよ転作にせよ野菜栽培にせよ、大規模化しさえすれば儲かるという時代ではなくなったのである。
 北海道のAさんはダイコンの大規模農家である。栽培を始めて5年目には40町歩で12万ケースを出荷、販売金額では1億5000万円になった。しかし、その年の経費(土地代、出荷経費、生産費、人件費など)は1億4000万円で、なんとか経営収支はプラスになったものの、次の年はダイコン価格が低迷し、売上げは1億円にダウン。経費は前年と同じであったため大幅な赤字経営に転落した。商品作物ではよくある話である。
 その後、Aさんは神奈川県三浦半島のダイコン農家の経営と自分の経営を比較してみた。すると、10a250〜300ケースのAさんに対して、三浦では1000〜1500ケースで約5倍の反収があったのである。Aさんの反収が低いから、1ケース当たりの経費は、三浦が500円であるのに対し、Aさんは1000円かかっていた。大勢の雇用者と送迎バス、大型機械などの経費が膨大になっていたこと、防除や施肥・収穫管理などが人任せで適期にできなかったことなど多くの増大要因もあったが、何よりの経営不安定の原因は、ちょっとした気象変動に影響を受けたり、連作障害で品質・収量ともダウンするような畑作りに根本的な問題があった。Aさんは、規模拡大に甘んずるのではなく、連作障害を避けられる経営を作ることが自分の課題なのだと定めた。
 規模拡大が経営の普遍的な論理ではないということは、千葉県で二十数年、ダイコン中心の経営をしている小見川修一さんの取組みも示している。小見川さんは「常に連作障害をどう防ぐか」を考えているという。そしてサトイモ、ニンジン、カンショ、緑肥(ヘイオーツ)などを作り回している。最近では、イオウ病の耐性を持ち、葉長が短く小葉で立性の草姿をしているので密植できる品種を多く取り入れているという。それによって収入を落とさずに作付面積を減らせるからである。そしてあいた畑で緑肥作りをするのである。「連作しつづけると、土の中の残根などのせいで亀裂褐変が出る。畑を休めて春にその分いいものをとる。こういう経営の方が、今、一番ラクだし、いいダイコンをとり続けられるやり方」だという(「現代農業」1998年2月号)。経営の拡大が問題なのではなく反収が安定してあげられることが、農家には何倍もトクなのである。
 一方、水田を中心とする経営でも、面積の拡大というだけの論理ではない動きが出ている。すなわち、転作を自在にこなせる田作り、田んぼの質の向上に本格的に取り組もうというのである。秋田県大潟村の矢久保英治さんは、「年々肥料を増やさないと米の収量が維持できない」土になっていることが気になっていた。そこで、米を作るにしても転作するにしても割り当て面積を消化するという発想ではなく、安定して穫れる田作りが基本だという考えに切りかえた。
 一つは地力回復対策である。2年前からレンゲを2町5反作り、今年は5町歩で極早生のイタリアンを作ろうと思っている。それを春一番に緑肥としてすき込んで地力をつけ、そこに大豆や麦や野菜など何でも作れる畑を作るという。二つは排水対策である。基幹暗渠を通した田んぼでさえ耕盤ができ、湿田化して転作物が作りにくくなっていた。そこでこの冬はスガノ農機の「モミザブロウ」でモミガラ暗渠をやり直そうと思っている。
 千葉の小見川さんにも秋田の矢久保さんにも共通しているのは、大きい畑・大きい田んぼをむしろ小さく使うことで、安定増収やコストダウン、新しい経営ができるのだという論理である。規模拡大のまさに逆。大きい田を小さく使う工夫によって経営が開かれるのである。

◆高齢農家、定年帰農が作る新しい農業経営

 人生八十年時代になり、高度成長期に農外に就職した世代が続々と定年を迎えてきた。ひと足さきに定年帰農した人たちのドラマが「現代農業」1998年2月増刊「定年帰農」で紹介されている。その中で「“自己流”の早期発見こそ定年農業成功の道」として実践的アドバイスをおくる愛知県の水口文夫さんは、本誌でもおなじみの元農業改良普及員だ。
 「私は、13年前まで農業技術を指導する側にいたが、現在は一人の農業者として指導を受ける側にいる。定年後、はじめて取り組む農業をうまくやるためには早く知識や技術を取得しなければならないが、その一つの方法に農業改良センターの普及員や農協の営農指導員の指導を受ける途がある。これらの指導者は、最新の情報をもっており、普遍的で安全性の高い指導をしてくれる。しかし、その指導には限界がある。普遍的であればあるほど、誰にも当てはまらなくなる。安全性を求めれば求めるほど、どうしてもムダなことまですることになる」という。続けて、「なぜなら農業は天候に大きく左右され、しかも畑は千差万別だからだ。また農作業は、それぞれの人の性格や体力の差で大きな差ができる。私はつねづね農業は、自分の畑と体力に合わせて行なうものだと思っている。退職直後、マニュアルどおりに実行したら、かえってマニュアルが私自身をつらい農作業に追いやることに気がついた」という。
 たとえばメヒシバとエノコログサがやたらと繁茂し、わずか2カ月で背丈ほども伸びて草取りに泣いていた畑があった。最初は、その草を退治するために悪戦苦闘していたのだが、その生草に助けてもらおうと発想転換したのである。それらの草は、すき込めば生草で4〜5t、腐熟しても2tくらいにはなる資源だと気がついたのだ。そこで小さなハンマーナイフモアをかけ、土中堆肥にして利用した。こうして作ったキャベツは上々の出来具合だった。草取り不要、土中堆肥、増収と、まさに一石三鳥の方法を考えついたのだった。さらに、厄介ものの刈込み枝や剪定枝を穴を掘って「伏せ焼き」し、できた炭をタマネギに使ってみるとこれも成績がよかった。
 栽培法も自分流に変えた。キャベツの追肥は3回といわれているのを、緑肥や炭を施用していることや、自分の畑は冬に乾燥しやすいことから1回だけにし、施肥後に中耕培土することにした。こうして水口さんは、作業に追われず施肥量を減らして安定して収穫できている。
 定年帰農で営む農業は、若者とは違って体力の低下は前提だから、とことん自分流の“自在農業”になるのである。自分と家族と知人のための農業を考え、その土地に無理なく合ったものを自分の体力の範囲で作っていく。

◆昭和一桁世代の第二《経営草創期》

 人生五十年時代の農家の経営は、経営者本人に注目してみると、親から引き継いだ時の《経営転換・拡大期》、経験も積み体力も充実しているときの《経営充実期》、息子に譲っていくときの《経営縮小期》の三期があり、息子の成長ともに循環・継承されてきた。こうして限られた土地の上で、その時々のライフステージにある家族労働力を調和させながらまんべんなく作りまわし、家族が継続してきたのである。
 そして現代は人生八十年時代。息子は外に勤め、どこの村でも六十代から七十代農家が地域の農業を支えている。従来の考え方では《経営縮小期》にある農家である。しかし、人生八十年時代は都市からの定年帰農者も前提にして、また、体力に合わせた小力技術への転換を前提にしての、新しい経営循環・継承サイクルがまさに今、スタートしているのである。つまり、今の六十〜七十代にとっては、現在は経営縮小期ではなく、経済合理主義から解放された生涯現役の農業経営を作り出すための、人生第二番目の《経営草創期》となっているのである。その経営は、外国との低価格競争をするためのコストダウンが目標なのではない。自分の身体と暮らしにあった耕地設計、資源活用への創意と魅力が目標なのである。

◆米の産直、米価維持にも必要な転作

 お米の産直農家からはこの米価下落のなかでも悲観的な言葉は聞かれない。それぞれが消費者との固有な関係を築いているからである。昨年12月号「お米と一緒に町に
“田舎”を届ける」で紹介された埼玉県熊谷市の大島一一さん(67歳)も自然体を徹底している。
 「今年は米価が下がっている中での保険金制度と全国とも補償などで100%減反を受け入れるか、全くしないかに二分化するだろう」というのが大島さんの見方だ。大島さん自身は自分で全部売れる見通しもあるが、減反をするという。皆に迷惑をかけるわけにはいかないという気持ちもあるが、むしろ必要なのだという。というのは、大島さんは1年間通した消費者とのお付き合いに四季折々の自給農産物を使っているからである。春から秋にかけては自家用畑の野菜類、冬は自家用味噌だ。もちろんお客さんの一番欲しているものを選んでもらっている。
 これは、「米価を安くしないために」といったものではなく、そういう付き合いをしたいからである。だから自家用野菜でも上手に無理なく作りたい。バレイショやサトイモなど比較的面積もいるし連作障害の出やすい作物は、転作田で作り回すようにしている。また、夫婦2人でやれる範囲の花卉も転作田で栽培しているが、今年は消費者が珍しがる野草や野の花を転作田で作る、手間も金もかけないマル秘作戦を考えている。これらの転作田で作る生産物のすべてが何らかの形で米産直のおすそ分けに使われるわけである。転作は米作りの一環でもあるのだ。またここには、大きい田んぼを小さく使うことの別の意味、すなわち、そのことが消費者との関係性を強めるために役立つのだという意味が現われている。

◆教育への支援も視野に入れた農村計画を

 高度成長期以来、村に対して大規模化・選択的拡大などの画一的指導が強力に進められたにもかかわらず、35年たってみたら、全く多様で個性的な、身体と暮らしに合わせて田畑を作ろうとする農家群が出現している結果になったのが現代である。農家の知恵が農政の力を上回ったのである。この農家の知恵が転作を新しい農村計画(土地利用計画)に活かす。
 たとえば環境を守る農家の実践事例では、害虫も天敵もみんな殺してしまう防除ではなく、「土着天敵」に味方してもらう小力総合防除段階に到達していることが報告されている(「現代農業」1997年6月号)。環境を壊す防除ではなく豊かな耕地生態系を取り戻し、地域を豊かな生命空間として創造し、村の景観形成にも向かう防除が現実のものになってきたのである。土作りも同様に全く新しい段階に入っている(「現代農業」1997年10月号)。そういう耕地空間は、地域の小中学校が体験学習やそこにいる生きた虫を教材化することで、「生きる力」の総合的学習を仕組む最適な場所にもなる。
 転作田がこれまでとまったく違った教育の場を提供することは、たとえば「現代農業」1997年8月増刊「楽しいね!食べもの教育応援団」にも報告されている。「休耕田は遊んで学べるたんぼ水族館」で和歌山県熊野川町立熊野川小学校の湊秋作先生は次のように書いている。
 「私たちの学校のまわりに休耕田が湿地となったところがあり、メダカ、タイコウチなどの水生生物が豊富であった。そこでこの湿地を自然との共生を体験できる環境教育の場として使うことにした。子どもたちはどろんこになりながら草と土をとる。そこに池ができるとメダカがすむようになる。それを食べるタイコウチや水カマキリも増える。生き物のために苦労して、そして遊び学ぶという共生体験を行える」。同時にイネも作ることにした。
 環境教育というのは実は、国語にも、生活科にも、図工にも、社会科にもすべてに関係している。そして「子どもが五感で自然を体験すると、自然への感性と自然への認識が育つ」ので、授業の成り立ちがまったく変わったのである。国語では詩や俳句を作って自然への感性を育成した。子どもたちは詩を作ったし、田んぼ水族館の一年間の絵巻物を作った。文章は国語で、絵は図工で学習したわけである。生活科では豆腐パックで生け花を生けた。田んぼに材料を取りに出た子どもたちは、ヨモギやミツバを「芸術的な目」で見たし、料理の時間にはそれらを「食欲的に」見た。しっかりと自分の感性と絡んだ認識が育ったので、ついにはその自信をもって自分たちが田んぼから学んだことを、都会や海外の学校とも交流したのだそうだ。
 「生きる力」が問題にされているが、これなども転作の田んぼと結びつけばまったく違った展開ができるわけである。水路があり、水が溜められ、営々とした地力の蓄積のある水田は、教育の場に使われる場合、圧倒的な潜在力を提供してくれるのである。地域の命を育てるために作られてきた生命扶養空間であり、地域の暮らし作りの息吹を感じられる空間なのである。子どもらにとって、水田ともろに向き合えることは驚きの連続なのである。田んぼと向き合うと、子どもは地域の歴史、農家の田んぼ作りにかけた願いと思いなどを理解する。田んぼに触れてはじめて農家の心を理解する。農村計画はそのように、教育にも広がったものでありたい。

 かつて自家用農産物といえば商店に並べられたものに比べて下等なものという意識が蔓延していた。同様に農家の知恵と技は、学校で教える科学的知識に比べて遅れたものとされ、また、農村の自然的な生活空間は都会の何でもお金で享受できる商品一色の生活空間に比べて遅れたものという意識があった。しかし、土を耕し作物を育て、それを家族やゆかりの人々の顔を思い浮かべながら加工調理する日常の農家の暮らしには大地に根差すもののみが持つ自給・自立の心があった。農家の技を伝える「現代農業」や大正時代の農家の食事を再現した「日本の食生活全集」や江戸時代の老農たちの思いの集大成である「日本農書全集」など、農文協の出版活動を長年支えてくれたのはその「心」である。農文協はこの半世紀、農家の日常の暮らしの形を見失うまいと農家一軒一軒の庭先や圃場をたずねながら記事情報を創ってきた。今まさにその農家の心と生き方と技が、農家の現在にとってだけでなく学校教育にも都市型高齢者にも、また自然な暮らしを求める広汎な人々にも求められる時代になった。21世紀は農家の世紀である。
 今年は、転作を生産調整・面積消化として悩むのをやめて、消費者としてまた定年帰農者として村に人が呼べる産地・地域形成をするための生産計画、農村計画を村じゅうで話し合う機会にしよう。農文協はそのために使える情報を全組織を挙げて積み重ね、書籍や雑誌やビデオ、一層使い勝手のよいインターネットの世界で、読者諸兄に提供していく。 (農文協論説委員会)


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