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農文協トップ主張 1998年2月号
品種に物語を添えて、
消費者に、学校にアピールしよう


目次
◆地域品種の個性
◆「閉じる」ことと「開く」こと
◆加工が品種を豊かにする
◆農家が発信する食品情報とは
◆地域の品種は学校にとっても魅力的だ

 全国各地で、昔から伝わる伝統的な品種を活用しようという動きが盛んになってきた。
 朝市などの産直的な販売が急速に広がり、農産加工に取り組む農家が増えるなかでの動きだ。おいしい加工品をつくろうとすれば現在の生食用品種では物足りない。
 売り方を変えることが加工を盛んにし、そのことが栽培の根幹である品種を変える。静かな農法変革が進んでいる。

◆地域品種の個性

 山形県庄内地方にダダチャ豆という古くから伝わる枝豆がある。ダイズの一品種であることにはまちがいないのだが、成熟すると皺がより、甘みが強く独特の香りもあって、庄内の人にとっては、他の品種の枝豆は食べる気がしないというほど、親しまれている。他所に出た人が、どうしてもダダチャ豆を食べたいと、タネを取り寄せてつくっても、なぜか庄内のマメのような風味がでず、1、2年で栽培をあきらめてしまうという。
 ダイコンも、今では青首ダイコン一色の様相だが、一昔前までは、たくさんの地方品種があった。練馬、亀戸、方領、宮重など名前がついている品種だけでも100種以上、他に地ダイコンといわれる品種・系統が無数にあり、それこそ、村々に独自の品種が成立していた。根が長い守口大根、根径が40センチもある桜島大根など形が特異な有名品種もあれば、なかには、宮城県小野田町の小瀬菜ダイコンのように、葉が80センチ以上も伸び主に葉を利用する在来種や、秋田県鹿角市の松館しぼりダイコンのように、根が小さくて硬く、辛味が大変強いのでもっぱらしぼり汁を利用する品種まである。そして、ダダチャと同様にその味、その個性は地元を離れるとうまく現われない。小瀬菜ダイコンを小瀬地区以外でつくると葉が硬くなっておいしい漬物にはならず、また松館しぼりダイコンは松館地区以外にはつくられない。他所でつくっても、独特の辛味がでないのである。
 そこに、全国どこでつくっても同じような味・品質ができる現代のF1品種(一代雑種)と地域の在来品種との根本的な違いがある。F1品種は、品種間で交配を行なうとその子はしばしば両親のいずれよりも体質が強健で生育もよいという雑種強勢のしくみを利用している。たとえば病気に強くつくりやすい品種(母本)と、食味がよい品種(母本)をかけあわせてつくりやすくて味もよい品種をつくる。実際の育種はそう単純ではないが、こうして、環境適応力が高く、一定のつくりやすさと品質を保証する品種がつくられる。その能力ゆえに、F1品種は、野菜の産地化や周年化、生産力を支えてきた。ただし、その能力が発揮されるのはおおむね一代限りで、遺伝的に固定されていないために、そこからまたタネをとって孫を育てても、形質がバラついて同じようなものはできない。
 それに対し、地域の在来種は固定種であり、F1品種のような広域適応性は期待できない。広域適応性とは逆に、地域の品種はどんどん地域化、個性化していくことで成立したのである。
 ダダチャ豆では、成熟すると皺がよるものがよいとされ、採種に際してはたくさんのマメの中から、茶褐色で皺のよるものを選んで翌年の種子としてきた。こうして、長年の間に、個性的なダダチャが生まれたわけだが、さらに、庄内という限られた地域内でも、早生ダダチャ、白山ダダチャ、小真木ダダチャの三つの系統があり、また赤花のダダチャもある。系統によって食べごろがいくらかちがい、地域の人たちは、そうした、さまざな個性、多様性をダダチャの特徴として、長い間、保持してきたのである。
 地域に共通した品種ではあるが、その中では意外に多様性に富み、それぞれの場で個性を表現する。家々によって、さらには畑によって少しずつ違ってくる品種。品種は、わが村の、わが家のタネのことだった。

◆「閉じる」ことと「開く」こと

 地域の在来種は、地域になじませることによって生まれた。なじませるのは、もともとは他所からきたものだからである。
 ダイコンでいうと、地中海沿岸地方が原産地とされ、それが2千数百年前に中国に伝わり、全土で普及して華北系、華南系や南方系などに分化し、それが日本に伝わったとされている。日本への伝播は1200年以上前とされ、華南系を中心に華北系なども渡来し、それが各地に定着し、あるいは交雑して、多彩な品種が各地に成立したのである。やがて江戸期には、大消費地をひかえる江戸近郊で江戸ダイコンといいわれる品種群が生まれた。隆盛をきわめた練馬、亀戸、そしてこの二つが自然交雑してできたとされる「みの早生」、これらの江戸ダイコンは、当時すでに成立していた種苗業者によって各地に伝わっていった。それは、各地の在来種を脅かしもしたが、一方では地ダイコンとの交雑によって、新しい品種を成立させる力にもなった。現在残っている地方品種には、練馬などの血を引くものも少なくない。
 タネとりは、わが村に、わが畑に種をなじませる過程であり、そこには、夏に食べるダイコンがほしいとか、冬の青物にとか、ソバにあう辛味の強いものがほしいといった食べる側の都合と同時に、その地で安心してつくれるという強みも求める。人の都合と、畑の都合、ダイコンの都合の折り合いをつける。自家採種は、わが家のタネとして、その品種固有の血を濃くしていくことではあったが、時には姿・形が多少ちがう株や、他の農家から譲りうけた株も混ぜて交雑させたりした。よそから来たタネとの自然交雑もあったろうし、逆に品種の血を守るために他所のタネを排除することもあった。特産品となっている庄内の温海カブは、他のアブラナ科をつくらないとう集落の申し合わせによって守られている。
 「閉じる」ことと「開く」ことによって、地域の品種が共通性と多様性(雑然性)を保ちつつ、つくられ、守られてきたのである。

◆加工が品種を豊かにする

 地域の在来種と広域品種とでは、農家と品種との関係に根本的なちがいがある。といって、どちらがよくてどちらが悪いというのではない。生かし方がちがう。大量生産・大量流通には、地域品種はなじまない。どこでもだれにも喜ばれる普遍性が求められるからだ。しかし、産直という小さな流通なら、地方品種が生きてくる。その地の味をみんなにおすそわけするという、個性の豊かさが身上になるからだ。朝市や都会にでた地域出身の人たちに「地域の味」を届ける、それには、地域の品種がふさわしい。
 そして、加工が地域品種を生かす道を大きく広げる。多彩な地方品種を育ててきた農家は、多彩な調理・加工を駆使する人たちであったがゆえに、多彩な用途にふさわしく品種も多様化した、ダイコンでいえば、生食、タクアン、切り干しなど、用途にあった品種が各地にたくさんつくられた。品種にあった調理・加工の工夫と、調理・加工にあった品種つくりと、その両方が重なりあって調理・加工も品種も多様化したのである。
 「F1はすばらしい技術です。コンパクトカメラのように誰がつくってもそれなりのものができる。しかし、農産加工には、それぞれの家で選抜を繰り返してきた固定種が一番です」――そう語る群馬県前橋市の針塚農産代表・針塚藤重さん。針塚農産のタクアンにする干しダイコンは主に、近くの高崎市にある集落のダイコンを使っている。というのも、この地域の農家は、自分の畑と気候にあった自家ダネを使って、干しダイコンをつくっているからだ。針塚さんは、品定めを市場ではなく、畑や干し場をみて行なう。そして、市場に出すのを見定めて、良い値で買い付ける。農家にもうけてもらうことで、よいタネが守られ、おいしいタクアンをつくり続けることができるのだ、という(64ページ)。
 加工へのこだわりは、品種へのこだわりへと向かうのである。地域品種への着目とともに、生食用生産中心の中で片隅に追いやられてきた品種にも光が当てられる。リンゴジャムをつくるなら、酸味のある紅玉がほしくなってくる。トマトも生食ではなく、ソースなどの加工品をつくろうとしたら、「桃太郎」では無理で、加熱用の「クッキングトマト」がおもしろい。このクッキングトマトは、加熱にむき、しかも栄養価が生食用に比べて高く、ガン予防に効くといわれるリコピンなどの抗酸化物質も多い。そしてつくりやすいのがいい。地這い栽培だから支柱はいらず、芽かきも不要。肥料は普通の品種の半分、農薬は半分以下、おまけに、収穫も週1〜2回で間に合う(216ページ)。
 加工は、生食用生産一本槍の中で窮屈になっている栽培法や畑の使い方の自由度をも広げてくれるのである。

◆農家が発信する食品情報とは

 食のファッション化が進み、珍しいもの、個性的なものが求められているという。そこをねらって、たくさんの食品情報がテレビなどから流され、「差別化」した加工食品が大量生産・大量消費されていく。平成二年のデータだが、国民が飲食料に対し最終的に支払っている金額の四九%が加工品であり、その巨大な市場をめぐって大変な競争、情報合戦が繰り広げられている。よくも悪くも、情報が食べもののおいしさを左右する。しかし、農家の加工はそんな競争とはかかわりがないし、情報の質もちがう。
 長野県の野沢菜。長野の気候と冬に青物を食べたいという人々の願いが、京都からきたカブを、菜っぱに変えてしまった。だが、菜っぱならなんでもよいということにはならない。霜が三回おりると味がのるという自然と菜の出会いを見抜き、凍てつく寒さの中で菜を洗い、塩や重石の加減で味を調節する。こうしてできた漬物を氷ごと食べる。これが農家にとっての野沢菜である。野沢菜をお茶うけに出すとき、そのすべてが話題になる。
 その話題こそが、農家の食品情報だ。個性的な加工品に個性的な情報がともなって、朝市の魅力的な世界がつくられる。
 福島県会津、熱塩加納村では今、水稲の農林21号を復活させようという動きが起きている。約60年前に誕生し、戦後の食糧難時代に力を発揮し、農家の暮らしと国民の食卓を、からくも支えた農林21号、60歳以上の人にとっては思い出の多い品種だ。この米を過去の品種にするのは忍びない。そう思った農家が、仲間たちと再生に取り組むことになったのである。小林芳正さんは次のようにいう。
 「主食である米までがグルメ化するなかで、農林21号の物語をとおして、食と農、いのちのことを考えたいという思いもある。また、先行き不透明な稲作だけに、百姓のロマンでも追わなければ継続さえ危ぶまれるように思えてならない。村の主要品種に、などというつもりはない。ただ、物語を添えて届け、農林21号のファンを募り、われわれの思いを伝え続けられたらと思う。酒米にもなる品種なので、生産に余裕があれば自前の酒を仕込み、21世紀の幕開けに乾杯し、農業の夢を託したい」

◆地域の品種は学校にとっても魅力的だ

 農家がこだわりつづけた品種とその物語は、若い世代にとっても魅力的だ。
 宮城県加美農高では、隣町にある、先にふれた小瀬菜ダイコンを教材にした授業を継続的に展開している。当初は男子生徒を対象に栽培技術の学習に力点がおかれ、やがて、調理・加工も含め、女子生徒を対象とし、地域と連携した学習へと展開していった。ちょうど地元で「先代から継承されてきた地場野菜を守り育てていこう」という動きが婦人たちの間で起きて、それと呼応する形で生徒たちの学習が始まったのである。
 農協や普及所の協力を得て、地域のかあちゃんやお年寄りから調理・加工法についての調査を行ない、さらに小瀬菜ダイコンの各種漬物比較実験に取り組む。生徒たちは、ダイコンなのに葉だけを長漬けすることに驚き、そして地域の人たちとの交流のなかで、このダイコンの魅力に引きつけられていく。
 「昔から小瀬菜は、葉を折らないように収穫するのがむずかしく、またいつも寒いなかで手がきれるような冷たい水で洗うため“嫁泣かせのダイコン”といわれてきた」「小瀬菜を食べないと便通が悪くなるし、粕汁の具として使うと体が温まる」「小瀬菜の漬物は空気にふれると酸化しやすいので、自然のままに、しかも保存効果のあがる方法や漬け方をもっと工夫していきたい」。そんな地域の人たちの言葉に、生徒たちは、地域の女性の苦労や知恵を学び、地域の食文化を見直していく。そして、川の流域に沿って、あるいは峠を越えて分布する在来種に、人々の交流の足跡を発見していく。
 その間、地元でも小瀬菜ダイコンを見直す動きが広がり、その人気は高まっていった。地域と学校の連携で、食卓も教室も豊かになっていく。
 今、学校教育では、「生きる力を育てる」ための総合学習が課題になっているが、自然と人間、その歴史が凝縮された地域の品種はその素材にぴったりだ。
 今、品種は、農家と消費者を結び、農家と学校をつなげる。今年は、品種に物語を添えて、大いにアピールしよう。
(農文協論説委員会)
〈参考文献〉
ダダチャ豆については、菅洋著『育種の原点』、ダイコンおよび小瀬菜ダイコンの教育実践については、佐々木寿著『まるごと楽しむダイコン百科』(いずれも農文協刊)を参考にしました。


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