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農文協トップ主張 1998年1月号
むらを守り農業を守るのは
「習慣と道義による調節」の力


目次
◆農山漁村空間はいかなる力を秘めているのか
◆日本の米を守っている根本的な力は何か
◆産直の発展は新しい市場原理、生産原理を提起する
◆東アジアの農耕の原則を存続させてきた「習慣と道義による調節」
◆あらゆる策を講じて、都会に出て定年を迎える息子達をむらに呼び戻そう

 むらを守り、農業を守る上での経済学上の論理をどのように考えたらよいか。一人の経済学者の経済理論に耳を傾けてみよう。隣国中国の著名な経済学者、北京大学教授・レイ=イネイ氏の理論である。
 レイ=イネイは「経済には市場調節と政府による調節のたった二つの調節方法しかないのだろうか」と問題を提起する。そして、第三の調節方法があるとして、それは「一種の習慣と道義による調節」であるとする。そのあらましの論理については本誌356頁に掲載したレイ=イネイの「習慣と道義による調節について」の論文に簡潔に述べられている。中国の日刊紙「光明日報」に掲載された論文である。
 レイ=イネイは、「市場調節」も「政府の調節」も「習慣と道義による調節」の補助的役割を無視すると効果を上げられないとして、「習慣と道義による第三の調節」をきわめて重視している。ここにレイ=イネイ理論の根幹がある。
 わが国においては、経済を論じる場合「市場の調節」と「政府による調節」の二つの調節だけが論じられているだけで、「習慣と道義による調節」について論じる経済学者はいない。近年、環境問題からのアプローチとしてエコロジーの経済学が論じられるようになったが、「習慣と道義による調節」の論理とは大きな隔たりがある。では「習慣と道義による調節」とは何か、またその画期的な意味は何か、について考えてみたい。

◆農山漁村空間はいかなる力を
秘めているのか

 現代は「自由な資本主義」も「市場無視の社会主義」も存在できない時代である。資本主義は五カ年、一〇カ年の長期の国家計画による財政投融資によって支えられる資本主義であり、他方社会主義も市場経済によって支えられる社会主義である。そして経済を考える上での根本問題は、資本主義か社会主義かの対立・選択の時代から、人口・食料・資源・環境といった人類共通の問題の解決が課題となる時代へ、つまり階級矛盾の克服の課題ではなく、「自然と人間の敵対的矛盾」の克服が課題の時代へと、時代は明確に新しい時代に移行したということである。この新しい時代は、自然と人間の調和する空間形成を求めている。そして自然と人間の調和をめざす空間形成において決定的役割を担うのは農山漁村空間なのである。
 すなわちこれまで人類史を領導してきたのは都市空間である。しかし、自然と人間が調和する空間を形成することが課題の時代では、農山漁村空間が新しい領導的空間となったということである。自然と人間の調和する空間を形成する知恵を蓄積してきたのは農山漁民だからである。この点についてはすでに一三年前の昭和六十年一月号の本誌主張「昭和六十年代をどう生きる――西欧民主主義から『むら』民主主義へ」で基本点について論じている。

 日本の伝統的民主主義は「西欧」民主主義とは根本が違う「むら」民主主義なのである。「むら」民主主義は大きい家は大きいなりに、小さい家は小さいなりに生きてゆけるように、自然(田・畑・山・川など)を生かしてゆく。「大」は「大」なりに、「小」は「小」なりに生きてゆけるように自然を使う。それが「むら」民主主義の基本である。(四二頁)

 「西欧」民主主義が神に対する人間の平等を土台にしているのに対して、「むら」民主主義は自然に対する人間の平等を土台にしているのである。自然との調和を土台にしたルールが「むら」民主主義であり、「自然と暮らしの調和」を維持してゆくための「掟」が「道義」としてむら人の心の中にはあった。つまり、レイ=イネイのいう「習慣と道義による調節力」が日本のむらむらには確立していたのである。その内容をもう少し詳しく吟味してみよう。
 この「主張」では民主主義の土台である「自立」に関連させながら次のように述べている。

 (「近代化」によって)果たして農家は自立できただろうか。肥料でも飼料でもひたすらメーカー・商社に依存する経営になった。つくるものはひたすら市場の要求にあわせてつくらざるを得なくなった。自分が食うものさえ買わねばならなくなったのである。(四一頁)
 農家の「自立」とは経営の大小の問題ではない。……「自給」にこそある。「自給」とは自分のもつ自然(田や畑など)を自分の家族(人間)のために上手に生かしきることである。「自立」とは人間と人間の関係に基本があるのではない。人間と自然の関係に基本があるのである。(41頁)
 (百姓は)米は搗いたし俵も編んだ(これ工業)。炭も焼いたし薪も切った(これエネルギー産業)。道普請もしたし土地改良もやった(これ土木業)。ドブロクもつくったし農産加工もした(これ食品産業)。堆肥もつくれば草も刈った(これ肥料製造業、飼料製造業)。(43頁)
 素性の定かでない原料(輸入原料)をこねまわして工業的につくられる加工食品、宣伝によっておいしいと思い込まされ、宣伝によって需要がつくられる食べものを拒否して、それぞれの土地柄にあった素性の知れたうまい食べものを創り上げてゆく、それが農家なのである。(45頁)
 同じ大根でも、これは煮物用、これはタクアン用、これは塩漬け用と区別してつくられるのは農家である。作る人と食べる人が分離していない。貯蔵・加工・調理する人と食べる人も分離していない。(46頁)

 この自給による自立という行為の総体が、日本のどのむらむらにもあった「習慣と道義による調節作用」そのものなのである。そしてこの自給による自立という「習慣と道義による調節作用」こそ、米の自由化に対抗して忽然として力を強め、米の産直をベースに産直運動を拡大した根元的な力である。

◆日本の米を守っている根本的な力は何か

 自然と人間の調和する農山漁村空間を都市・農村の共生の空間としても形成しようとする現時点の課題に照らすとき、「習慣と道義による調節」のもつ意味の重要性がいっそう高まる。それ故に、レイ=イネイの「習慣と道義による調節」概念は、レイ=イネイが考えている以上の意味をもつ。とくにアジアの先進資本主義国日本の経済を考える場合には、決定的に重要な意味をもつのである。
 戦後日本においては、敗戦による西欧民主主義への拝跪と食料不足によって、食べものに対する「習慣と道義による調節力」を弱める社会的潮流が強まった。アメリカ余剰農産物をさばく市場形成のための「米食」に対する「科学的」批判の嵐は、「コメを食うと頭が悪くなる」といった類の「科学的キャンペーン」を「医学博士」が展開するという狂気の沙汰の「パン食普及運動」であった。
 それに対して「米食」を守る闘いが起こった。昭和44年(1969年)2月発行の当会の季刊雑誌「農村文化運動」は「米食について――栄養学・医学・生活科学の立場から」を特集し、「主食としての米を考える」(日本女子大教授・桜井芳人 栄養学)「米の栄養――米は第一級の主食である」(食糧研究所・宮崎基嘉)「米食と病気――都合の悪いことは何もない」(佐久総合病院長・若月俊一)「食生活の将来――米食基調は変わらない」(国立栄養研究所・岩尾裕之)「食生活の考え方」(明治学院大助教授・岩本正次)の論文を掲載している。「習慣と道義による調節作用」の現れとしての日本型食生活を守る運動がこのころから展開されているのである。昭和55年10月、農政審は答申の第一章に「日本型食生活の形成と定着――食生活の将来像」を掲げ、つづいて昭和60年5月に厚生省は「健康づくりのための食生活指針」を出して日本型食生活の推進を図った。
 この日本型食生活を守る運動が、「食料経済」における「習慣と道義による調節」の力を保持し、強め、自然と人間の調和をめざす空間形成の上で大きな調節力を発揮してきたのである。
 三度にわたる米の自由化に反対する国会決議(「政府の調節」)があっても、米の輸入は強行された。また、安さを求める「市場の調節」にゆだねておけば安い外米が定着してもよさそうなのに、それは発揮されなかった。これは日本型食生活を守る食文化運動によって、日本の米を食べ続ける「習慣と道義による調節」の力が発揮されたからである。こうして今日、日本の米を守っている根本的力は、この「習慣と道義による調節」の力にほかならない。

◆産直の発展は新しい市場原理、
生産原理を提起する

 さらに重要な「食料経済」の動きは、「米の産直」である。現在の産直の流れの始まりは日本有機農業研究会のリードによって形成された「生消提携」の「道義的」産直である。この「安全で、新鮮で、栄養があって、おいしい」有機農産物の産直運動は、今日では農家が、地域地域の特色を生かして生産・加工・貯蔵・調理して総合的に「地域を売る」、新しい「農都提携」の食料経済のうねりを作り出したのである。
 「産直」は大量生産・大量販売の市場原理に対抗して、地域の特色を売り物にする多品目少量生産・多品目少量販売に道をひらいた。すなわち、その土地その土地独自の品種を台頭させ、地域独自の栽培方法、独自の加工方法、独自の調理方法を再発見させ、農家のもつ「自給」の能力(習慣と道義による調節力)を、新しく、地域の特色を売るという場面に再現させたのである。また、産直は「競争」の概念も作りかえた。他者に打ち勝って市場制覇をめざす「勝つ市場競争」ではなく、大量生産・大量販売の市場の原理に負けない、「負けない市場競争」の流れを作り出したからである。
 「負けない市場競争」においては、日本一の品質はそれぞれの地域にそれぞれある。青森には青森の日本一おいしい米があり、鹿児島には鹿児島の日本一おいしい米がある。日本一はいくつあってもよいのである。
 その地域、そこの土に適する品種は、その地域、そこの土にとって日本一の品種である。他の地域に適する別の品種は他の地域にとっての日本一の品種であろう。日本一の品種はいくつもあるのが当たり前である。
 それぞれの土地・風土に合った品種がそれぞれの土地・風土を活かした栽培方法で栽培され、加工・貯蔵される。そしてその地域の伝統的な調理法によって味付けされる。日本一の食べものはそれぞれの土地において違う。そして自分の地域の食べものだけでなく、他の地域の食べものも賞味し、その調理方法に学んでいっそうおいしい自分の「地域の味」を作る。このような多元的価値の多様な形成こそ、自然と人間が調和する地域を形成する道にほかならず、すなわち「習慣と道義による調節」の顕在化である。
 もちろんここでいう地域的な独自価値は、閉鎖系の問題ではない。たとえば品種においても、その土地にもっとも適したすぐれた品質の品種は、その土地にある品種の交配だけでは作れない。広い範囲のよその地域の多様な品種との交配の中から、その土地にもっとも適した品種は作られるのである。地域間の交流と競争が、それぞれの地域の独自性を高める。排他的・閉鎖的な独自性ではなく、相互交流の中で(つまり自由市場の中で)生まれる独自性は「勝つ市場競争」ではなく「負けない市場競争」から生まれるのである。かくて「習慣と道義による調節力」とは、他地域との交流を前提に自給の能力を高め、それぞれの地域の豊かな独自性、を開発する力である。そして、これは市場原理そのものを変革してゆくのである。すなわち、「交換価値」という非個性的な資本の要求を実現する「市場原理」を、「使用価値」という個性的人間の要求を実現する「市場原理」へと変革するのである。
 この論理は農以外の生産分野においても貫かれ始めてきた。それまでの「画一品の大量生産」という工業生産のシステムを、コンピュータを用いることにより、「多品目少量生産物の大量生産」という新しい大量生産の段階へと発展させてきたのである。かって「農業生産の工業化」が「近代化」「企業化」というスローガンで推進され、農業も食べものも駄目にした。しかし、今日では立場は逆転した。工業自身が「商品の差別化」というスローガンで、多品目少量生産の農業的生産手法を取り入れているのである。

◆東アジアの農耕の原則を存続させてきた
「習慣と道義による調節」

 農業生産は「むしろ小と良を可とし、多と悪を不可とすべし」――今を去る1500年前の古代中国、北魏の
カ=シキョウによる農書「斉民要術」の一節である。農業は耕地面積は小さくて、十分手を入れ、単位面積の生産を高めるべきである。決して面積の多いことを狙い、手間を省いて粗い生産をしてはならない、という意味である。確かに東アジアにおいての農耕の原則「精耕細作」は2000年間、3000年間、連綿として変わることなく今日まで続いている。これも「習慣と道義による調節」が今日まで作用し続けていることを示している。
 地域地域の特色を活かした品種を開発し、さまざまの自然条件=気象・山・川・土壌・そこに住む微生物を含めた全生物、さらにその地域地域で異なるその地域の人間の生産と暮らしの歴史・伝統、つまり、「自然的空間」ではなく人間の存在を前提とする「歴史的生命空間」の特質を活かすことによって、農耕と暮らしが調和し、自然と人間が調和した地域が作られる。
 「むしろ小と良を可とす」――農耕の外延的拡大ではなく、内包的充実。今日的段階でいえば「農業の六次産業化」の実現。それが1500年前の「斉民要術」の教え=「むしろ小と良を可とす」の現代版なのである。「習慣と道義による調節」は数千年の歴史を貫いている。

◆あらゆる策を講じて、都会に出て定年を迎える
息子達をむらに呼び戻そう

 そもそも日本の農耕が続いていること自身が「習慣と道義による調節」による。労働市場という経済的立場から農村を見れば、「市場の調節」のおどろくべき弱さをまざまざと見ることができる。
 農業従事者の五九%、基幹農業従事者の54%を60歳以上の高齢者が占めている。これは明確に「習慣と道義による調節」による。決して「労働市場の調節」によるものでもなければ「政府の調節」によるものでもない。
 決して、息子が親不孝で親を都会に呼んでくれないから年老いてなお余儀なく農業を営んでいるのではない。都会の息子は、家をたたんで都会に来いと呼んでくれている。しかし、先祖代々耕し続けてきたこの田と畑を耕し続けることを止めにすることはできない。オレの力がある限りは耕し続ける。この「習慣と道義による調節」の力が今日の日本の農業を支えているのである。そして重要なことは、高度経済成長の最中に都会に出た農家の息子達は、今ようやく定年を迎えようとしていることである。この息子達に家に帰ってもらい「人生80年」の時代の長い老齢期を新しい「田舎暮らし」として創造してもらう。先祖代々の農耕を守り、墓を守るという「習慣と道義」による帰農を実現してもらわねばならない。
 この息子達の胸には「習慣と道義による調節」の力が作用する「心」が残っている。しかし、この息子達の子どもには「習慣と道義による調節」が作用する「心」は枯れている。息子達を「むら」に戻すことができれば、次にはその子ども達をむらに呼び戻して、人生80年時代の新しいライフサイクルがつくれる可能性がある。そして、数千年続いてむらを守ってきた「習慣と道義による調節」が生き続けられるのである。この数年間が「習慣と道義による調節」の力の存続の分かれ目であり、最後のチャンスなのである。
 「政府による調節」はもとより、すべての力を「習慣と道義による調節」の力を発揮させるために結集し、高度経済成長の時代に「むら」を去った人々を呼び戻さねばならない。役場も農協もそのために万全の策を講ずべきである。今むらにいる人々は、血縁、地縁、学校同窓縁はもとより、新しく形成されている「産直縁」など、ありとあらゆる「縁」を活かして「むら」に人を呼び戻すべきである。今年、何人に働きかけるか。新年に当たって是非とも計画を立てていただきたい。一年の計は元旦にあり。
(農文協論説委員会)


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