主張
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農文協トップ主張 1997年4月号
ライフサイクル革命が始まった
普遍性に頼らず地域独自の
日常生活文化・生産文化に頼る


◆高齢農業者はなぜ元気なのか

 下のグラフは農業就業人口(男性)の平成2年と7年での変化を見るためにつくられたもので、平成7年版の「農業白書」に掲載された。このグラフをどう読むかが、今後の農業・農村をどうとらえるかのカギになる。まず、第1に、平成2年にピークをつくっている60〜64歳世代(昭和元年〜5年生まれ)が5年後の平成7年になっても、農業をリタイアしないで健在でいるという事実である。第2に、平成7年の60〜64歳世代(昭和6〜10年生まれ)は、平成2年の55〜59歳の世代がそのまま移動した数より3割も多いこと、つまりこの世代に3割もの新規就農者が生まれているという事実である。
農業就業人口(男性)の平成2年と7年での変化

 日本の社会全体が「高齢時代」から「超高齢時代」へと推移するなかで、この2つの事実が持つ意味を掘り下げてみる必要がある。統計の背後に見える、昭和1桁世代の生き方の変化に立ち入って考えてみることで21世紀の社会が見えてくる。
 まず、平成2年のピーク60〜64歳の人たちの大部分が農業をやめていないことを、どう解釈したらよいか。しかたなくつづけているというのでなく、自分の身体が達者なうちは「生涯現役」でがんばろうと決意したと読むべきである。もちろん決意だけで生涯現役が貫けるなら苦労はない。肝心なのはこの数年驚くべき技術開発がこの熟年世代を中心に進められていることだ。いわゆる「試験場技術」ではなくて、あと10年がんばれる「身体に合った技術」(『現代農業』では、「小力技術」と呼んでいる)を、この世代の農家が自分自身で作り出しているのである。昭和初期、戦後増産期、昭和40年代稲作増収運動期など幾多の経験を「技能」として蓄積してきたこの世代の人たちは、その経験を生かして多様な小力技術を開発しはじめた。
 自然力を最大に活用することをベースに、最新の機械力の助けをも借りながらの小力技術の開発なしには「生涯現役」農業は成立しない。この小力技術開発のエネルギーこそが、白書に現われた「平行移動」を可能にした最大の要因になっているのである。

◆暮らすための農業、農村

 第2に、60〜64歳に新規就農の大きな波が現われ30%増になっていることをどう読むか。
 これまで新規就農対策といえば、新規学卒者かUターン若者対策ときまっていたし、それを期待する向きが多かった。だが現実におきているのは、定年退職者の新規就農の巨大な波である。この人たちは、戦後の昭和20年代以降に他産業に就いた人々である。40年の勤めを終えて、農村・農業を第2の人生に選択する波が始まった。多少の退職金と年金を持った彼らが求める農業は「暮らしのための農業」である。時同じくして農村内部では、昭和1桁の農家高齢者が小力技術を駆使して「暮らしのための農業」を準備している。そして、農村女性は貯蔵加工の技を駆使し、朝市直売所でお客さんをもてなし、「農工商複合経営」(一次、二次、三次の総合された産業にすること)を準備している。ここに定年退職者の40年の仕事の中で培ったさまざまな技能・人脈が合わさり活かされていく。
 この波が、さらに昭和30年代の高度成長期就職世代に引き継がれれば、都市から農村への巨大なうねりに発展する。都会の息子が農村の両親を引きとるのでなく、農村の両親が息子を迎え入れる。それがいま、形成されようとしている新しいライフスタイル、ライフサイクルである。
 平成5年、3重県で産声を上げた「高齢者協同組合」は平成8年には10県11組合に及び、平成9年には倍増する見通しである。灰色の暗い「高齢社会」像、「高齢者お荷物観」に対して反旗を翻し、自立したライフスタイルを求める動きである。高齢者協同組合は地域社会に役立つ仕事を、生きがいと誇り持って組織したいと思っている。
 農村地域を持つ市町村は、足元の農村地域の高齢者・女性のパワー、地元出身者等の固有の人脈とその動向に注目し働きかけ、結合させなければならない。生きがいを持って働ける場としての、また快適に住める環境としての「農村空間」にわが町を作り変える努力が求められているのである。

◆地域の発展を自然とかかわる技能から考える

 1切の固定観念を捨てて今注目すべきなのは、昭和1桁農家を中心とする小力技術革命、農工商複合経営への取り組みと、高度成長期の間休眠していた地域自然と共にある体験や技能である。
 農家の技術を試験場の科学的技術に置き換えることはできない。科学的・化学的農法がかつてなく強力に推し進められた農業基本法時代においてさえそうであった。昭和40年代前半の稲作増収運動、50年代中葉の4年連続不作と韓国米緊急輸入時の全天候型稲作運動、平成大凶作とガットウルグアイラウンド妥結翌年の良食味・小力の1俵増収運動など、これらを支えた稲作技術はすべて農家が開発した技術であった。
 こうした農家の技能は3つの位相を持っている。1つは、自分が食べて健康に働けるための生産技術であり加工料理技術である。2つには、自分と家族にとって良いだけではなしに、自然や土を悪くしたり壊さない、そしてコストがかからない生産技術である。3つには、自慢の農産物、自慢の手料理でお客さんをもてなせる思いを伴った技術である。それは栽培と加工過程における努力と工夫のエピソード(悲喜こもごも)が含まれた産品であって単なる商品ではない。朝市や産直で農家が売っているのは農産物に込められたエピソードなのである。

◆ほんとうの経営改善
――第1のステップ「自給」の強化

 技術指導から経営指導へ、というのが農家を指導しようとする側のスローガンになっている。そのときの経営指導は簿記を教えるという水準を出ていない。新しいのはそれをパソコンでというぐらいである。
 農家の側からみると、経営改善の目的は手取り収入を多くすることであり、はりあいのある働き方に変えることであり、もっと言えば暮らしを豊かにすることである。
 今年で20回を迎えた「東北農家の会」での話である。
 Tさん「米価が2000円下がった。面積が1割増えたのに、1昨年より売上げが下がっている。地元の不況も感じる。経営的にはもっと自給部門を強化しないといけないと考えている」
 Sさん「子どもたちに金のかかる時代。しかも家を建てた。経済に関心をもっているが、日本の経済の行く末がわかる人はいない。なら楽しく農業をすることだ。自分で腹を決めてやっていくことだ。わがままに、自分自身に正直に生きていきたい」
 Yさん「私は、来年4月で60歳になる。これからの農業のほうが夢も希望もあるように思う。身の回りにある動植物が与える力、それがわかったら農業はおもしろくなる。鶏を飼っても何をしても本当の意味で面白くなりそうだ」
 大規模農家の模範と言われる大潟村の出身者も交えての交流会である。誰に遠慮することもないこの席で、農業経営部門の責任を1身に背負っている農家が「自給部門」の強化を訴えている時代なのである。自家用野菜の延長で、朝市・直売所に取り組む妻や母親の元気をいつも横目に見てきた経営主が、そう発言する時代なのである。
 農家の暮らしと勤め人の暮らしとの1番の違いは自給生産にある。自給自足というと時代遅れの、閉鎖的な、そして発展のないイメージがつきまとうが、そうではない。「日本の食生活全集」に登場した5000人のおばあちゃんが語った食べものの世界は、家族・近隣の老若男女すべての味覚と健康を満たし、地域の自然をまるごと活用する「思い」と「技能」に支えられたものであった。経済の高度成長期以来の、こうした自給力の衰退こそが農家農村の未来を暗くする元凶である。
 現代における経営改善の第1ステップは、この自給力の回復にある。じつは、すでにそうした取組みは各地で澎湃として沸き起こっていて、本誌でも度々取材されている。

◆第2ステップ
――小力技術のネットワーク

 経営改善の第2ステップは小力技術(身体技術)である。小力技術は、自分の体力、知識、技能、嗜好などを総合的に勘案して自分に最も合う技術を選択することである。さらに、その小力技術を村全体のものにする(ネットワークをつくる)ことである。
 本誌1月号194頁に「反当9万円もうかる集落営農のしくみ方」という福島県原町市の前向グリーンシステムの記事がある。中見出しは次のようになっている。
・他用途米でも1反あたりの利益が9万9411円!!
・7町2反の田んぼは9戸の共有田
・母ちゃんが1番喜んだ乳苗
・乳苗は増収技術だ
・流し込みなら5回の追肥も朝飯前
・年に3回のお祭り
 1町歩区画のような大きな田んぼでの新しいイネつくりというと、一般には直播ということになる。ところが、ここでは乳苗と流し込み施肥という小力技術が選ばれた。広く行なわれている湛水直播方式に比べて作業時間が短くてすむというだけではない。コシヒカリを作りこなしたいということもあったし、1等米を多くして反あたりの米の販売代金を高めたいということもあった。さらに、苗箱が軽いうえ少なくてすむ、催芽モミで240gも播くから田植機で125mを往復でき、苗運びをしていた母ちゃんたちが1番喜んだという技術選択だった。こうした技術が大きな手取りを生むのである。
 もうひとつ、本誌3月号207頁の「モミガラだけで育ったキュウリは、病気をしょわない苗になる」を見よう。見出しは、
・置いとくだけでできちゃう(モミガラ)培土
・根が鉢土の中へグーッと食い込む
・肥料の入った培土の苗は、病気をしょって本圃に出る
 これは、キュウリの大産地、群馬県板倉町の松本勝1さんの「究極の小力技術」である。「息子が継ごうが継ぐまいが俺は死ぬまでハウスをやるぞ」(91年1月号)と決めた松本さんの小力技術は徹底している。上記モミガラ培土以外にも、株間をどんどん広げて坪3本植えにしたり、不耕起連続栽培でハウス内の夏場耕起を省略したり、誘引なしのネット栽培を編み出したりと、死ぬまでやれる小力技術開発は止まることを知らない。当地は、日本1のキュウリ産地であるが、その中でも松本さんの収量・秀品率がかなり高いのも、土を土台にキュウリの自然力を活かした小力技術の故である。
 コストダウンが先にあるのではない。自分の身体に合わせ知恵と技能を駆使した技術が本当の儲けを生む。その先達者が全国どこにでもいるのである。

◆第3ステップ
――農工商複合経営で、千客万来産地へ

 「農工商複合経営」の推進もすすんできた。農業は一次、二次、三次産業を総合した六次産業だという、今村東大名誉教授のアピールも昭和30年代の「水田プラスアルファ農業」に匹敵する注目のされ方である。事実、食べものとしての農産・加工品を消費者との交流の中で届けている農家は規模を問わず元気だ。経営改善の第3ステップは、農工商複合経営化あるいは農業の六次産業化である。
 本誌2月号252頁「私のキャベツは世の中に必要とされている!」の石川県・大徳尚さんは次のように言う。「私が野菜をつくって市場に出荷するようになり、市場競争の厳しさがわかり始めたころ、つくづく感じたことがあった。「野菜づくりとは、世の中が必要としないものを1生懸命つくること」だと。このキャベツが誰にわたるのか、いくらで買われるのか、まったくわからないまま、市場でセリにかけられる。誰も期待していないものをつくっているように感じて、いつも恐かった」。今は、ビタミンいっぱいのキャベツ、ロールキャベツで最高のキャベツ、あまくてやわらかいキャベツを、市場を通じて常連のお客さんに周年出荷(15品種)できるようになった。
 1人1人、1軒1軒の個性を生かした経営がまとまると、そのままで「むらまるごとの観光農園」になってしまう。2月号63頁「むらまるごとの観光農園だから、いつどんなお客さんが来ても何かがあるよ」で取り上げた、埼玉県横瀬町・宇根フルーツパークがその例だ。そこでは、イチゴ狩り、リンゴ狩り、シメジ狩り、ユズ狩り、サツマイモ掘りなど何でもできてしまう。自給の漬物や市場出荷に向かないが農家が食べる美味しい野菜でも何でもが、持ち帰りのお土産になってしまう。有料であっても内実はお土産なのだということが大事な点である。さらに、茶摘み体験、リンゴ栽培体験、ソバ栽培体験、シメジ栽培体験など、種蒔きから収穫・加工・料理・食事まで丸ごと体験できる。ここにしかない観光農園ができあがる。

 21世紀に生きる経営事例やむらづくり事例は、『現代農業』に掲載された十数年の農家実践から数え切れないほど検索できる。農家の経営改善をどうするか考えるとき、改善を妨げているのは旧来の、技術は普遍的なものとする考え方と、経済合理性への信奉である。指導する側も指導される側も、固定観念を捨てて百年千年の単位で培ってきた農家の叡智に学ぶべきである。そこから、地域の未来は構築される。
(農文協論説委員会)


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