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農文協トップ主張 1992年10月

土−食べもの−身体の活性(活真)を回復する科学、技術の創造を

目次

◆深刻化するアレルギー症と身体の活性
◆土と身体は互いに活性を与え合う
◆養分供給技術から活性化技術へ
◆食品加工による食べものの活性低下
◆昌益の「土活真」「胃土活真」「炉土活真」の輝き

 土が病《や》めば人も病《や》む──種々の現代病、現代の人間の身体状況の背景には、土、あるいは食べものの現代的なゆがみがある。そのゆがみの問題を“活性”の低下という視点からとらえてみたい。ゆがみは単なる栄養の問題ではないからである。

 活性は栄養(=モノ)とは次元を異にし、モノの世界の根源にあって、これを活かしめぐらす力である。江戸時代のの思想家、安藤昌益はこれを“活真《かつしん》”と呼んだ。

 土─食べもの─身体、ここに通底する「活性」に目をむけるとき、現代の課題が浮かび上がってくる。

深刻化するアレルギー症と身体の活性 イースト・コネクション説を手がかりに

 まずは身体(健康)について。現代を象徴する問題の一つ、深刻化するアレルギー症について考えてみよう。

 少し前、厚生省は「子供の三人に一人はアレルギー症状をもっている」と発表した。アレルギーは体内にとり込んだ異物に対する身体の過敏反応の結果とされている。その原因物質は花粉、ダニ、食べものとさまざまだが、食べものでみてみると、牛乳や肉といった従来の日本人にはなじみの少なかった洋風の食べものだけではなく、コメやダイズ、魚といった日本の伝統的な食べものまでが原因になっているところに、現代のアレルギーの複雑さがある。これまで“異物”でなかったものまで、異物になってしまうのである。

 最近アメリカでは、アレルギーの原因として“体内のカビ”が注目されており、ウイリアム・G・クルックという医学博士がその辺の事情をとりまとめている(『イースト・コネクション』農文協より訳書刊行予定)。

 それによると、アレルギー性皮膚炎ばかりではなく、内臓疾患や精神症状まで引き起こす食物アレルギーの原因には、食物タンパクばかりではなく、イースト菌(主にカンジタ菌)などの真菌類=カビが体内ではびこることが関与しているとしている。

 人間の腸管の粘膜はリアス式海岸のように入り組んでおり、その表面積はテニスコートほどもあってそこには無数の腸内細菌が棲み、栄養分の吸収などを手助けしている。こうして人間と微生物は共生関係をつくっているのだが、その細菌相がみだれてイーストがふえると、体が変調をきたすというのである。イースト菌が過度に増殖すると、免疫機構が弱まり、各種のアレルギー物質を封じることができなくなる。

 イースト菌をふやす要因はどこにあるか、現代の食品には多くの砂糖とイースト菌が含まれている。また経口避妊薬、妊娠そのものがイースト菌の成長を助ける。月経周期におけるホルモンの変化も同じ働きをする。さらに、抗生物質、特に汎用性抗生物質は、あたかも夏の雨が雑草を急激に生長させるように、イースト菌を過剰増殖させる。このような薬剤は病原菌を殺す一方で友好的な細菌をも殺してしまう、とクルック博士は述べている。

 現代の人間がつくり出す物質や食べものが、腸内細菌に悪影響を与え、身体の防衛能力、つまり活性を低下させ、アレルギー症をもたらしているというのである。

 ところで、このイースト菌はパンなどの発酵食品に含まれており、どこにでもいる微生物である。もともとおとなしい菌で、正常な身体に住みつく力をもっていない。彼らが問題をおこすのは、防衛能力が弱まった人に限られるという。したがってイースト菌だけが問題なのではなく、また異物の存在だけが問題だということもできない。身体の防衛能力(活性)の低下、象徴的にいえば腸内細菌の活性低下が両者を結びつけてアレルギーを起こす。ここにアレルギー症のむずかしさがあり、現代病である由縁がある。

 人間は生命発生以来の長い道程のうえに生まれたが、かつて生命にとっての外環境であった海水を体内にとりこんだのが血液であるように、腸内細菌も人間が栄養代謝を行なううえで必要不可欠の共生者として体内にとり込んだ。

 アレルギー症増加の要因として、これまで水質の悪化、各種化学物質の影響、食生活の偏り、ミネラルの過不足などがあげられているが、これらは、人間の不可欠の共生者たる腸内細菌に多大な影響をもたらすであろうことは容易に想像できる。あたかも、土において、水質、化学物質、栄養、ミネラルが土壌微生物の存在に多大な影響を与えるのと同じことである。

土と身体は互いに活性を与え合う 下肥の働きを手がかりに

 身体でおきていることと土でおきていることをいっしょにするのはムチャな話と思うかもしれない。しかし、どちらもそこで微生物を介した物質代謝が行なわれ、そのありように人間がつくりだしたさまざまな物質が影響を与えている点では共通している。実際、おきている現象もまたよく似ている。

 腸内細菌を根圏微生物に、イースト菌を病原菌に抗生物質を土壌消毒に、アレルギーを土壌病害、あるいはアンモニアの過剰吸収による作物の弱体化にとおきかえていけば、驚くほどに事態は酷似している。リゾクトニア菌による立枯病など、イースト菌のようにもともと病原性の弱い“日和見菌”による土壌病害がふえているのも共通している。水質の悪化や肥料分の偏り、濃度障害が根の衰弱、根圏微生物相の貧困化・単純化をすすめ、土壌病害の誘因になっていることも、たいへんよく似ている。

 この共通性は、身体が土を、自然をとり込んで、──いいかえれば自然に呼応する形で形成されたことに、その根拠を求めることができよう。自然のゆがみを身体が映しとるのである。

 ところで、身体と土は、微生物をとおして直接的に結びついていたという興味深い話がある。下肥の利用というしくみをとおしてである。

 人間の大便は四分の一が固型物であり、その三〇%が腸内にいた乳酸菌などの嫌気的な細菌だという。かつて、人間が排せつするし尿は「下肥」としてじっくり熟成された。乳酸菌など人間の体内にいて健康維持に働いてくれる菌と、肥だめに飛び込んでくる好気的な菌が連合して、十分発酵したのが下肥なのである。味噌や漬物などの発酵食品になくてはならない乳酸菌を、先祖は下肥づくりにも生かしていたのである。この乳酸菌は代表的な発酵型の土壌微生物でもある。

 したがって、よく熟成された下肥は単なる肥料ではなかった。酸素がなく、硫化物、硝化物などによる“汚染”の固まりであった時代の地球に発生し、それを“浄化”した古い微生物である嫌気性微生物群と、その後、酸素がふえ有機物が多くなって活躍するようになった好気性微生物群が連合してつくられた菌体肥料が「下肥」である。しかも土に穴を掘って熟成された下肥には、土のミネラルもとり込まれていた。地球上で生きる生命様式の歴史のすべてがそこにそなわっていたとみることができる。

 それは肥料というより液体土壌活性化資材というべきもので、田畑で、生命の正常な回転が行なわれることを促がす役割を果たしえていた。その総合的な効果が、ようやく現代の科学によっても評価されつつある時点に、今はある。そこに、N、P、Kなどの養分の流れだけではとらえられない、活性の世界の一断面をみることができよう。

 こうして土と身体は、ともに自然の歴史を含みつつ互いに活性を与え合う関係としてとらえることもできるのである。その関係にゆがみが生じているのである。

養分供給技術から活性化技術へ 自然由来の「生理活性物質」への注目

 活性に目をむける時、今、各地でさまざまにとり組まれている農家の工夫の価値がみえてくる。

 たとえば、従来の肥料や土壌改良剤とは大きく異なる資材が注目を集めている。木酢、クエン酸、植酸などの有機酸、天然岩石から抽出したミネラルを含んだミネラル水、電気や磁気などで処理した水などである。これらに共通する特徴は、それ自身は養分というより、土を活性化させることにむけた資材であるということである。これらの資材は、土に溶けにくい形でたまった養分を動かすとともに、根の活力を高める。

 現代は、モノがあふれる中で、モノの動きがぎくしゃくし、モノが環境を悪化させ、一方ではモノの不足がおきるという時代である。土の問題でいえば、石灰やリン酸がたくさんたまっているのに、作物に石灰欠乏やリン酸不足による生育の弱体化がおこる。一方、たまった養分は土の物理性を悪化させる要因にもなっている。だからモノを入れることよりも、土自体の活性化が求められるのである。

 おもしろいのは、これらの資材はなんらかの意味で“自然的”であることである。木酢やミネラル水は木や種子、岩石という自然物から得られるものであり、有機酸への注目は根が分泌する根酸から学んだものである。かつて山から流れでる水はそもそも「活性水」であった。海水からつくった肥料が注目されていることなども考えると、活性の源は自然のなりたちそのものの中にありといえそうである。

 一方、身近にある「生理活性物質」の活用も注目を集めはじめた。今月号の図解ページで紹介したが、植物由来の物質で作物の活性を高めようとする工夫である。ダイズや、トウモロコシの未熟種子の利用(タネにはホルモンが凝縮されている)、タケノコやクマ笹など生命力の強い植物のエキスを利用する工夫、各種の生長促進物質が含まれているクズゴメなどの利用など……どれもこれも市販のホルモン剤(薬品)とはちがった、総合的な活性強化の効果が期待できる。これらは生体物質の利用であり、これに微生物の発酵の力が加われば、その効果はいっそう高まる。作物の活性を高めることによって食べものとしての質が向上する。

 たとえばトウモロコシの未熟種子のゆで汁を土に施用すると作物が増収するだけでなく、作物体内の硝酸含量が大幅に減るという。チッソの代謝活性が高まり、余分なチッソを含まない安全性の高い作物ができるのである。

 養分の供給から作物の活性化へ、技術の重点は明らかに移行してきている。

食品加工による食べものの活性低下 ぬけがらになった栄養素

 今後、人びとはますます作物に生きのよさ、活性の高さを求めるだろう。身体がそれを要求する。そこには、活性を失った食品が氾濫しているという事情がある。

 二一八ページで八藤眞氏がたいへん興味深い指摘をされている。現代の食品加工では、その過程で多くのミネラルが失われているというのである。たとえば味噌でいうと……。

 まず原料の大豆や大麦は輸入の途中でくん煙処理される。くん煙には臭素ガスなどが使われるが、これは酸性雨以上の強力な酸化作用をもたらし、それを中和するために穀類のミネラルが使われ消費される。その大豆はその後、次亜塩素酸を含む水道水に浸漬され、その塩素がダイズの細胞を溶かすために、にごり水となって栄養素の溶出がおこる。さらに蒸煮時の高温加熱によっても栄養素が溶け出してしまう。こうして、大豆がもっていたミネラルなどの多くが失われ、ぬけがら同然になってしまうというのである。

 ぬけがらといってもたしかに栄養素としてのデンプンも脂肪もタンパクも含まれている。しかしそれらを集めて構造体を形づくっているミネラルなど生理活性物質が失われる。栄養素ではなく、活性が失われる。身体に引き継がれるべき土・作物の活性が、大量食品加工によって断ち切られる。

昌益の「土活真」「胃土活真」「炉土活真」の輝き 人為のかなたに自然世がある

 土─食べもの─身体、その内的な関係が弱まりそれぞれに活性の低下が進む──現代の文明には、そうしたベクトルが働いている。人間自身がつくり出した環境によってである。それは腸内細菌に象徴される人間の内なる環境(=内なる自然)にまで重大な変化をもたらしている。

 しかし人間自身が環境をつくり出している以上、人為によって自然力=活性を生かす以外に、人間はなすすべをもたない。

 安藤昌益は気ままな「人為」を徹底的に批判し「自然世」を構想した。それは活真がめぐる世界である。活真とは万物の根源であり、万物を形成し、形成した万物の中に宿り、これを生きつづけ再生産させる。したがって活真はさまざまな所に内在する。そして土こそ活真そのものであり(土《ど》活真)、それを体現するのが「胃土《いど》活真」「炉土《ろど》活真」である。胃土活真とは身体に位置する活真であり、炉土活真は炉《いろり》のそれである。

 ここで「炉」が登場するのは、人間の存在は、土を耕し穀物を得る屋外の労働と、生の穀物を炉で食べものに変える屋内での作業との、二つの「直耕」によって支えられていると昌益が考えているからである。「炉」への着目は、土の活真を受けついだ作物を、その活真を失わない形で利用することの重要性を感じていたからだろう。医者でもあった昌益は、医と食を同次元でとらえていた。

 土と食べものと身体、これらは昌益にとっては、活真がめぐる一つのものであった。これこそ農の思想に他ならない。「医」「食」「農」は農の思想において固く結びついており、これがバラバラになれば、それぞれの活性(活真)も衰弱する──昌益はそう考えた。この昌益の思想=農の思想は、現代においていよいよ輝きをましている。

 農の思想と自然力=活真=活性を生かす科学・技術の創造によって、土と食べものと身体との新しい結合を展望したい。人為の透徹による「自然世」の創造が現代の課題である。

(農文協論説委員会)

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