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農文協トップ主張 1992年08月

農家が元気なら農政も変わる
「新しい食料、農業、農村政策の方向」を読んで

目次

◆農水省版 「自然と人間」の関係論
◆「経済効率だけでは律しきれない」と農水省がいう
◆イナ作農業の新しいイメージを描く
◆農家が元気なら農政は変わる

農水省版「自然と人間」の関係論

 わが国は、急峻な地形で、国土の三分の二を森林が占め、山間の小さな土地も水田に変え、これを良好に管理してきた世界に類例のない国である。こうした国土条件の下で柔軟で多様性を持った地域社会を形成し、経済的、社会的発展を遂げてきている。これを支えてきた人材の多くは、地域における独自の価値観や伝統・文化の中で育まれてきた。すなわち、このような個性ある多様な地域社会を発展させることが、国民一人一人が日々その生活の中で豊かさとゆとりを実感でき、多様な価値観を実現することができる社会を育むことにつながるのである。

 以上の文章は、じつはさきごろ農水省が発表した「新しい食料・農業・農村政策の方向」の中からの引用である。国土と地域について、農水省がその考え方を示したものとして注目に値する。

 この「新しい食料・農業・農村政策の方向」(以下「新政策」と略す)は、農業基本法の施行以来三十年を経た今、それを見直し、新しい基本政策を策定する必要を認めた農水省が昨年来検討を重ね、ようやく成案をみたものである。

 全体は、もしこの『現代農業』に掲載すれば四〇頁ほどになると思われる、かなりの分量である。大きく、

 I 政策展開の考え方

 II 政策の展開方向

 にわかれ、IIは、農業政策/農業地域政策/環境保全に資する農業政策/食品産業・消費者政策/研究開発及び主要な関連政策、について述べている。

 ところで、Iの「政策展開の考え方」なのだが、Iは総論でIIは各論という従来の官庁文書の書かれ方とはちょっとちがう。もしそうだったら、総論賛成、各論反対という形で処理してしまえるのだが、よく読むと、Iは政策の前提になる現状の認識にあてられている。だからこの部分は、“農水省は現状についてこのように考えています”という意見の開陳といってよい(この「新政策」の「はじめに」ではこの部分を“論点の整理”だとしているが、これは単なる整理ではない。もしそうなら、もっといっぱい論点はあるはずだ。整理というよりも、とにかく“農水省はこう考える”と、ずいぶんはっきりと意見の開陳をしているのである)。

 その意見の開陳の、国土条件と地域社会のあり方について述べた部分が、冒頭に引用した文章なのである(Iの3の(1)「個性ある多様な地域社会」の項)。

 もう一度目を通していただきたい。これは、いってみれば農水省版の“自然と人間の関係論”だ。農水省が、自然と人間の関係のあり方を論じなければならないのが時代の趨勢なのであり、その趨勢に、農水省は応えている。注目したいのは、その論点を「多様な価値観の実現」に置いているところであって、これは農業基本法制定時代の、選択的拡大という一元的な発想からの転換を意味していると読んでよい。

「経済効率だけでは律しきれない」と農水省がいう

 この「新政策」は、六月十一日の新聞各紙でいっせいに報じられた。一面トップで扱った朝日新聞は「新政策の骨子」として、次の六項目を要約している。

 ◇他産業並みの所得が得られるような中核的農家、組織経営体を育成する

 ◇給料制を導入し、休みをきちんととれるようにするため、農業の法人化を進める

 ◇農家の意欲をそがないよう、一律的な減反は再検討する

 ◇自主流通米の市場取引量を増やすなど、需給をより反映した米価政策をとる

 ◇過疎化を防ぐために条件が不利な地域の環境を整備する

 ◇環境保全型農業や新農業技術の研究開発を進める

 これは上手な要約だと思う。原文と照合しても間違ってはいないし、農水省自身が要約した骨子をそのまま載せるのよりも見識が上だ。具体的な政策について、できるだけ漏れの少ないような表現を工夫している。ただ、具体性を重視した要約だから、“農水省はこう考える”の部分が出てこないのはやむを得ない。

 そこで、“こう考える”の部分を、あえてもうすこし紹介しよう。

 農水省は「多様な価値観の実現」についてたとえばこんな風にいう。

〈将来にわたり広範に存在するであろう土地持ち非農家、小規模な兼業農家、さらには生きがい農業を行う高齢農家などの役割分担の明確化を図ることが重要である〉(Iの2の(2)「農業政策の基本」の項)。

 では、農業そのものについての考え方(認識)はどうか。

A〈農業は、自然に左右されながらも、その力を活用するという特質を持った産業であり、また、先に述べたとおり、経済効率性のみでは律しきれない面を持っている。また、自然に働きかけ、自らの技術と創意・工夫により経営の成果が得られる職業でもある〉(Iの2の(1)「農業経営を担う者」の項)。B〈農業は元来、物質循環を基本システムとし、太陽エネルギーを光合成により利用可能なエネルギーに転換する環境と最も調和した産業である。また、農業は、環境と調和することなしにはその生産活動を長期的に持続させることができない。さらに、農業及び農業が営まれている農村地域は、国土・環境保全といった多面的かつ公益的な機能を有している。そして、これらの機能はそこに定住している人々の適切な農業生産活動を通じて維持増進されている〉(Iの2の(3)「環境と農業の係わり」の項)。 AにもBにも異論はない。こういう考え方に立てば、つぎのような文章も自ずから書かれることになる。

〈経済力にまかせて食料輸入を拡大し、国内生産を縮小させていくことについては、「食料輸入発展途上国の食料調達を困難にするもの」、「農産物の輸出は『土壌』と『水』の輸出であり、輸出国自身の環境破壊を助長するもの」などの国際的批判を惹起するおそれがある〉(Iの1の(3)「わが国の食料供給と食料の輸入」の項)。

 AとBは、どちらも、「しかし」という風につづけられている。まずAの方はこうだ。

〈しかし、我が国経済が著しい成長を遂げる過程で、経済効率性の観点からのみ農業が評価される傾向が見られるようになり、また、「飽食」の言葉に象徴されるように、食料を大切にする気持ちが薄れるとともに、農業者の側でも農業に対する誇りと自信にゆらぎが見える〉。

 Bのつづきはこうである。

〈しかしながら一方で、化学肥料、農薬の投入や家畜ふん尿の処理が環境へ悪影響を及ぼすという事態も生じており、これに適切に対処する必要がある〉。

 どちらも、その限りで適切な指摘であることに異存はない。「経済効率性の観点からのみ農業が評価される傾向」があったから農業に「ゆらぎ」が見えてきたのだ──という認識は正当だ。決してこの逆ではない。“その限りで”と限定したのは、ではどうするのかというところでは、いろいろ議論はあるという留保である。

イナ作農業の新しいイメージを描く

 ところで、この「新政策」には「個別経営体」と「組織経営体」という二つの聞き慣れない用語が使われている。こんな風にだ。

〈一〇年程度後の稲作を中心とした農業構造を意欲的に展望してみれば、「個別経営体」は一五万程度で、その三分の二は野菜などの集約作物との複合経営であると予想される。この「個別経営体」群と、大多数の稲作農家が関わりを有する「組織経営体」群(二万程度)が地域農業の基幹担う経営体として稲作生産の八割程度を占めることになる〉(IIの1の(1)の「稲作を中心とする農業構造の見通し」の項)。

 そして、この二つの用語はつぎのように定義されている。

個別経営体とは、個人又は一世帯によって農業が営まれている経営体であって、他産業並みの労働時間と地域の他産業従事者と遜色ない水準の生涯所得を確保できる経営を行い得るものである〉。

組織経営体とは、複数の個人又は世帯が、共同で農業を営むか、これと併せて農作業を行う経営体であって、その主たる従事者が他産業並みの労働時間と地域の他産業従事者と遜色ない水準の生涯所得を確保できる経営を行い得るもののことである(例えば、農事組合法人、有限会社の他、農業生産組織のうち経営の一体性及び独立性を有するもの)〉。

 まず「個別経営体」だが、これは、これまで使われていた「中核農家」とは明らかにちがう。「中核農家」とは年間就農日数の多寡を尺度として決められた概念であって経営の成果からではない。だから、採算のあわない「中核農家」があっても責任はないのである(六〇歳未満の男子で年間一五〇日以上自家農業に従事した者が農業生産の中核的担い手だということになっている)。

「新政策」にいう「個別経営体」は「地域の他産業従事者と遜色ない水準の生涯所得を確保できる経営」であって、これはつまるところ、農業基本法にいう「自立経営」である(農基法でいう「自立経営」は、家族がほぼ完全に農業に従事できる規模で他産業従事者と均衡する所得のある経営を指す)。少なくともイナ作に関する限り、農水省は他産業に見合う所得を得る経営を育成することを、改めて決意したということになる。

 一方、「組織経営体」は要約すれば、複数の農家による共同の経営で他産業並みの所得を得るものであり、これを育成するということは広義の法人化を推進するというとになる。この点についてはより詳細な、具体的な記述がある(IIの1の(2)の「経営形態の選択肢の拡大」の項)。

〈以下の施策により法人化を換進する。

 (1) 家族農業経営については、その経営管理面を充実強化し、必要に応じて一戸一法人化。

 (2) 生産組織などについては、経営の効率化、近代化を図り、熟度の高いものから法人化。

 (3) 労働力の周年消化、財務基盤の強化、幅広い人材活用が図られるよう農業生産法人の仕組みの整備。

 なお、株式会社については、株式会社一般に農地取得を認めることは投機及び資産保有目的での農地取得を行うおそれがあることから適当ではないが、農業生産法人の一形態としての株式会社については、農業・農村に及ぼす影響を見極めつつ更に検討を行う必要がある。

 (4) 農業経営の法人化に向け、法人の設立・運営の指導、金融・税制面の支援措置などの整備を行う〉。

 これまで、農業生産法人については法律面での不備、運用解釈のあいまいさ、税法上の不利(とくに農事組合法人のばあい)、など自由闊達な経営展開をさまたげる要因が多々あり(詳細は『協同農業研究会報』第一一号の宮崎俊行論文を参照)、さらに、それをカバーするような行政上の「支援措置」はほとんどなかったといってよい。

 この「法人化を推進する」という宣言と具体策も、「農水省の決意」の一つとみてよかろう。

 株式会社についても“適当ではないが農業生産法人の一形態としてならば……”という方向は妥当だ。農業者によるいっそう自由な経済展開の一つの手段として活用すればよい。その法制化には種々の議論を経なければならないが──。

農家が元気なら農政は変わる

この農水省の発表した「新政策」については「玉虫色だ」という批判が多い。しかし、玉虫色というのは、別のいい方をすれば、さまざまな選択肢を議論の材料として提案したということにもなる。

 だから、いちばん大事なのは、さまざまな選択肢のどれをとるかということである。「新政策」は「まえがき」でつぎのようにいっている。

〈直面している事態の緊急性と重要性を踏まえて、広く国民の理解を得つつ、今後、この方向に沿って所要の制度、施策を見直し、段階的かつ着実に新たな政策を実現していくこととする〉。

 段階的に実現していくという、そのプロセスを、どこに重点を置いて(どのような順序で)行なうかは、これから決まること。なにを緊急と見、重要と見るかがポイントになる。

 だが、その判断は農水省が独断でやるわけにはいかない。ウルグアイ・ラウンドの決着のしかた、今後の世界の食料需給は、「新政策」もいうとおり、逼迫基調で推移することは確実だが、その逼迫の程度、地球環境の保全についての国際的合意のあり方などによって左右される。

 さらにもう一つ、これがもっとも重要な要素なのだが、これから先、農家一戸一戸(あるいは一人一人)が自分の経営についてどのような意志決定をするかという点である。農家の内発的な経営展開こそが農政を決定する。昭和三十年代前半に、徳島県の勝浦町や香川県の立間に起こった法人化の動きを、国が農業生産法人として追認したのも、農家自身の内発的な経営展開があったからこそのことである。農政の方向は、長い目でみれば、農家そのものの創意工夫の如何にかかっている。とくに行政を行なうほうに迷いがあるときはそうなる。農家が元気なら農政は農家に有利に変わる。農政が変わることで農家が元気になるのではない。

 最後に、いま全国の農村で発生している内発的展開の一つの特徴について触れなければならない。この展開の徴候を「新政策」を具体化する場面に十分にアピールしよう。

 われわれはいま、全国の村々で農業を営む人たちをつぎの三つのタイプで把握している。

 (1)熟年農家 おおむね六〇歳を超えた人たちによる経営

 (2)婦人農家 六〇歳以下の婦人による経営

 (3)壮年夫婦農家 六〇歳以下の夫婦による経営

 このタイプわけは、専業、兼業という概念で行なっているわけではない。(3)が専業というわけではなく、兼業といわれる農家も多く含まれる。いわんや、(3)だけが元気で(1)や(2)は衰退するなどということではない。

 いま(1)熟年農家は、もっとも集約的で環境保全的な農業を営む最先端の農家である。これを「新政策」は「生きがい農業を行う高齢農家」という認識をしている。

 (2)婦人農家について「新政策」は「女性の役割の明確化」が必要だと言っている。いま婦人農家はとりわけ生産技術と流通形態の発想を転換させる動きの中心的な位置に立っている。女性による「個別経営体」の形成も十分に可能である。

 いま、恐らく八〇%の農家は(1)と(2)で占められているだろう。この農家を抜きにして農業の将来は展望できない。逆にいえば(1)と(2)の農家が元気になればなるだけ展望が開ける。それに気付いている農協や自治体は“老人農業の組織化”に熱心だし、機械メーカーは老人・婦人のための作業機の開発に力を入れている。「新政策」が提唱する「作業ロボットの開発」などは、この熟年農家のためのものでありたい。

「新政策」が新たに概念化した「個別経営体」や「組織経営体」は、この三分法によって見れば(3)だけが担うということにはならない。「役割分担の明確化」という文言を分離政策とうけとってしまっては読み方が逆立ちしている。(3)は(1)や(2)の農家があるから成り立つ。「役割分担」を村中の農家の連携政策として実現させる道を、農家自身でつくっていこう。

(農文協論説委員会)

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