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農文協トップ主張 1992年04月

「生活科」で真価を発揮するむらと農業の教育力
生活科の先生は「生活人」です

目次

◆「遊び」のような「教科」が生まれた
◆ある生活科の授業
◆自然との関係が稀薄になった子どもたち
◆生活科の先生は「生活人」だ
◆学校と地域の風通しをよくしよう

「遊び」のような「教科」が生まれた

 もうすぐ新学期が始まる。

 新入学児のいるご家庭では、これでようやく子どもたちから手が離れると、ひと安心しておられることだろう。

 ところで、平成四年度の新一年生は去年までと時間割が違う。国語、算数、音楽、図工、体育、道徳と、ここまではおなじみの教科だが、一、二年ではことしから理科、社会がなくなって、「生活科」という新しい教科ができたのである。

 では「生活科」とはいったいどんな教科か。文部省の『小学校指導書生活編』(先生向けに生活科の趣旨やねらいをまとめた本)はその教育目標を次のようにうたっている。

 「具体的な活動や体験を通して、自分と身近な社会と自然とのかかわりに関心をもち、自分自身や自分の生活について考えさせるとともに、その過程において生活上必要な習慣や技能を身に付けさせ、自立への基礎を養う。」

 お役所の文書だからわかりにくいが、要するに、自然や社会のことを教室のなかで知識として勉強するのじゃなしに、四季折々に野外にでかけていって、見たり、調べたり、育てたり、遊んだりしながら、体で学んでいこう、という教科である。

 一年間の授業の具体的な中身を、ある研究指定校(先発して、すでに生活科をやっている学校)の一年生の例でみてみよう。それは、四月の「学校探検をしよう」から始まって、

 ・かわいい仲間を育てよう(うさぎさんと遊ぼう、ぼくらのなかよし動物村、がんばれあさがおさん)

 ・公園で遊ぼう

 ・秋と遊ぼう(秋の公園探検など)

 ・わたしの家庭を紹介しよう(「ぼくんち物語」を作ろう、など)

 ・冬を楽しく(昔の正月遊びをしよう、など)

と続き、三月の「もうすぐ二年生」(思い出アルバムを作ろう、など)でしめくくられる。

 だいぶイメージがわいてきただろうか。

 「そんなの遊びじゃないか。わざわざ先生に習うようなことか」、というあなた。あなたのいうことは正しい。この教科は「教科」と名はつくものの、国語、算数、理科、社会という従来の教科とはまるでタイプが違う(この点は後に述べよう)。そして、この「教科」をどう「教え」たらよいか、ということで一、二年生担任の先生方は大変悩んでいる。事実、研究授業を見聞きするかぎりでは、「生活科」の授業なるものと授業を受け持つ先生方の資質にわれわれ親は不安を持たざるを得ないのである。

ある生活科の授業

 以下は、ある小学校で「生活科」の研究授業を参観した寺本潔先生(愛知教育大学)のレポートの引用である。その授業は「動物となかよくしよう」というのがテーマで、子どもたちをウサギとハムスターそれぞれ一〇匹ずつと遊ばせる、という場面がクライマックス(になるはず)であった。

 「最初に教師は、何が入っているかわからないようにダンボール箱に隠したウサギを、教壇の机の上に置いた。そして突然、テープに吹き込まれたかわいらしい女性の声が流れてきた。

 『これからみんなで、私といっしょに遊んでね!』

 教師は、その後で、子どもたちにしきりに返事を求めていたが、これでは子どもたちの内面にあるウサギへの思いや言葉は出てきそうもない。ウサギへのかけ言葉が、子どもたちのつぶやきとして出てくるのには、ゆっくり時間をかけてウサギと遊び、触れ合うことが必要だからである。ウサギが入っているらしい箱と、テープから流れてくる人間の声だけを聞かされても、子どもたちは戸惑うばかりなのである。

 授業は、その後、教室外に出て、校庭に設けられた柵の中で、グループ別にウサギやハムスターと遊ぶ場面へと流れていったが、とてもそれはウサギと『遊ぶ』という状態ではなかった。

 『キャー! 逃げないでよー!』『イタイ!』などと騒然となったのである。……やっと捕まえて抱き上げても、人間の赤ちゃんと同じように仰向けに抱くので、ウサギは嫌がり、バタバタあばれ、その結果、子どもの胸の高さから地面へ頭から落下する破目になる。……

 『さあ、ウサギさんやハムスターさんに水とエサをあげましょう』と教師が呼びかけても、水やりやエサやりが下手な上に、ウサギたちも興奮していて、水を飲んだり、エサを食べようとは決してしない。生き物としてのウサギでなくて、かわいいぬいぐるみとしてのウサギ観が、ここで図らずも露呈されたなあ、と私は眺めていた。」(注一)

 小学生にもなってウサギさえも抱けない、怖がってしまう子どもたちの生活経験の乏しさもさることながら、ウサギを擬人化すれば子どもたちがウサギに親しみを持てるだろう、と安易に考えてしまう先生のセンスに愕然としてしまう。ぬいぐるみ的動物観を持っているのは先生自身なのである。

 こういう大人に教育された子どもたちはどうなるか。

 図の上は日本の小学生が描いたカエルとサカナである。これを下のタイ北部に住む少数民族カレン族の子どもが描いたそれと比較してみると、リアリティーの差は歴然としている(注二)。日本のカエルは自然のなかのカエルというより、薬屋の店先のケロヨンを思わせる。われわれの子どもたちの自然観はひどく抽象化・記号化してきているのかもしれない。

自然との関係が稀薄になった子どもたち

 むかしはずいぶん型破りな先生がいたが、いまの先生がたは子ども時代優等生だった人が多い。優等生は言葉による抽象能力は優れていても、感覚的理解のベースに欠けている。動物と遊ぶ授業の失敗の原因はそのあたりにありそうである。

 しかし、子どもたちの自然観の抽象化・記号化についていえば、その責任を先生がただけに負わせるのは酷というものである。テレビの幼児番組や巷にあふれるさまざまな動物のキャラクターは「ぬいぐるみ的動物観」、抽象化・記号化された自然観を子どもたちにごく幼いうちから植込んでいる。いや、もっと大きくいえば、子どもたちの自然観の歪みは、自然との関係が稀薄になったわれわれの社会のありかた全体にかかわっている。高度経済成長からこのかた、われわれの生活――食べることも、着ることも、洗濯も掃除もなにもかもが、自然関係がよくみえなくなったからである。それは自然に恵まれているようにみえる農村漁村でも同じことである。

 しかし、われわれの生活が自然との関係で成り立っているのはいまもむかしも変わりがない。だとすれば、カエルという言葉は知りながら、カエルという自然のなかでの実在――その声や触ったときのヒヤッとした感触などを知らない子どもたちは、じつに偏頗《へんぱ》な存在といえるのではなかろうか。

 「生活科」が扱うべき生活とは、このような、言葉にする以前の感覚、生活感覚とでもいうべき部分であろう。そしてこの生活感覚は言葉では伝えられない。ウサギの抱きかたを覚えるには、つまるところ何回も抱いてみるしかないのである。

 京都府丹後地方で長く地域教育運動にかかわってきた渋谷忠男さんは、高度技術社会であるいまこそ子どもたちに「生活の原型」を体験させなければならない、としてつぎの五つを挙げている。

 (1)雑木林(里山)で遊ぶ

 (2)米をつくる

 (3)蚕を飼う

 (4)牛の乳をしぼる

 (5)鉄をつくる

 このやりかたは渋谷さんによれば、できるだけ近代的でないほうがよい。たとえば(2)の米つくりなら、苗は一人三本ずつ手で植えて個人的に管理する。ウンカの発生状況は虫見板で観察する。稲刈りは鎌で、モミすりはカマボコ板の上でする、という具合である。モミすりした玄米の数を調べさせれば、子どもたちは一つの穂からたくさんの米粒がとれることに驚くだろう。繭からとれる糸の長さもそれ以上の驚きだ。校庭の桜の木に糸の端をくくり、繭から糸を繰り出していくと、郵便局を過ぎ、小川の石橋を越えて、鎮守さまにまで達するかもしれない。(注三)

 高度に機械化しているわれわれの生活も、もとをたどれば、この五つの活動の変形としてとらえることができるだろう。

 この生活の原型を学ぶ自然環境として農村漁村ほど恵まれているところがあるだろうか。

生活科の先生は「生活人」だ

 「生活科」を学ぶうえで農村漁村が恵まれているのは自然環境だけではない。(1)から(5)いずれをとっても農家や林家の協力なしには成り立たない((5)は鉄工所というか鍛冶屋さんだが)。というより、農家や林家、鍛冶屋さんが先生になって、本職のほうはせいぜい司会でもやっていたほうがうまくいく教科なのだ。つまり生活科の「先生」は教師やサラリーマンではつとまらない。生活科の「先生」は自然と付き合い、そこから生きる糧を生み出していく能力をもった「生活人」でなければならない。そして農村漁村はこうした人材の宝庫である。

 そもそも、言葉で表せない生活の基礎の部分、生活感覚を子どもたちに伝えてきたのは、学校ではなく家や地域であった。学校で習うことは「読み書きそろばん」つまり言葉で伝えられたかぎりであって、そのかぎりでは教育のプロとしての学校の先生を尊重したが、生きていくベースをわが子に伝えるのに学校をあてになどする親はいなかった。

 だから「生活科」をもし教科と呼ぶとしたら、それは「読み書きそろばん」とは別の次元の教科、あらゆる教科のベースとなる教科となるであろう。国語も算数も、音楽も図工も体育も、そして道徳だって、その地域で生きていく生活感覚によって基礎づけられなくてはほんとうの知識とはいえない。その一ばん大事なところを先生まかせにするのは、“教育の放棄”というものである。親が教育権を放棄すれば、「生活科」はせいぜい、公園での遊びかたのルールとか、電車の乗りかた――つまり都会のサラリーマンの消費生活をなぞっただけのものになるに違いない。全国画一的な「生活感覚」が学校を通じて入ってくるだろう。それは、今日のサラリーマン社会、高度技術社会に見合った生活感覚であることはいうまでもない。

学校との地域の風通しをよくしよう

 「親の背中を見て、子は育つ」とよく言われる。しかし、いまサラリーマン家庭の親の背中を見ても、生活の自然的基礎は見えてこない。だとしたら、地域の農家や林家、農協や森林組合が親の肩がわり、いや背中がわりをして「生活科」の授業づくりに積極的に参加していったらどうだろう。苗や稚蚕の提供、圃場の貸し出し、技術指導、やれることはたくさんある。

 これまでも、学校田や学校菜園など、地域の生産活動を教材化する例はあった。しかし、せっかく地域住民が協力を申し出ても、事故を懸念して校外での活動に消極的な学校も少なくなかった。「生活科」ができたことで、少なくとも校外活動はもっとやりやすくなるだろう。その意味で、生活科には大賛成である。そのやり方をどうするかだ。

 まず、学校と地域の風通しをもっとよくしていくことである。さいきんの学校はたしかに立派になったが、そのぶん、地域から切り離されてしまった。校庭と校舎はフェンスで仕切られ、放課後や休日に遊ぶことすらままならない(これには事故の責任を一方的に学校に求める風潮もかかわっているが)。共有林から用材をむら総出で切り出して校舎を建て、プールのかわりに川をせきとめて泳がせたころ、宿直室の先生をむらの青年が囲んだころのほうが、地域と学校の関係は濃密であったのではなかろうか。

 「生活科」という日本の教育史上画期的な教科を生かすか殺すかはその主体がだれかで決まる。それは崩れかけた家庭と地域の教育力の復権のチャンスであり、むらと農業の教育力の真価がいままさに問われているのである。

(注一)寺本潔「がっこうの考現学(3)」『自然教育活動11』(農文協)。同じ著者の『自然児を育てる』(農文協)も参照。

(注二)寺本潔氏(愛知教育大)と吉松久美子氏(現・大東文化大)の共同研究による。図も両者の提供。

(注三)渋谷忠男「生活科は地域のなかから創るもの」『教育』四月号(国土社)。『地域が動き出すとき』(農文協)も参照。

(農文協論説委員会)

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