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農文協トップ主張 1991年10月

今、土つくりが変わる
注目! 自然の大循環をまわす水

目次

◆水を変えて土を動かす―「活性化資材」のねらい
◆活性の高い水とは―「クラスター理論」より
◆なぜ土の動きが鈍くなったか―水質悪化と土の浄化力の低下
◆水が自然の大循環をまわす―土をつくり農業を支えるもの
◆新しい土つくりが始まった―経験知と科学知の結合

注目!自然の大循環をまわす水

 今、土つくりのありように大きな変化が生まれている。減農薬・高品質をまともに実現できる土にしようと、熱意をこめて土とかかわろうとする農家がふえている。

 堆肥つくりにしても、家畜フンにオガクズを混ぜたものには満足せず、粘土を加える、ゼオライトを入れる、山や土手の青草を使う、海藻を入れるなど、さまざまな工夫がみられるようになった。

 ところで一方、従来の肥料や土壌改良剤とは大きく異なる資材が注目を集めている。木酢、クエン酸などの有機酸、天然岩石から抽出したミネラルを含んだミネラル水、電気処理した電子水などだ。これらに共通する特徴は、それ自身が養分であるというより、水を変え土を活性化させる資材であるということにある。

 堆肥・有機物利用の工夫と、「活性化資材」への注目、この新しい二つの動きは、無関係でもなければ偶然でもない。従来の土つくりとはちがった発想に立った土つくりが始まっている。

水を変えて土を動かす ――「活性化資材」のねらい

 後者の「活性化資材」から話を始めよう。水を変えて土を活性化するとはどういうことか。

 まずクエン酸などの有機酸について考えてみよう。このクエン酸はミカンなどに多く含まれており、これを原料にした各種の資材が出回っている。これらの資材のねらいは、クエン酸が土の中のリン酸分や各種のミネラルを効きやすい形にしてくれることにある。酸にはものを溶かす力があるが、有機酸は、塩酸や硫酸のような無機の酸とちがって土のpHを一方的に下げることなく、穏やかに、そして確実に土の中の溶けにくい養分と反応し、効きやすい形にしてくれるのである。

 この有機酸資材の開発は、根の働きに注目することから始まった。根自身がクエン酸などの有機酸(根酸)を分泌しているのである。

 岩だらけのがけに生えるマツは、自ら有機酸を分泌して、岩石に含まれている各種のミネラルを吸収している。また根酸には、自分に有害な微生物の繁殖を抑える働きもあるという。

 どの植物にもこうした働きがあるのだが、この根酸の働きは根のまわりの水を介して現われる。水に溶けた根酸がただの水では溶けにくい土の養分を溶かすのである。水という場で根と土がやりとりを行なう、そのしくみを助けるのがこの有機酸資材というわけだ。水は要素ではなく、場を形成するものである。

 それでは、岩石を利用したミネラル水はどうだろうか。

 夏にホウレンソウなどにミネラルを使っている北海道の山木さんは、土壌消毒をしなくても立枯れ病が防げ、葉が厚くしなやかで甘みのあるホウレンソウができたという。そうした大きな変化を目の前にして「これまで、土の中に養分があっても、それがうまく動かなかったのだろう」というのが山木さんの実感だ。

 なぜ土の養分が動きだしたか。そこにも水の変化が関与しているのにちがいない。これについて、先端科学の側から興味深い仮説が提出されている。「クラスター理論」と呼ばれるものだ。

活性の高い水とは ――「クラスター理論」より

 クラスター理論とは、およそつぎのようなものである。

 水にはさまざまな物質を溶かし、反応を進める性質がある。その性質は水の立体的な構造に由来している。水の分子は二個の水素原子と一個の酸素原子が結びついたものだが、その結びつきは左右対称ではなく片寄った形で結びついており、その結果、マイナスの電気もプラスの電気もねじれて分布している。こうした電気的な構造こそ、石をも削るように溶かしてしまう水の力の秘密なのだが、ちょうど棒磁石のように電気を帯びた水分子は互いに結びつき(水素結合)、集団をつくっている。液体の水は、水分子がバラバラに存在しているのではなく 水分子の集団を成しており、その集団がクラスターと呼ばれるものだ。このクラスターの状態はたえず変化しているが、この理論では、クラスターが小さい水ほど、ものを溶かす力が大きく、また分子集団が小さいために、作物などに吸収されやすく、体内でも動きやすいとしている。クラスターが小さい水ほど活性が高く、生命を支えるさまざまな反応がよりスムーズに進むということである。おいしい水は、クラスターが小さい水であるともいわれている。

 さて、クラスターが小さい水をつくるにはどうするか。実験的に確められた方法としては、水に電気を通す、天然にある電気石の微細粒子を詰めたパイプに水を通す、磁石で水を処理するなどがあげられ、そうした資材も市販されている。また麦飯石のようなミネラルを溶けやすい形でもっている岩石で水を処理したり、木酢酸、クエン酸などを溶かすことも、クラスターを小さくする作用があるという。

 つまり、有機酸や微量なミネラル、電気や磁気のエネルギーが水の構造を変え、クラスターを小さくするというのである。

 こうして水という場に働くエネルギーが変化(場が活性化)し、動きにくくなっている土の養分が動いていく。

なぜ土の動きが鈍くなったか ――水質悪化と土の浄化力の低下

 こうした「活性化資材」が注目され、また現実に効果を現わしている(すべてがそうではないが)のは、土の動きが鈍くなっていることの反映であろう。石灰がタップリあるのに石灰欠乏が出る、リン酸を長年施しているのにリン酸がうまく効かず軟弱な生育になってしまう、そんな土が多いのだ。

 そこには、栽培に使う水質の悪貨の問題と、土の問題がある。

 水質悪化については、有機物によるものと無機物によるものとがある。

 有機物によるものはわかりやすくいえば悪臭のある水だ。水に含まれる有機物により有害な嫌気性菌が繁殖し、メタンなどの悪臭物質が発生する水は最悪である。こんな水では、根は呼吸障害を起こし、微量要素欠乏や生理障害、土壌病害の発生も多くなる。クラスターがバカでかい水といえよう。

 一方、無機物による水質低下は肥料分や有害な化学物質などが多く含まれることによるものであり、濃度障害や根の活力低下の原因になる。肥料分の多い水はクラスターが大きく、根や細胞に吸収されにくいということも、作物の活力を低下させる要因になる。

 問題は使う水が悪くなっていることだけではない。土の浄化力そのものが弱まってきているのである。土にはさまざまな物質を吸着し、水をきれいにする力がある。そのもとは粘土や腐植などの電気的な力だが、多用されるカリや石灰などはその電気的な力を占拠し、土の浄化力を低下させる。こうして起こる土壌水の悪化は、養分を動かす力を弱め、養分が十分にあるのに効かないといった事態を引き起こすことになる。また、浄化力が低下した土では、有機物による汚染が起こりやすく、せっかくの有機物の働きも活きてこない。そこで水を変える資材が活きてくるというわけだ。

 一方で炭やゼオライトが注目されるのも、土の浄化力を高める効果が高いからである。

水が自然の大循環をまわす ――土をつくり農業を支えるもの

 水が悪ければ土の働きが鈍くなり、土が悪ければ水質も悪くなる。水と土とは切っても切れない縁がある。

 土もよくし、水もよくする、そのためにどうするか。土と水のよい関係を、日本の伝統的な農業の中にさぐってみよう。この水と土、田畑の関係について、先人たちには鋭い洞察力があった。

 たとえば栃木県の江戸農書「農業自得」(『日本農業全集』第二一巻)にはつぎのようなことが書いてある。

 「大昔にことを考えてみると、当時は陽に属する太陽の光熱が強かったため、それに反発して陰である川という川は大洪水をくり返し、流れが定まらなかったように思われる。川の流れが定まるようになったのは陰陽の気がやわらいでからである。現在でも、田畑や民家のあるところにはすべて、川の流れた跡をありありとみることができる。そうした土地には、当時の流れの状態によって石混じりのところも砂混じりのところもある。また、水のよどんでいたところには壌土が生成され、上々の田畑が拓かれている。一方、川の上流に古く拓かれた田畑は、出水のたびに肥えた土が濁流といっしょに流されるから、いずれはやせ地になるだろう」

 一方、四国南伊予地方の農書「清良記」(『日本農業全集』第一〇巻)には、「木や草がよく茂って岩が多く険しい山のふもとにある田畑は壌土である。壌土はすべて土のもとである。山の頂上に黒い礫があればそのふもとは紫壌土でありもっとも上質、人間でいえば聖人のようなもの」といった指摘がみられる。

 水は山から土を運び、岩石に含まれているミネラルなどの養分を運ぶ。山のありようによって田畑や土のでき方もちがってくる。大きな自然の中で土や田畑をとらえるという、スケールの大きい自然観がここには息づいている。

 農業のやり方そのものも、周囲の山、川に強く結びついていた。今のようにコンクリートで囲んでないから、山からのミネラルの豊富な水(クラスターの小さい水)が田畑を潤していた。使う肥料でいえば、草肥、灰肥、土肥、魚肥、それに人糞などだが、多くは周囲の山、川からの贈りものである。土肥とは、小川や用水路をせきとめて干し上げて得た泥のことで、水が運んできた土そのものである。水田とちがって、雨による養分の流出が進み土地がやせやすい畑では、山の有機物が土を守った。水辺のヨシやカヤなども重要な有機物である。水辺には山からのミネラルが豊富な土砂がたまり、そこに育った水辺植物は、重要なミネラル源でもあった。刈敷にしても若い草や新芽を利用したほうがよいなどということまでいわれた。現代流にいえば植物ホルモンの多いものといえようか。

 客土として直接、山の土を農耕地に入れることも行なわれ、また歓迎すべきことではないが時には洪水のお世話になった。洪水は、ミネラルを補給し土を若返えらせた。そして忘れてはならないのは水田である。水田は山からの養分や土の粒子をため込む巨大な装置でもある。山からの恵みを受けとめる水田が日本の農業、土をガッチリ支えてきた。

 農耕地は非農耕地によって、つまり山−川−田畑−海のつながりによって守られたのである。

 海との関係でいえば、肥料として魚肥や海藻の利用がある。それらが海のミネラルを運ぶ役割をも果たしていたと考えられる。海水には九〇種以上もの成分が含まれており、最近では海水から肥料をつくろうという研究もある。

 もっと長い目で見れば、山と海の岩石は一つにつながっている。日本の岩石構成に関係している太平洋プレートは、二億年サイクルで移動しているという。海の岩石が山となり、水の力によってそこからミネラルなどが供給され、生命を支える。目には見えない自然の大循環が、水を場として存在しているのだ。

新しい土つくりが始まった ――経験知と科学知の結合

 農業の発展は、こうした水を媒介とした自然と田畑のつながりを断つ方向で進んだ。山からの恵みを利用するのではなく、化学肥料など人為的につくられた大量要素中心の施肥に変わった。そのことが、生産をあげる一方で、作物や土の弱体化、品質の低下を招いたことは確かだ。その反省のうえに土つくり運動などが進められたわけだが、その多くは家畜糞の多用といった形にとどまり、畑の多肥化を進めるなど少なくない課題を残すことになった。

 そして今、自然の大循環をふまえた新しい土つくりが始まっている。それは、農書にみられるような農家の経験知と「クラスター理論」にみられるような科学知とを結びつける創造的な営みといえよう。

 静岡の古くからあるイチゴ産地では、有機物利用のしかたが昭和五十年代前半は青刈ソルゴー、その後はオガクズ入り牛糞堆肥が主流となり、今では山野草の堆肥つくりが盛んになっている。農耕地内だけの有機物利用から農耕地外も含めた有機物利用に変え、銘柄産地を維持している。

 福岡のあるナス産地では、クリークを清掃したときに出る泥を使う共同の堆肥場がつくられた。クリークの土は昔からダイズがよくできたという経験を生かしてのことである。

 今月号でも、さまざまな有機物利用、堆肥つくりの工夫が紹介されている。それは、地域自然とのつながりを現代的につくりあげる営みである。

 「活性化資材」への注目も、断ちきられた自然とのつながりを補うものといえる。しかし「活性化資材」だけで水を変えて土を動かすことは、場合によっては土を消耗させる心配がある。活性が高いということは、消耗も早いということである。先にあげたミネラル水を使っている農家は、一年に何作もやっているうちに土がパサパサになってきたという。土が動き出すことで、土の有機物の消耗が激しくなるということかもしれない。

 「活性化資材」は土を動かすためのキーにはなるが、土の本体そのものではない。地域自然とのかかわり、地域資源の活用が、水の力、土の力の土台を成すものである。

(農文協論説委員会)

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