主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 1991年05月

広がる中期活力重視イナ作が世界の平和に貢献する

目次

◆大きく広がる中期活力重視イナ作
◆自分の都合にあった多様なイネつくりへ
◆農業の将来像が不透明なところに世界の不安定の要因がある
◆農業を守る国民的合意は社会を成熟させる要件
◆日本の成熟は森と川と海と水田が支える
◆主要穀物の過剰は成熟社会への前ぶれ

 湾岸戦争が、アメリカを核とする多国籍軍の圧倒的な軍事的勝利のうちに幕をとじた。発言力を強めたアメリカは、ガット農業交渉で日本にコメ輸入をより強く迫ってくるであろう。

 しかし、その圧力に屈し、日本のコメつくりの衰退を招くことは世界の平和に逆行することだと私たちは考える。

 コメつくりと世界の平和につぃて考えてみたい。

大きく広がる 中期活力重視イナ作

 イネつくりに新しい活気が生れている。昨年二月号の主張欄で「アメリカによるコメ輸入の圧力が高まっている中で、新しいイナ作運動がおきている。コメの食味に焦点をおいたイナ作への動きだ」と述べたが、それからの一年間の動きに確かな手ごたえを感じるのである。

 イナ作の動きは、農家の「意欲」と「栽培技術の革新」が重なったとき、大きな流れになる。良食味品種をつくって経営を守ろうとする農家の意欲が、新しいイネの見方・栽培法を求め、新しい栽培法が農家の意欲を励ます。

 これを支えている栽培技術の革新とは、本誌でおなじみの井原豊さん(兵庫)のへの字イナ作や、薄井勝利さん(福島)の疎植水中栽培に典型的にみられるような、中期の活力を最大限にもってくるイネつくりである。中期の栄養をおとし、穂肥で追い込むV字型のイネつくりとは正反対の生育コースをたどる中期重視のイネつくりは、良食味時代にふさわしい方法であり、低コスト、減農薬を可能とする技術である。

 穂肥で追い込むイネつくりは、その量や天候により食味を低下させやすく、また中期の栄養低下は株の活力低下を招き、その上にチッソを多く施されたイネは病虫害がでやすくなる。一方、うす植えとして、元肥を減らし、深水などで初期をじっくり太茎につくり、中期の活力を大きく高めるイネつくりは、登熟力が強く、病気はでにくく、食味のよいコメがとれる。

 興味深いのは、この新しいイネつくりが一部の熱心な農家だけでなく、実に幅広い多様な人々に担われてきていることだ。

 今年二月、栃木県で「第三回成苗二本機械移植研究会」という会が開かれた。そこには例年の二倍の農家が集い、中期活力重視イナ作の課題をめぐって熱っぽい議論がされた。稲葉光國さん(真岡農高)が「茎肥」(中間追肥)を提唱し、井原さんや薄井さんも参加し、さながらポストV字イナ作をめぐる全国的な交流、研究会ともなった。

 ところで、この会に石川さんというダンプ会社に勤める兼業農家が参加している。石川さんがこの会にでたいきさつは、農協にまちがってコシヒカリの種モミを申し込んでしまったことに始まる。まわりの熱心な農家でさえ倒したりしているコシである。石川さんは自分にはとてもつくれないと思って別の倒れにくい品種をつくってきたのだが、コシの種モミがきたのだからしかたがない。どうしたものかと思い悩んでいたとき、たまたま『現代農業』の井原さんの記事を読み、倒さないためにはこれしかないと考え、への字イナ作に取り組むことにしたのである。

 元肥なしで出発、初期は見るからにきびしい。それをグッとガマンして出穂四〇日前に思い切って追肥する。するとイネはグングン変わっていく。あれだけ差があったまわりのイネを追いこし、見ごたえのある姿に変わっていく。

 それ以来、石川さんはイネつくりがすっかりおもしろくなってしまった。出勤前に必ず田んぼに行くようになった石川さんの夢は、退職後に存分にイネをつくることだという。

自分の都合にあった多様なイネつくりへ

 への字イナ作は兼業農家にむくイネつくりでもある。元肥、つなぎ、二〜三回の穂肥といったV字型と比べて施肥法は簡単、施肥の適期にも多少の幅がある。そして減農薬、手間もコストもかからない。いるのは度胸だけ。その前には専業も関係なくなってしまう。だからこそ、岡山ゆたか会の皆さんのような五町、一〇町といった大規模農業も、への字に熱い注目をむけるのである。

 一方、野菜つくりに力を入れる農家にもへの字イナ作は魅力的だ。今度農文協からだしたビデオ「井原さんの良質米つくり」に収められている井原さんの講演は、群馬県板倉町で行なわれたものである。板倉町といえばハウスキュウリの一大産地。そこでたくさんのキュウリ農家が集って、イネの講演会が行なわれる。忙しいハウス農家にもへの字はうってつけ。「キュウリもイネもはじめはじっくり育て、中期に活力を高めないととれない」という井原さんの話に多くの農家がうなずいていた。

 農協での動きも目だつようになった。数日前に熊本のある農協より「井原さんの講演会をしたい」との電話が編集部に入った。「農協の指導とは大分ちがうやり方ですが……」というと、「とにかく農家にしっかりもうけてもらわなければ」との返事が返ってきた。

 イナ作は大きく動こうとしている。もちろん、への字とか中期活力重視といっても、そのやり方は品種や地域によって変わってくる。また、しっかり手を入れて増収しようとする人から、少ない手間で良食味品種をつくろうとする人までいろいろだ。

 片倉イナ作に象徴されるこれまでのイネつくりの高揚は、強い増収意欲に支えられてきたが、今日の動きはそれとはだいぶ様相がちがう。省力、低コスト、減農薬、食味向上と、つくる人それぞれが力点のおき方をちがえながら、あわせて増収を求める。そんな多様な、自分の都合にあわせたイネつくりだ。もちろん、中期の活力を基本にする点では変わることはない。イネの力を発揮させることから生まれる多様性なのである。

農業の将来像が不透明なところに世界の不安定の要因がある

 専業農家も兼業農家も、野菜農家も果樹農家も、それぞれの事情に応じて、満足のいくイネつくりをする、そのことで日本のコメが守られ、水田が守られる。そのことこそ、世界の平和に、そして地球環境の維持につながる本道だと私たちは考える。

 イネつくりと平和の問題、なんだかひどく場ちがいのようにみられるかもしれないが、そんなことはない。技術とか暮らしという日常の生活のありようは、世界の平和と結びついており、その結びつきがますます強まっていくのが、これからの時代である。

 これからの時代とは、それぞれの国が、ゆったりと生きられる社会、成熟した社会をどのようにつくりあげるかが課題となる時代である。経済優先、成長優先の社会から、安定した成熟社会への脱皮をどのように図るか、そこに平和の問題もからんでくる。

 そして、社会の成熟をその土台として支えるのはその国の農業のあり方である。穀物の過剰に悩むアメリカ、農業改革が進まないソ連、食糧を輸入に頼る日本、それぞれに事情は異なるが、農業の将来像が不透明なことが、それぞれの国、そして世界を不安定にしている大きな要因だと思うのである。

 結論的なことを先に述べてしまったが、ここで具体的なイメージを描いてみよう。成熟社会にむけて一歩先行しているとみられるヨーロッパの国々の生き方は示唆的である。

農業を守る国民的合意は社会を成熟させる要件

 一九六〇年代まで、工業製品を輸出し、食糧を輸入するという形で、自給率を下げてきたイギリスなどヨーロッパの先進国は、その後、食糧自給政策に転換し、小麦の大幅な増産などで、一〇〇%の自給を達成している。余った穀物は家畜のエサにまわし、今ではパンもビフテキも自前でまかなう国になった。そのことがヨーロッパ社会の安定化に及ぼした影響は大きい。

 ヨーロッパ、ECの国々の穀物価格は国際価格の二.四倍も高い。ガット農業交渉で自由化を要求するアメリカの最大の眼目はそこにある。日本に対するコメ輸入攻勢は、コメ輸入そのものより、そのゆさぶりで工業面での譲歩を得るところにねらいがあるとみてよい。コメを輸出しても、アメリカの穀物過剰問題はなんら解決するような性質のものではないのだ。

 さて、そうしたアメリカの攻勢に対して、ヨーロッパの都市住民からはなんらの不満もでていない。自由化すれば安い食糧が得られるにもかかわらず、そして、権利意識の強い国民性なのにである。

 それは、農業に対する国民的合意が形成されてきているからである。風土にあった自国の農業を守ることが、食文化を守り、国土を守り、生活環境を守り、ゆったりとした成熟社会をつくる要件であると、多くの国民が考えている。その象徴として、スイスの農業法をあげてみよう。

 スイスの農業法は、農家に都市生活者と同じ生活水準を保証すると明記された法律だが、これについて去年大阪で開かれた「国際農業ジャーナリスト・フォーラム」に参加した、スイスのジャーナリスト、ハンス・ミューラー氏は次のように述べている(この会の全容は『現代農業 九一年一月増刊号−21世紀の地球は? 食糧は?』に収録されている)。

「ヨーロッパの景観を保護していくためには、急斜面の丘の草刈りをする人が必要です。伝統的農業を行なっている農民とその家族以上に、この仕事をうまくできる者はいません。そして社会がこの仕事を求めているからこそ農民はそれを実行し、たくさんのお金を得るのです。私はこれを指して補助金とは呼びたくありません。つまり、社会が農民に対して直接報酬として支払っているものなのです。たしかに農民に対して、われわれ国民が支払っているお金は大金です。しかし山岳地帯の農民が、工業労働者と同じくらいの収入を得ることが非常に重要なのです。

 安い食糧を輸入するのはたやすいことです。しかし、よく保護された環境を輸入することなんて不可能だと思いませんか。土壌侵食が起こっていない美しい景観は、観光にとっても非常に重要です。だからこそ、わが国はこれらの問題を解決してきました」

 こうした国民的な合意がつくられてきているヨーロッパ、ECの国々は、アメリカの要求をやすやすとは受け入れないだろう。

日本の成熟は森と川と海と水田が支える

 「アルプスの景観と文化は家族農業があるからこそ守られる」とハンス・ミューラー氏はいう。地球環境の問題でいえば、地域環境が守られてこそそれは守られる。地域環境が破壊されることで結果として地球環境が悪化するのである。

 地域環境は景観に象徴される。日本でいえば、「森と川と海と水田」である。

 今でも国土の三分の二ほどの森が残されている。「森林八に水田一」といわれるように、水田は山からの豊富な水に支えられ、川を広げる形でつくられている。その水田はダムの働きをもち豊富に水を供給するとともに、適度の養分が加えられて海の魚介類の繁殖を促す。こんな興味深い話がある。

 トルコの話だが、この国は、北に黒海、南に地中海をもっている。そして、ダニュウーブ川などの流域に豊かな森林や農耕地帯をもつ黒海側では魚介類が豊富で安く手に入るが、川も農耕も貧困な地中海側では漁獲量はずっと少ないという。

 日本は自然に恵まれている。それに水田が加わって日本の自然、景観はいっそう豊かになった。景観はもともとの自然だけでできているのではなく、それを生かす形で人の手が加わってつくられ豊かになる。それを人は美しいと思う。日本の繊細な緑と水の文化、木の文化、魚の文化も、イネの文化に支えられている。

 しかも水田という装置は、土壌流亡がおこらず、連作障害もでない、狭くて傾斜地が多い日本の国土によくあった、きわめて優れた装置である。そして、そこに植えられるイネもすばらしい。

 この水田とイネを得たからこそ、イナ作導入時二〇万、奈良天平時代六〇〇万、江戸時代後半二〇〇〇万といわれる、稠密な人口を養うということもできたのである。この稠密な人口と巨大な国内市場、そして豊かな人材をバネとして、工業の発展も成り立っている。

 いわば森、川、海という縄文の文化と、イナ作という弥生の文化と、そして工業に象徴される近代とがうまくあわさって、日本という国はつくられている。

 それは、日本がゆったりとした成熟社会を迎えるうえで、引き継がなければならない骨格というべきものである。工業の発展だけではあまりにも貧しい。同様にアメリカはアメリカで、ヨーロッパはヨーロッパで、それぞれの風土が培った農耕を土台に、成熟社会が構想されなければならない。

主要穀物の過剰は成熟社会への前ぶれ

 自国の風土にあった主要穀物の生産が発展すれば「過剰」の問題がでてくる。しかし、過剰恐るに足らずである。余れば家畜のエサに回し、さらに余るならそこから燃料を得るようにすればよい。グリーンエネルギーである。

 石油も太陽エネルギーの産物である。

 石油には限りがあるとすれば、現状で最も効率よく太陽エネルギーをとり込むようにつくられてきた主要穀物が、燃料源になるとしてもなんら不思議はない。炭酸ガスによる地球の温暖化が問題になっているが、石油とちがって穀物なら、自分でとり込んだ炭酸ガスを燃料として使う時に放出することになるから、その量は一定で、地球上の炭酸ガスをふやすことはない。石油タンパクから食料をつくろうなどというより、よほどまともな発想だ。トウモロコシのすばらしい生産力を誇るアメリカが、飼料用トウモロコシをつくったように、トウモロコシから燃料をとる方法を近代技術を駆使して開発することが、アメリカ社会の成熟にプラスになるだろう。

 自国の主要穀物の過剰は、成熟社会の前ぶれと考えることができる。

 食糧の一〇〇%自給を達成し、エサを完全に自給できるようになったヨーロッパの国では、ナタネ油でベンツを走らせる実験(西ドイツ)が行なわれたり、有機農業を推進したり、森林の少ない地域では一部の農地を森林にもどすといったことが検討されている。過剰を余裕として、成熟社会にふさわしい緑をデザインする、そうした試みが始まっている。

 日本は過剰(コメ)と不足(低食糧自給率)が共存している世界でも特殊な国である。しかし、これをもって、今でも自給率が低いのだからコメを全部自給しなくてもよいのではないかという議論は当たらない。

 森と川と海と水田、この歴史的につくられてきた日本の景観と文化がぐらつけば、ゆったりとした成熟社会を迎えることができないからである。それは、日本がアメリカに与《くみ》しつつ、その不安定さゆえに世界の平和に脅威をもたらす道につながる。

 戦争は社会が未成熟であることのあらわれである。そして社会の成熟は、庶民の日常文化、技術の創造によって担われる。コメを存分につくり、田んぼを守ることが、平和な世界をつくることに貢献する。

 ●本稿をまとめるに当たって、角田重三郎先生(東北大学名誉教授)の所説に多くを負った。先生のお考えをまとめた『「新・みずほの国」構想』(仮)が、四月下旬農文協より発刊される。

(農文協論説委員会)

前月の主張を読む 次月の主張を読む