主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 1991年01月

人生80年時代の農業・農村を考える
昭和ヒトケタ生まれの知恵と力を

目次

◆人生80年時代の社会システム
◆農業に定年はない
◆老人でも農業ができる時代
◆過疎、過密の新しい局面
◆農業は食品産業ではない
◆「民族の大移動」がもつ力
◆身上技術の提唱
◆新しい「跡継ぎ」の仕方

人生八〇年時代の社会システム

 人生わずか五〇年といわれたのは昔のこと、いまや人生八〇年の時代。日本人の寿命は六割も伸びたのである。これを生物学的にみれば、ヒトという種のもつ特質の「突然変異」といってもおかしくないほどの大変化である。

 一般に動物は体の大きい種ほど長生きでゾウの平均寿命は六〇〜七〇年だというが、いまや体のちいさい日本人の平均寿命がゾウのそれを超えてしまったのである。

 平均寿命というものは、自然環境の変化によってかなり大きく左右されるといわれる。だから平均寿命が六割伸びたからといって、ヒトという種が根本的に変化したなどというのは非科学的だということもできよう。しかし、人間にとっての環境は自然だけでなく社会でもある。人間は社会的動物だから社会的環境の変化によって起きた平均寿命の延長は、簡単にもとにはもどらない。ここがきわめて重要な点で、ヒトという種の寿命が不可逆的に変わったことは、まちがいなく種のもつ一つの特性に根本的な変化が起こったとしなければならないのである。

 かつての社会環境の下では、人生五〇年が前提であった。これからの社会環境の下では人生八〇年が大前提になる。ところが、人生八〇年という前提にふさわしい社会システムはまだできていない。八〇歳まで生きるために必要な制度とか技術とか慣習とか知恵とかが、まだできあがっていないのである。ヒトという動物の自然性としては、五〇歳寿命から八〇歳寿命へと大変化が起こったというのに、社会システムつまりヒトの社会性は以前のままである。ヒトの自然性の大変化と社会性の不変。われわれ人類はいま、自然性と社会性の根本矛盾という、人類史上初めての大問題に遭遇しているのである。

 今日、人類が当面している重大な課題、たとえば人口・食糧・資源・環境等々の問題もことごとく根本的には、人間の「自然性と社会性の矛盾」に起因する。今月は農村での高齢化社会の問題に、この「自然性と社会性の矛盾」の克服という見方で光をあててみよう。

農業に定年はない

 昨年の新規学卒者の就農者は全国でわずかに二〇〇〇名余りであった。NTT一社の新入社員数にも及ばないとマスコミで騒がれた。農業・農家が滅びる徴しというわけである。だがこれは農家の跡とりは他産業に就職せず、まっすぐ就農しなければならないという人生五〇年時代の考え方にとらわれているのである。

 人生八〇年。五〇歳は働き盛り、六〇歳になっても働ける時代に、どうして跡とりが新卒で就農しなければならないのだろう。人生五〇年の農業生産システムの古い観念が農業・農家の未来を灰色にしているだけのことである。人生八〇年にふさわしい新しい農業生産システムから農業・農家を描けば、農業・農家の未来は限りなく明るい。現在の人類のかかえている根本的課題を解決する力が、農業と農家の中にこそあることに気がつく。

 今年は昭和六年生まれが還暦を迎える年である。昭和ヒトケタ世代は、六〇歳前後になった。その息子・娘たちは、四〇歳前後になった。六〇歳前後は、サラリーマンにとっては定年退職の時期である。健康で、立派に働く能力をもっていても退職させられる。ところで農家にはその定年がない。このことがじつは、人類の未来をきりひらく上で極めて重大なことなのである。

 サラリーマンは企業の論理に従って、本人、つまり人間の意志とは無関係に退職しなくてはならない。それに対して、農家は自分の意志=人間の意志で、農業を続けることもできるし、逆に農地を売って農業をやめることもできる。企業の論理を人間の意志で克服することができるのである。人間の意志を貫くことのできる立場に立つ人(社会層)が存在することこそが、二十一世紀をいまよりよい社会として迎えるための、もっとも重要な足掛りなのである。

老人でも農業ができる時代

 今日の農業は、馬耕時代の農業と違って六〇代でも十分に農業を続けることができる。馬耕は六〇代の老人には無理だった。しかし今日は機械がある。だから六〇代でも農業は続けられる。

 人生八〇年に人間の寿命が伸びた要因の一つに、過重な農業労働の機械による軽減があった。面白いことに、この人間の寿命を伸ばした原因の一つである機械が、老人でも農業を続けられる条件を同時につくり出しているのである。人類史のこの微妙な「調和」関係をしっかり把握することが、自然と人間の調和を回復させる知恵なのである。

 小賢《こざか》しい近代合理主義者には、このような自然性と社会性の微妙な関係を感得する知恵がない。農業を食料生産産業として合理化する「理論」だけしか頭にない。国際的な市場原理によって、平均一haの日本農業を、欧米なみの数十haに規模拡大しなければならないという。数十戸の農家によってなりたつ耕地面積数十haの集落を、ただの一戸だけの農家が耕し、のこりの農家は農家をやめることによってこの「合理化」を実現するのだという。つまり、農村人口を激減させることが日本農業の発展もしくは生き残りの道だということになる。

過疎・過密の新しい局面

 現代の日本の人口問題の根本には、都市の過密と農村の過疎の問題がある。そうした中で国際的な市場原理に従って、経営の規模拡大による合理化を図ろうとすれば、都市の過密、農村の過疎の矛盾を一層激化させることになる。

 都市の過密は高地価を生み、環境を悪化させ、居住条件において、絶望的な状態をつくり出してきた。市場原理による農業経営の規模拡大という合理化によって、都市人口を一層過密にし都市の住居条件を今以上にわるくすることが許されるのだろうか。わずか国民総数の二〇%にすぎない農業の経済的合理化をはかることによって、とるものより失うもののほうがずっと多いことは明らかだ。

 しかも、みのがせないことは、かつての都市への人口移動の主力は若い労働力であったが、この数年、高齢層の都市移動がふえているという事実である。農業の合理化によって、居住地としての農村を失った農村の高齢者が都市に移動することになるから、都市の高齢化は急激にすすむことになる。都市の過密が高齢化を伴ってすすめば、事態は極めて深刻な問題になる。都市は老人が住むのに決してふさわしい環境ではないからである。

 住みにくい都市の過密が一層すすみ、住みやすかったはずの農村が過疎によって住みにくくなる。問題の根本的な解決の道は、都市といわず農村といわずそこを人が住むのに最適な環境にすることである。

 農村のばあい、どうすればより住みやすい場所になるだろうか。それには農業という「産業」の特別な性格について、改めて考えなおしてみる必要がある。

農業は食品産業ではない

 農業は古来、食料を生産するとともに、人間が暮らす場所を同時につくってきた。ものをつくるのと一緒に、人間の暮らす場所をつくってきたのが、農業という「特別な産業」である。農家は、米をつくるのではなくて田をつくる。山と川を活かして田畑をつくり“むら”をつくる。それが農業であった。

 それを、単なる食料生産産業、食品産業の原料製造業として矮小化してとらえるようになってから、人口の都市での過剰、農村での過疎という矛盾が生まれたのである。

 農業を単なる食料生産産業と考えるのではなく、同時に人間の暮らしの場所をつくる「特別な産業」と考えることによって、現代の人類が当面している根本問題の大部分は解決の方向に向かう。

「民族の大移動」がもつ力

 六〇歳前後の年齢に達した昭和ヒトケタ生まれの世代が、七〇歳前後まで農耕を続ければ、その間に息子や娘たちは五〇歳前後の定年直前の年代になる。定年後にのこされた長い人生をどう生きるかを考えなければならない年代になるのである。そのとき、昭和ヒトケタ生まれの世代が、自分の息子や娘たちを“ふるさと”によびもどし、“ふるさと”で定年後の人生をおくるように導くこと、そこに二十一世紀日本の命運がかかっている。

 息子や娘たちを“ふるさと”に帰すことができれば、二十一世紀の日本の未来は明るい。逆に、昭和ヒトケタ生まれが、農耕をあきらめ土地を売り、都会の息子・娘たちのところに「おちのびる」ならば、日本の未来は極めて暗いものになる。日本の未来は、昭和ヒトケタ生まれのこの選択にかかっているのである。

 昭和ヒトケタ生まれの世代は、息子や娘たちを定年になったら村に帰す大運動を、彼らが定年になる前から着々とすすめなければならない。

 息子や娘たちが、すでに都会で、持家なりマンションなりを所有しているなら、家の屋敷まわりなり、むらうちの適当な場所に、豪華な別荘を建てさせるように働きかける。土地が無料もしくは極めて廉価に入手できるのだから、大都市ではとても占有できない贅沢な空間をつくることができよう。大都市で庭つきの家がもてないサラリーマンたちが、リゾートマンションなどを買って自分をなぐさめているのである。リゾートマンションを買うくらいなら“ふるさと”に豪華が別荘がつくれる。

 日本は国土狭小だから、逆に交通至便である。アメリカと違って都市と農村は極めて接近している。都市から“ふるさと”へは数時間である。この都市・農村の近接という条件を、人間の暮らしの豊かさに生かさなければならない。

 都市のサラリーマンの休日は今後ますますふえる。定年前につくった“ふるさと”の別荘で、“ふるさと”の山・川・田畑に親しみ、「いなか暮らし」を楽しむ生活習慣を新しく創り出さねばならない。

 都市に暮らし、農村に別荘をもち、余暇に豊かな自然を楽しむ。極めて贅沢な暮らし方を新しく創り出すことができる。やがて、定年になったら、別荘を居住地にし、都会の住居を子どもにゆずって、その一室を別荘としてのこす。定年後は農村に暮らして、時に都市の別荘で遊ぶ。まことに豊かな暮らしを享受できるのである。このような新しいライフ・スタイルが、日本のように都市と農村が至便な交通網で結ばれている国では実現可能なのである。息子・娘の子どもたちも余暇を親の“ふるさと”でおくるようになる。このような新しい習慣を日本に創り上げたい。

 いまの日本では、盆と暮れの短期間に「民族の大移動」をする日本的な貧困なレジャーが習慣になっている。この習慣を都市と農村との両面生活へと発展させるのが、二十一世紀の日本の豊かなライフ・スタイルである。

身上《しんじよう》技術の提唱

 かくて、農村に人口は還流する。定年退職後の“ふるさと”定住は、年金・退職金・預貯金持参の定住である。かつて、農村は貧しい資金をやりくりして一人前に育てた労働力を都会に提供して都会を富ませた。その労働力が「持参金」つきで農村に帰る。これで農村は極めて合理的な経済的帰結を得ることができる。これが「生活原理による合理」というものであり、そこには市場原理による合理と違って病むものが出ない。万事が調和していくのである。

 農村への人口の還流によって、農村地域の消費需要は高まり、地方経済は活性化する。農村は滅びるのではなく、人が住めるようになるのである。豊かな暮らしの場所になるのである。

 農業を人が暮らす場所をつくる産業としてとらえなおすと、経営や技術についての考え方も根本的に変わる。

 これまで、経営も技術も客観的な科学による普遍妥当性が前提となってきた。しかし、「暮らしの産業」である農業の経営や技術は、自動車やテレビをつくるのとは違ってアメリカともソ連とも共通するようなものではない。それぞれの風土の中に生きる生《な》ま身《み》の人間の生き様、暮らし方によって、それぞれ異なる経営と技術がある。普遍妥当性ではなく、生ま身の人間に合った経営・技術がよいのである。四○代の経営・技術と五○代の経営・技術は異なるし、奥さんが丈夫か弱いかでも経営も技術も異なってくる。(農文協は、それを普遍妥当な科学技術に対して、身上《しんじよう》技術と名付けて、部内で研究を重ねてきた。昨年九月号の“五○歳代は思案のしどき”、十二月号の“続・五○歳代は思案のしどき”は、身上技術・身上経営についての特集として編集した。その記事を読んでもらうと、科学技術と身上技術の技術のとらえ方の違いを判っていただけるだろう。)

新しい「跡継ぎ」の仕方

 農業は工業ではない。農文協が『農業は農業である』という本を故守田志郎博士に書いていただいたのは今から二○年前の昭和四十五年のことである。(今でもこの本は“人間選書”シリーズに収録されて市販されている)。

 青年の労働力が一・○なら、老人の労働力は○・五だなどという評価の仕方をしなくてよい産業が農業なのである。老人は老人なりの稼ぎ方があり、若者には若者としての稼ぎ方がある。大は大なりに、小は小なりに経営を営む。それが農業なのである。そして人生五○年時代の農業経営のやり方と人生八○年時代の農業経営のやり方がある。特に根本的に違うのは農家の「跡継ぎ」の仕方である。人生五○年時代の農家の「跡継ぎ」の仕方は固定的で自由ではなかった。ところが人生八○年時代の「跡継ぎ」の仕方は極めて自由になった。高卒一八歳で跡を継ぐ人もいれば、六○歳に近くなって、定年退職を機に、はじめて農業につく人もいる。もっとつきつめれば、息子が跡を継がなくても、一代とんで孫の代が跡を継ぐ場合さえある。

 それぞれの家族の個性によって、それらは自由に選択されるわけで、どれがよいかを科学的に判定するような事柄ではない。技術や経営も、それぞれの身上に合わせて、自分に合ったものを創り出していくのが、人生八○年時代の農業の姿なのである。

 昔、“むら”という、助け合う組織(共同体)があって、山や川を共同で利用し、人々の協力によって、大は大なりに、小は小なりに、一戸一戸の農家が、それぞれ自立していけるように支えあっていた。“むら”なしに個別経営がなり立っていたわけではない。

 人生八○年時代には、それにふさわしい“むら”の機能を果たす組織が必要である。若いときから農業に入った人にはその若さにふさわしい農業の仕事があるように、定年後農業に入った人にはその身体条件にふさわしい農業が営めるように、息子は帰ってこなかったが孫が帰ってくるのを待つ八○代の老人にも、農地が守っていけるように、個々のさまざまな事情のある農家を支える組織が必要である。それは恐らく機械の利用を老若で合理的に編成した営農集団であろう。

“むら”に暮らしをつくり、“むら”に人々が帰ってきて住める条件をつくる営農集団によって個々の経営の自立性は守られるのである。

 昭和ヒトケタ生まれの世代は、農地改革後の新しい近代的農業をつくってきた世代である。その世代が、近代合理主義農業のもたらした各種の矛盾を克服して、人々の暮らしの場所をつくる農業をつくる知恵を出さなくてはならない。昭和ヒトケタ世代にはその力がある。農業近代化を身をもって経過した世代だからである。六○歳の知恵を結集して、二十一世紀にむかう持続的日本農業を創り出そう。

(農文協論説委員会)

前月の主張を読む 次月の主張を読む