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農文協トップ主張 1990年02月

良食味品種群の広がりに期待する
コメ輸入をはばむ品種と技術

目次

◆日本の農家の底力
◆おコメのおいしさの根拠―マグネシウム、カリ比
◆ササ・コシ人気は「日本の味」に根ざしている
◆コメ輸入圧力をはねのけた品種と技術のつながり
◆良食味品種は減肥、減農薬で力を発揮
◆「地域の味」がコメ輸入をはばむ

日本の農家の底力

 イナ作農家の底力なのだと思う。コメを輸入しようという圧力が高まるとき、必ずといってよいほど、新しいイナ作技術運動がおきている。

 昭和三十年代末から四十年代の初めにかけて、片倉イナ作を中心とした元肥重点から追肥重点への技術革新が全国的規模でくり広げられていた当時、コメ不足を背景に輸入が拡大される可能性があった。だが、片倉イナ作に象徴される増収への努力は、コメ輸入をみごとにはねのけ、昭和四十年に一〇五万tに達していた輸入量は、昭和四十五年には五万tにまで減った。

 五年前、韓国米(実はアメリカ米)の緊急輸入が実施されたときには、それと相前後して、うすまき、元肥減を中心とする技術改善の動きが広範におこった。それは、昭和五十五年からの四年連続の不作の中で、これまでの田植機イナ作にみられた混乱を整理し、田植機時代の増収技術の確立にむけた営みであった。

 そして今、アメリカによるコメ輸入の圧力が高まっている中で、新しいイナ作運動がおきている。コメの食味に焦点をおいたイナ作への動きだ。

 良食味イナ作の本格化は、良食味品種の全国的な広がりによってもたらされた。ササ・コシは依然伸びているが、それに加え、最近の特徴的な動きは、あきたこまちに象徴されるコシヒカリ系品種群の広がりである。あきたこまちに刺激されるかのように、はなの舞、キヌヒカリ、ヒノヒカリなどのコシ系品種が続々登場し、地域銘柄米づくりがいよいよ盛んになっている。一方、北海道では、ゆきひかり、きらら三九七といった低アミロース良食味品種が広がり、従来の道産米のイメージを一新しようという動きが活発だ。

 日本晴、アキヒカリ、キヨニシキといった従来の品種は急速に減少し、品種地図は良食味品種群一色に塗り変えられようとしている。

 この大きなうねりをどう見るか。私たちはそれを日本のイナ作の底力のあらわれととらえる。そして、日本のイナ作の本質にかかわる重大かつ望ましい動きだと考える。

おコメのおいしさの根拠――マグネシウム・カリ比

 コメの食味、といっても決して単純なものではなく、何をうまいと感ずるかは個人差があり、炊き方や貯蔵法、ブレンドのしかたでも違ってくる。だから、いたずらに品種にこだわることには意味はなく、まして農家が一般につくりにくいとされる良食味品種に傾斜することは望ましいことではないという考え方が成り立つ。一面の真理でもある。それに対し良食味イナ作の動きを望ましいとするからには、良食味品種そのものに価値ありとしなければならない。まず、その食味についてどう考えるか。

 経済企画庁が昭和六十三年に行なったコメをめぐる消費者調査によると、「ササ・コシ中心の自主流通米」を食べている消費者が約三四%で、興味深いのは、この比率は年齢層が高まるにしたがって増加していることだ。六〇歳代では約四六%になっている。ちなみに、コメについて何に一番関心があるかを調査した結果は、品質六三%、安全性二三%、価格一二%だった。

 一言でいうと、値段は多少高くてもうまいコメを食べたいということだろう。しかも、年輩の人ほどその要望が強いということは、経済的なこともあろうが、何かしらの歴史性を感じさせる。

 年輩の人は戦中から戦後にかけて、パサパサした外米や古米を食べた経験をもっている。そんなとき、たまに口にした粘りのある新米の味は強烈なうまさとして感じたろう。そうしたことが、知らず知らずにササ・コシのあの粘りを求める要因になっているのかもしれない。そして、さらに歴史をさかのぼれば、そこにはつぎのように「日本の味」というべき歴然とした根拠があるのではないか。

 このところ、コメの食味の客観的評価法として、コメに含まれるマグネシウムが注目を集めている。中国農試の堀野俊郎先生らが提唱している評価法で、マグネシウムが多くカリやチッソが少ないコメほど粘りもあり、うまい、というのである。

 ササ・コシのマグネシウム・カリ比(マグネシウムの量÷カリの量)は、他の品種と比べて格段に高く、典型的なマグネシウム型になっている。さらに自然農法米や化学肥料を使わない有機栽培したコメもこの比は高い傾向にあり、逆にまずいといわれる多肥多収型の品種や多肥栽培したコメは、この比が低いカリ型になっているというのだ。

 そして興味深いことに、実は、昔の日本人はマグネシウム型のコメを食べてきたらしいのである。おもしろい調査結果がある。九州東海大学(片野学先生ら)では、明治時代の古い品種から近年の品種まで三七品種を栽培し、そのマグネシウム・カリ比を調べた。それによると、江戸末期から明治二十年代にかけて栽培された品種群はマグネシウムの割合が高い。ところが、その後の明治三十年代から大正初期にかけての増収時代を担った、耐肥性が強化された神力時代の品種群では、その比がかなり低いという結果になった。化学肥料が普及していない明治の前半までのコメはマグネシウム型だったらしい。このことをどう考えるか。

ササ・コシ人気は「日本の味」に根ざしている

 マグネシウムというコメの一成分だけで食味を論じることはあまりにも一面的すぎることは充分承知している。成分でいうなら、チッソ(タンパク、アミロース)のほうが、より食味に影響するだろう。だが、そのうえでもう少しマグネシウムにこだわって、食味を考えてみたい。

 ミネラルとして栄養的に重視されるものにカルシウムとマグネシウムがあるが、日本人の食事中のミネラル成分は、ヨーロッパと比べて、はるかにマグネシウムの割合が高いという、海外の研究者が調べたデータがある。一〇年前のデータだが、これによると、食事中のカルシウム・マグネシウム比(カルシウムの量÷マグネシウムの量)は、日本では約一・二、イタリアで約二・五、アメリカやオランダでは三を超えている。マグネシウムというミネラルは、日本人には格別かかわりがあるようなのだ。

 ミネラルとしてのカルシウムとマグネシウムのはたらきは、体内生理的に、ある程度代替、補完しあう関係があるといわれている。雨が多くカルシウムが流亡しやすい日本の土と、カルシウム含量が多いヨーロッパの土とのちがいがこのように、食生活におけるミネラル摂取のあり方に差をもたらした一つの要因になっているとみることもできる。

 雑穀やキノコ類、コンブなどにはマグネシウムが多く、またニガリを使うトウフやコンニャクにも多く含まれている。コメを含め、マグネシウムは「日本の味」に深くかかわっているようなのだ。

 とはいっても、カリ型のコメが健康に悪いなどという気は毛頭ない。カリ型のコメにもマグネシウムは含まれており、食生活全体の中でコメのマグネシウム含量が直接健康に響くとは簡単にいえないだろう。健康によいかどうかの栄養問題でなく、味覚の問題である。

 味覚は、生理的要求を土台にさまざまな歴史的経過を経て形成されたものである。うつろいやすいのも味覚の一面だが、根づよい歴史的根拠があるのも味覚である。

 ササ・コシは明治末期から昭和初期の間に良食味品種として、一世を風びした亀ノ尾と旭の血を強く受け継いだ品種である。東日本の亀ノ尾、西日本の旭、このいずれも、農家の手によって在来の品種から選抜・純系分離された品種だが、ササ・コシはこの東西の雄の結合によって誕生した。とくにコシヒカリは旭の低タンパク性を特異的に受け継いだ品種だといわれている(うまい品種を親にしたからといってすべてがうまい品種になるわけではない)。

 つまり、日本にイネが伝播し日本的品種が成立して以降のイナ作の歴史の中で形成されてきた味覚の伝統が、現代においてササ・コシ人気という形で引き継がれているのではないかということである。

 生命を維持する主食として毎日毎日食べているがゆえに、そこには文化としての味覚が根強く息づいていると考えることもできよう。

コメ輸入圧力をはねのけた品種と技術のつながり

 今、増収より食味向上にイナ作の重点は移行した。かつて、一四俵だ、一五俵だと増収を夢みた経験のある農家にとっては、なんともさびしい限りかもしれない。だが、多収と良質はいわば車の両輪であり、農家はその両輪を使いわけ、バランスをうまくとることによって、日本のイナ作の危機を乗り越え、イナ作を守ってきたのである。

 明治の後半、コメの需要が大きく伸びたときには、神力や愛国という多収品種で増産を実現した。大正の中ごろ、台湾や朝鮮で日本の稲がつくられ国内に大量に安くでまわって愛国や神力が大打撃をうけた後には、旭や亀ノ尾の血を強く引いた農林一号などの良食味の安定生産品種が広がり日本のイナ作が守られた。

 昭和四十年代の片倉イナ作は、戦後の大増産をほうふつさせるような、農家の手による増収運動であった。多収品種を用い、出穂三〇日前のイネの姿を基点とするイネの診断と追肥技術は、農家の技術力を急速に高め、当時進行していたコメ不足を一気に解消する力となった。地力と元肥に依拠したイネつくりから、生育状況を見ながら手を打てるイネつくりへの転換。その中で獲得された力量は、その後の田植機時代を支える技術的な力となった。

 そして、良食味時代をむかえた今、再び輸入圧力を乗り越える力は、実はすでに準備されているのである。五年前の韓国米の緊急輸入と相前後して広範におこった技術改善運動の蓄積がそれである。この運動はササ・コシという倒れやすい品種の広がりのもとで行なわれた。

 倒れやすい品種をいかに倒さずつくるか、キタジンPのような生育調節剤をあてにせず、天候不順にも負けないイネをどうつくるか。そこから生まれたのが、元肥減、うすまき、うす植え、深水栽培といった改善技術である。過密で弱々しい茎が目につくそれまでの田植機イナ作を点検し、いかに太い茎のイネをつくるか、課題はそこに集中していった。

 茎の太い丈夫なイネつくりでササやコシをつくりこなす、その模索と蓄積のもとに、今日の良食味イナ作はある。それは、日本のイナ作の底力のあらわれ以外の何物でもないだろう。今、この底力をどのように発揮するか。

良食味品種は減肥・減農薬で力を発揮

 おいしいコメは倒れやすくつくりにくい、というのは本当である。天は二物を与えてくれない。ただしこれには前提がある。栽培の考え方が多肥多収になっている場合は、という前提である。

 本誌でおなじみの、「への字イナ作」の井原豊さんは、コシヒカリこそ減農薬にむくつくりやすい品種だという。つくりにくくしているのは多肥するからで、ムリに多収をねらわず、少肥にすればイモチやモンガレもでにくくこれほどつくりやすい品種はないというのだ。コシは、少肥、減農薬にむく品種なのである。

 コシもササも、化学肥料も農薬もない時代の日本的品種の血を強く受け継いだ、いわば古いタイプの品種である。多肥多収、いくら肥料をふっても倒れない短稈の外国イネの血が色濃く入った品種とは、根本的にちがう。品種は古いタイプなのに、栽培法が多肥では、おり合いがつかない。

 コシのうまさには、倒れやすいということが一面でかかわっている。倒れやすいからとくにチッソ肥料をやたらとはふれない。ふれないから、コメのチッソ分、したがってタンパクやアミロースがふえず、マグネシウム・カリ比は高まり、結果としてうまくなるという面がある。コシは倒れやすいからいいのだ。

 こう考えると、最近のコシ系品種群の栽培にあたって一つの課題がでてくる。コシの倒れにくさを改良しているといわれる新しい品種群は、倒れにくいゆえに多肥になりやすく、それが食味を低下させる落とし穴になりかねないことである。

 それでは、良食味時代のイネつくりには何が求められるか。

 刈り場(収穫時)の姿こそ、まず問題にしたい。食味のよさは、登熟のしかたに左右される。収量の多少にかかわらず、すっきり登熟しきるイネの姿だ。

 井原さんの言葉を借りれば、止め葉と上の二葉は透きとおった黄緑色、そして下葉は青く生きていて最後までデンプンをコメに送り続け、そしてビワ色に熟れる。そんな姿が天寿をまっとうした姿であり、米はプッチリと稔り、当然食味もよい。逆に、上の葉が黒く下葉がヨレヨレに枯れ上がっているイネは、スッキリ登熟せず、不消化のチッソ分が多いまずいコメになる。

 象徴的にいえば、刈り場の姿に、赤トンボのあかね色が映える、黄金の穂が波うつイネをつくりたい。そのための技術を、本誌は従来にもまして精力的に追求していくつもりでいる(単行本でもこの春「良質米をつくりこなすシリーズ」三部作を刊行する)。

「地域の味」がコメ輸入をはばむ

 良食味品種は、コシヒカリなどの血をとり入れた地域品種の増加で、今後さらに多様化していく。ササ・コシ一辺倒の段階から、地域の条件にかなったさまざまな良食味品種がつくられていく。食味のよい昔からの品種の見直しも進んでいる。そして東北で生まれたあきたこまちを、九州で、東北とはちがった栽培法でつくりこなすといった動きもある。

 江戸から明治にかけては、全国的規模で農家どうしによる“タネの交換”が盛んに行なわれた。そのタネを地域に根づかせるべく選抜などによる育種に情熱を傾けた一群の農家が、日本の品種の多様化に大きく貢献した。そして今、品種は新しい多様化の時代に入った。それは品種が雑然と並ぶことではなく、農家の底力によって地域の品種が他地域との交流も含め立体的に構成されることである。

 こうして、地域にかなった品種と、その品種の力を引き出す栽培技術(結果的に減農薬・減肥の技術)が組み合わされる。ここに「地域の味」が生まれる。「地域の味」が全体として「日本の味」を形成する。それは、消費者をもまき込みコメ輸入を実質的に阻止する力になるだろう。

 単に消費者が望むから良食味品種をつくるのではない。消費者と手を結びながら「日本の味」を守り創造していく、そうした新しい時代が今大きくひらかれつつある。

(農文協論説委員会)

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