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農文協トップ主張 1989年12月

農村婦人はなぜ賢いか
生き方の広さと深さ

目次

◆農村婦人の聡明さ闊達さ
◆生産と生活が紙の表裏である暮らし
◆やさしさが生む聡明さ
◆農家の家族は夫婦と親子ではない
◆時間の力を借りることも

農村婦人の聡明さ闊達さ

 ひところの婦人雑誌では、結婚して子どもをもうけた婦人の生き方について語るときに、「妻として母として」という言葉がよく使われていた。メロドラマ映画の常套句も「妻として母として」だ。昔から「良妻賢母」型の女性に期待がよせられる。良妻も賢母もわるいわけではないが、女性の生き方が妻と母のモノサシだけできめられてしまうことはわるい。

 なぜわるいのか。その理由は、それが男尊女卑であるからとか、女性の権利を侵害するからというのではない。もしそれだけのことならば、表面だけをよそおって男女同権をいい、女性を尊重したといいくるめることはむしろたやすい。女性が生きていく姿は、「妻として母として」では、とても言い足りてはいないのだ。その言い足りなさは、男性が生きていく姿が「夫として父として」ではないのとはちょっとちがう。

 男にとっても女にとっても、生きている=暮らしているということには、妻(夫)だ母(父)だという以上の広がりと深さがある。男のばあい、それが職業という広がりと深さだとすれば、女のばあいはなにか。

 少なくとも、出世するとか世の中のために貢献するというような広さと深さではない。そういう世俗的なものではない。

 とくに農村婦人のばあい、それなしに、その人の人生は成り立たないというほどの広さ、深さなのである。

 どのように深く広いのか。そしてなぜ、特に農村のばあい、なのか。

 私たちは全国の農村を取材や普及で歩いている。全国各地に出張している農文協の職員が、一日に会う農家の人たちの数は、全体で優に三〇〇人を超えるだろう。その数多い農家の人たちとの対面のなかで、私たちはいつも、農家の婦人の闊達《かったつ》さ、聡明《そうめい》さを感じる。

 闊達さ――とらわれず、きめつけずに人や出来事に接し、相手とのかかわりのなかで自分を大きくしていく心の明るさ。

 聡明さ――ものごとを知っている、知識があるなどということとは関係なく、自分の経験を土台にして、日々起こる身辺の出来事を、自然に上手に解きほぐし、その経験がまたつぎの土台になるような、自分でも気づかない雪だるま式の賢さ。

何年か前のこと、井原豊さんの田んぼの見学会を兼ねた出版記念会があって、そこに国定正俊さんの姿があった。国定さんは人も知るイネの大経営を成功させた人である。旧知の仲だったので、おもわず「おや、国定さんがなぜここに?という顔になったらしい。そんな私を見て「いや、大きくつくっていても小ぢんまりとつくっていても、イネはイネですから」を国定さんはほほえんでいう。二〇haに近い国定さんのイネ作りと井原さんの一haのイネ作りとが相互に刺激しあうことなどないだろうという当方の勝手なきめつけとその無礼さを上手に解きほどいてくれる国定さんは、いつ会っても魅力のあふれる人物である。

国定さんの奥さんである佳子さんもまた聡明で闊達な、素敵なひとだ。国定さんが魅力的だから佳子さんがそうなったのか、佳子さんがそうだから国定さんがそうなったのか。二人ともどもに素敵で魅力的なのには理由がある。魅力が自然にあふれでてくるもとがあるのである。

生涯と生活が紙の裏表である暮らし

 いま、国定夫妻は経営を子息にゆずって、会社でいえば顧問のような立場にあるが、長年二人で一〇ha余の田を耕作して、秋、十一月の一ヶ月は毎日がイネ刈りだった。

 朝、日が昇ると佳子さんは床を抜け、まず洗濯をはじめる。洗濯機をまわしながら食事のしたくをする。学校に通う二人の子息と八十歳を迎えてなお元気で農作業を手伝う父君と、一家五人分の食事である。正俊さんもすでに目覚めて、庭先で二台の小型コンバインの整備をしている。味噌汁の香りがただよい、食卓には四つの弁当も並ぶ。息子たち二人の分と国定夫妻が田に持っていく分とである。

 食後の一休みののち、洗濯物を干し、いよいよ田んぼに出発。すでに日は高く昇り、一〇時をすぎている。そんなに根《こん》をつめることもない。二人でコンバインを動かせば一日五〇aは刈れる。昼食のひとときは夫妻だけの時間。ときには息子たちの将来についての話題も出るが、あらかたは作業の手順、今年の作柄、天気の予測。そういった一家で営む農業についての語らいである。

 充分に休んだあと、ふたたびコンバインにかかる。そして夕刻、何十袋というモミの入った麻袋を、小型トラックに積んで帰宅すると、お父さんがすでに乾燥機の石油バーナーをセットして待っている。そこにモミを入れて、佳子さんは夕食のしたく、正俊さんはコンバインのあとしまつ。

 十数年前に、岡山県藤田村(現岡山市)の国定家を訪れたときの光景である。あとつぎが就農するまで、ずっとこのような暮らしを夫妻はつづけてきた。

 冬のある時、私はまた国定家を訪れて、国定さん独特の直播の技術の話を聞いた。佳子さんがお茶を運んできてくれて、そのまま、にこにこと座っている。ときどき相槌を打ったり、「あのころはコンバインはまだ小型だったかねえ」などと、一緒に考えてくれたりする。

 突然の来客があった。地元の女子高校生が二人、社会科の勉強ということで話を聞きにきたのだった。お役所の経営調査みたいな、繁雑な数字を求める質問に、正俊さんはいちいちていねいに答えていた。やがて二人の女子高校生は「これまで、いちばんご苦労なさったことは何ですか」と、しめくくりのような質問をした。

すると、「それには、私から答えようか」と佳子さんが語りはじめる。

「あのな、ここのうちにお嫁に来たときにはな、まだバラックみたいな家だったんよ。雨がふると雨がもり、風がふくとギシギシと鳴ってな、それはそれは恐ろしかったんよ。電気も引かれてなくて、ランプだった」

 佳子さんの話に目を大きく開いて、高校生は聞き入っていた。佳子さんの語りの運びがなんとも当を得ていて、その聡明さは、妻としてのものでもなく、母としてのものでもなく……。何といったらよいのだろう。生産者としての魅力?そういってしまえば話が抽象的すぎる。生き物を育てている暮らし、生活し生産することが紙の表裏のように、分かれないで在るような生き方、その中で身につく聡明さ。国定さん夫妻から自然にあふれ出てくる魅力のもとが、そこにあった。

やさしさが生む聡明さ

 丹治正志・恵美子さんのばあい(今月号七六ページに詳述)もそうだ。養蚕には、新しい飼育法がどんどんとりいれられて、昔のように夏には人の住む場がないというようなことはない。若い夫婦でやる近代的な養蚕経営のなかで、二人は大いに働き、恵美子さんただ正志さんの妻であるだけでなく、力と知恵を合わせて暮らしを立てるパートナーとなっていた。

 子が生まれ、農作業に忙しい日々の巡りのなかで、恵美子さんは、子どもとふれあうことの少なさに戸惑うこともあった。

夜遅く、寝る前のほんのひとときに、だいぶ汚れてしまっている子どもの運動着を洗う。翌朝“母ちゃん洗ってくれたの”と子どもたちがうれしそうにいう。でも、洗濯物が子どもへのせめてものプレゼントだというのでは悲しい。さみしい。

そういう思いが、ずっと恵美子さんにはあった。それは「母として」のやさしさだろう。

 以前、昭和四十年代のことだが、鹿児島の野菜農家のHさんから話を伺っていて、それはつぎのような話だった。

野菜の出荷は夕方からになる。往復一〇〇km近い夜道を、一人で運転しつづけるのは危ない。どうしても出荷は夫婦二人で行くほかなかった。まだ幼稚園児の二人の子どもが、おそい昼寝から目覚めなければ、弁当をつくってちゃぶ台に乗せ、その上に赤ちゃん用の蚊帳《かや》を張って出かけた。帰ってくると、二人の子は肩をならべてテレビを見ている。ある日、途中で忘れものに気づいて戻ってくると、幼ない姉と弟が仲よく弁当を食べていた。

「あら、もう食べているの」

「うん、おなかすいたから」

 屈託のない子どもたちの笑顔にホッとしたという。ホッとしただけではなかったはずである。恵美子さん同様の戸惑い、迷いもあったろう。

 やさしさが聡明さを生むのかもしれない。恵美子さんにはお姑さんがいる。子どもの世話をよくしてくれる。だから運動着だってお姑さんが洗ってくれるだろう。でも、せめてもの“プレゼント”ととして自分の手で洗ってあげる。食事をともにできない日がつづいても、絆《きずな》はどこかで自然に結ばれていくのである。

 価格低迷のなかでも養蚕をつづけて、それがよい判断で、また高値になった。年六回飼育でやってきたのを一回抜かして、来年は家族旅行をやろうと計画する。その計画を夫婦ともどもで立てる。

 こうした丹治さん一家の暮らしの中には、生産者としての農家の婦人の知恵が働いている。その知恵は夫にあって妻になく、あるいは妻にあって夫にない――というものではない。双方が、ともに生産を担っているからこそ共鳴して出てくる知恵である。

農家の家族は夫婦と親子ではない

 そのように、暮らしに広がりと深みが現われて一つのリズム、張り合いのリズムが出てくるには、いつも、なにかきっかけのようなものがある。

 貞広信子さんのばあい(七〇ページに詳述)は、実家は非農家で、農業の経験はなかった。それがナス農家の久夫さんと結婚した。農家の暮らしの中にいながら、心の中に、どこか隙間があって、夫に不満があるわけではないが、もう一つ力が出てこない。そんなときに信子さんは井原豊さんの本『ここまで知らなきゃ農家は損する』を読んだ。これだと思った。どこがどうということではない。要は井原さんの熱気に当たって、これまでの、農家がきらいなわけではないが百パーセント農家の暮らしに溶け込むことへの逡巡が、それでふっきれたということのようである。それからのちは、信子さんにとってナスは“夫の好きなナス”ではなく、わが家の暮らしを成り立たせてくれるナスになった。

 長野県で酪農に精根込める山田みよしさんのばあい(六四ページに詳述)は、きっかけは借金だった。どちらかといえば経営は夫まかせでやってき酪農だったが、エサ代の営農貸越がいつのまにか四五〇万円にもなっているのを知ってびっくりする。酪農がいかに儲からないものなのか、くたびれ損のものかと、ついつい愚痴をこぼす。そんなとき、「夫が船頭で妻がお客さんだと、いつ誰が決めたのかね」と、普及員さんに言われた。そのひとことに、みよしさんは参ってしまった。経営の苦しいことはみんな夫のせいにして、自分はまるで手伝い人のような気でいて、子どものことばかりにかまけていた――そんなふうに素直に思えた。

 農家の家族は夫と妻と子どもだけで成り立っているのではない。子どもの世話をしてくれる姑、農作業を手伝ってくれる舅がいる。それだけではない。一家を支える牛がいる。蚕がいる。ナスがある。イネがある。

 だから農家の婦人は妻であり母であるだけではない。広く深い自然の神秘とつきあう人である。夫、父、母、子、そして動物や植物とともに暮らすなかで、闊達さ、聡明さが生まれてくる。心とからだ全体で、ふだんは自然を馴らすことにつとめ、ときには自然と対決し、しかし心底自然を畏《おそ》れ敬《うやま》い、そうした日々の自然とのきり結びを、夫や父や母と子、そして近隣の人々との間に反映させて生きる人たち、それが農村の婦人である。夫を勤めに送り出し、子育てと家事を分担するだけの(つまり、母であり妻であることだけに閉じ込められてしまう)都会の主婦とはちがう生き方が、そこにある。

時間の力を借りることも……

 一方に、姑と嫁の関係がうまくいかない歎きがある。古今東西どこにでもある。人間の永遠のしがらみかも知れない。それを、別居する(核家族となる)ことで解決することは易しい。しかし、姑の聡明さ、嫁の聡明さによってしがらみから脱することも、多くの農家の中でみられることである。時間の力を借りる聡明さがあるからだ。

 本号のグラビアに、あえて外国女性を妻とした農家の人たちの姿を載せた。カメラマンの橋本紘二さんは、決して物珍しさでこうした写真を撮っているのではない。その家族たちと心を通わせて、何回も触れあうなかで、日本の農村の家族の、新しいありようを記録しようというのである。橋本さんは「外国の嫁さんをもらって、女性にやさしい心を持てるようになった」という夫の言葉を聞き、写している。「このほうが仕事が速い」と素手でイネを刈る妻がいる。

 妻の母語であるタガログ語を習う夫がいる。妻にあわせて食卓でナイフとフォークを使う姑がいる。寝たきりの舅の下の世話をする妻がいて、その人が「日本では全部奥さんがやらされていますが、フィリピンではだんなさんが、かなり細かいことを手伝ってくれます。だから私も、だんなさんにいっぱい手伝いしてもらってる」と語る(日暮高則『「むら」と「おれ」の国際結婚』による)。

 外国から来た花嫁さんであれ、隣村から来た花嫁さんであれ、“お客さん”はいずれ何かのきっかけで、農家の営みの主座にすわる。都会とはちがった家族の絆《きずな》が、牛や蚕やナスやイネを仲立ちにして、できる。

(農文協論説委員会)

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