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農文協トップ主張 1989年10月

いま微生物よりも注目すべきもの
土の「生命」のもとは粘土だ

目次

◆土は生きものか−微生物相の改善をめぐる2つの考え
◆土の命は粘土にある−バネに似た土のはたらき
◆高pHは粘土のはたらきをマヒさせる
◆有機物が多くてもよい土とはいえない
◆土つくりの基本は粘土のはたらきを高めること

土の「生命」のもとは粘土だ

 土の微生物への関心がとみに高まっている。数多くの微生物資材が市販され、「有益な微生物をふやし土の活力を高める」といったキャッチフレーズで、有機物資材や有機質発酵肥料の売込みが盛んだ。

 なぜかくも微生物が注目されるのか。

 化学肥料に依存した農業への反省という面がまずあげられるだろう。化学肥料で「死んだ土」に有機物を入れ、微生物の多い「生きた土」にするという有機農業的な主張は、かなりの説得力をもって受け入れられた。直接的には土壌病害の深刻化が、土の微生物相に目をむける必要性を促した。近年のバイテクブームも、直接的な微生物利用技術の可能性を示すことにより、微生物への関心を高めるうえで一役買っている。

 だがこうした微生物への注目は、土の力をよりよく生かしていくことに、必ずつながるといえるだろうか。逆に土そのものの働きが見えにくくなっているのではないか。

土は生きものか――微生物相の改善をめぐる二つの考え

 土は生きているといわれる。そして微生物こそ土を生きものたらしめている土の主役であり、微生物を豊かにすることこそ土つくりの基本だという見方は、一見土を総体としてとらえているようにも見える。だが土そのものは動物や植物のような生きものではない。都会に人々が住めば、都会は巨大な生きものに見えるが、都会が生きものだといえないように、土そのものが生きものであるわけではない。

 極端にいえば、微生物は土の住人にすぎない。もちろん住人も含めて土の全体としてのはたらきがあるのだから、ただの住人ではない。微生物は有機物を分解し、作物が吸収しやすい形に変えるなど大きなはたらきをしている。どんな住人がどんなふうにすんでいるかによって、土のはたらきは変わり作物の生育もちがってくる。都会に人がいなくなれば都会でなくなるように、微生物がいない土は本当の土とはいえない。だが、それでもやはり微生物は住人である。

 そこで、土の微生物を生かすとか、土の生物性を変えるとかいうことについて、二つの考え方がでてくる。

 一つは、土の住人そのものを直接的に変えようという発想だ。土壌病原菌という悪い住人がふえた土を消毒し、住人を殺してしまうというやり方は、その代表である。有益な微生物を土に入れたり、エサとしての有機物を入れたりするのも、住人の種類や数を直接変えようという点だけをみれば同様である。

 もう一つは、土の住人を直接変えようとは考えず、土という住み家そのものの条件整備を第一におく考え方だ。この場合、どういう住人が住むかは結果にすぎないことになる。排水をよくしたり、耕うんして土に空気を送り込んだり、山土の客土や粘土などの投入で土の構造を変えたりといったやり方で、それが結果として土の住人のありようを耕作に適したものにする。

 農家の土へのかかわりは、この二つの面を兼ねそなえている。有機物施用にしても、それがエサとして直接微生物相に影響を与えると同時に、保水力や通気性など土の構造を変えて、結果として微生物相を左右することにもなる。だから、どちらがよいとか、どちらが効果的だとかは一概にはいえるものではない。

 だが、現状の微生物への関心の強さは、あまりにも第一の側面、つまり微生物相を直接的に変えるという側面のみに比重がかかりすぎていて、土のはたらきの本体を忘れているといえないだろうか。

 微生物は生きものであり、そう簡単に人間が操作できるものではないし、土壌病害に象徴されるような生物性の悪化は、微生物だけが原因で進行しているわけではない。排水が悪ければ青枯れ病が出やすいし、濃度障害で根が傷められたり、軟弱に育ったりすることが病害発生の引き金になる。化学性や物理性の悪化が根と微生物相の両者に悪影響をもたらし、それが土壌病害を深刻にしているのだ。

 だから微生物相を直接変えようとするだけでは限界がある。そしてむしろ問題なのは、以下に述べる土の本体そのものが、ぐらついてきているのではないかということである。土の本体がぐらつき、その結果として生物性の悪化が進行している、そこが生物性を考えるうえでの基本である。

土の命は粘土にある――バネに似た土のはたらき

 土の本体とは物質としての土、非生物としての土のことである。土は電気をもっており、土の中ではさまざまな物質が電気的な法則を中心に一定の秩序をもって動いている。そうした土のはたらきとしてまずあげなければならないのは、緩衝能という力である。

 緩衝能とはいわばバネのようなものである。バネは外部からの衝撃をやわらげ、さらにそこでうけとったエネルギーをもとにもどそうとする過程で徐々にはき出し、役だつエネルギーに変える。土には同じようなはたらきがある。雨とかかん水とか施肥とかはいわば外部からの衝撃であり、それを土は作物の生育に都合のいいように変えてくれるのだ。

 雨がふれば余分な水分を排除しつつ水分をため込み、作物の根に長期間水分を供給する。施された肥料を保持し、少しずつ根に供給する。これみな緩衝能という、土が特別にもつはたらきによる。

 根というのもいわば土の住人であり、根が張り養水分を吸収するのも、土にとってはひとつの衝撃である。根が土壌の水分(土壌溶液)中の養分を吸収すると電気的なバランスが変化し、それをもとにもどすように土から土壌溶液に養分が供給される。人間の体内の血液の中で秩序だった物質の移動が行なわれるように、そして体温を三六・五度前後に保とうとするはたらきがあるように、土も秩序を保とうとする。その意味では土も生きものといえるだろう。それは微生物がいるからではなく、土そのものの性質なのである。土を生かすとは、この性質を生かすということである。

 こうした土の性質のもとになっているのが粘土である。土は砂のような大きい土から粘土のような細かい土まで含んで成り立っており、粘土とは〇・〇〇二mm以下の細かい土(土の粒子)のことをいう。なぜ〇・〇〇二mmより細かい土を粘土と呼んで特別扱いするのかというと、それより細かい土=粘土は電気を帯びるからである。つまり電気を帯びる土が粘土なのである。粘土はふつうマイナスの電気をもち、それがチッソ(アンモニア)やカリ、石灰、苦土などプラスの電気をもった養分をくっつけ保持するのである。土の緩衝能の源は粘土なのである。土が生きているというなら、その命は粘土にあるといえよう。

 だが、現状の施肥や土壌管理では、この粘土の力が発揮されず、むしろその力を弱める方向に進んでいる。ここが今の土つくりをめぐる根本の問題である。

高pH化は粘土のはたらきをマヒさせる

 粘土の力を弱め土の緩衝能を低下させている一番の原因は多肥栽培、「土壌改良」である。ハウスにかぎらず、露地でもpHが七を超えるような畑がふえてきている事態は、その象徴だ。土壌改良資材だとして石灰や苦土を入れ、カリ、家畜糞尿を多用しているところではナトリウムも加わって、それらが粘土のマイナスの電気を占拠し、さらに粘土に保持されない分は化合物となって畑にドッサリたまっている。それが高pHの畑である。ある高原野菜産地では土(乾土)一〇〇gに一〇〇〇mgもの石灰が含まれている土が少なからずあるという。一〇a当たりに換算するとおおざっぱにみて一〇〇〇kg、一作で二〇kgの石灰が作物に吸収されるとして、およそ五〇年分の量だ。

 こうした高pHの畑ではチッソの肥効はきわめて不安定になる。アンモニアというプラスの電気をもった形で施されるチッソは、粘土のマイナスの電気が石灰などで占拠されているので行き場がなく、土の溶液に溶けだす。アンモニアが多くあると畑作物は害作用を受ける。根が傷ついたり吸収されて作物に生理的異常をもたらす。アンモニアが多いと石灰の吸収が抑えられ、土の中にタップリ石灰があるのに、作物に石灰欠乏があらわれたりする。トマトの尻腐れ、ハクサイの心腐れ、レタスの心腐れ・ふち腐れ、サトイモの芽つぶれなどの障害はみな石灰欠乏によるものだが、こうした欠乏症が石灰が土にたまればたまるほどふえているのである。アンモニアで根が傷つけば、土壌病害もおそいかかる。多量のアンモニアが多量の硝酸に変われば濃度障害を招く。

 肥料分を保持し、根の養分吸収に応じて徐々に養分を供給するという土のはたらきがマヒし、秩序がみだれている。バネが伸び切ってしまい、使いものにならなくなるのと似たようなものだ。こうした緩衝能の低下した土は、微生物にとっても住みづらい土である。養分や水分状態の大きな変動などで、土を生きる場とするふつうの微生物はたえず生存の危機にさらされる。その一方で、根があるときは根に寄生し、根がないときは土の中で動かずにじっと耐えて生きるような土壌病原菌が勢力を拡げていく。

 粘土のはたらきがマヒした土は、根や微生物という住人を受け入れにくくするのである。

有機物が多くてもよい土とはいえない

 さて、粘土を中心に話をすすめてきたが、もちろん作物がよく育つ土は、粘土だけでできているわけではない。根がよく張り、活動するうえでは、空気が入るすき間も水分も必要だ。そのためには粘土が集まった団粒構造がつくられなければならない。そしてこの団粒づくりに、根そのものや、有機物を分解し腐植にしてくれる微生物のはたらきが必要なのである。根は自ら粘着物質を分泌して土の団粒化を促進する。つまり土の住人は自ら住み家を、自分たちが住むのにふさわしいように変えていくのである。

 こうした団粒化によって、粘土の力はいよいよその本領を発揮する。非生物と生物とが合体し、土の大きな力が生まれる。有機物や微生物だけで、この力が生まれるわけではない。あくまで、粘土のはたらきがベースであり、その力を充分に引き出すのが土つくりなのである。

 有機物が多く、微生物がたくさん住んでいればよい土だとはいえない。現在のハウスでは、有機物は多くあっても、水に溶かすとドロドロになるような土、団粒構造が発達していない土が多い。粘土は過剰な肥料分にとり込まれて身動きがとれず、有機物は粘土と結びつくことなく土の中に浮いている。粘土の活性が低下しているため、本当なら粘土と有機物(腐植)が結びついてつくられる団粒が形成されていない。

 そうした土は、生物性もきわめて不安定だ。粘土のはたらきが悪いのに有機物ばかり多い土では、微生物の住み家が多様でないため微生物相は単純化しやすく、エサだけはタップリあるので過繁殖して、かえってそれが禍いをもたらす。そこで今度は、微生物相を直接操作するような技術も必要になってくる。

 本来粘土がやってくれることを人間が代わってやらなければならないために、金も手間も気づかいもふえてくる。

土つくりの基本は粘土のはたらきを高めること

 土(粘土)そのもののはたらきの回復こそ、今第一に考えなければならない、土つくりの課題である。そのためには、粘土の電気的なはたらきをマヒさせている多肥栽培を改めることが基本だ。とくに石灰やカリ、苦土などプラスの電気をもった肥料は極力減らしたい。

 多肥化して粘土のはたらきがマヒした畑では、土の電気的力を高めるために、電気的力の大きい良質の粘土を入れるのも有効な方法である。しかしこの場合も施肥量減らしは前提である。粘土を投入し、施肥は少量の硫安だけにして大きな成果をあげている農家もいる。粘土が、畑に効きにくい形でたまった肥料分を有効化し、また、硫安のような酸性肥料は、粘土をとり囲んでいる石灰などをとりのぞき、粘土の活性化を促す。

 有機物による土つくりに励んでも、なかなか作物がつくりやすくならないような土は、粘土のはたらきそのものをよくする手だてを考えたい。

 今月号で紹介した農家事例の多くは、なんらかの形で施肥量を減らし、粘土の働きの回復をめざしている。そのやり方はいろいろで、そのちがいは土(粘土)のちがいを反映しているとみることもできる。そうした目でみてみると、これまでとはちがったヒントが得られるのではないだろうか。

 粘土を生かす基本は、地域によって、畑によってそれぞれちがった形で存在する粘土を生かすことである。粘土がちがうということは、その粘土がよくはたらきうるためのpHも施肥量もちがうということである。バネにどれだけの力を与えるのが有効かは、バネのありようでちがってくる。画一的なpH改良、土壌改良が地域に固有な粘土のはたらきをダメにしてきたのだ。

 それぞれの地域の土、粘土は、その地域の地形、気象、植生、つまり長い間の自然の作用がもとになってつくられてきた。農家は、その自然の作用を映しとる形で、身近にある有機物、つまり作物や地域の植生を活用し、土の力に応じた作付けのしくみを組立てて、地域に固有の粘土を生かし、その力を高めてきた。それがまた地域に固有の微生物相をつくりだしてきた。粘土を生かす技術はすぐれて「地域技術」である。地域固有の土―作物(および植生)―微生物のつながりがあってこそ、外部からの資材という衝撃も有効な衝撃として生かされ、低コスト高品質生産が可能になるのである。

(農文協論説委員会)

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