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農文協トップ主張 1988年10月

「有機農産物に基準を」という考え方のおかしさ
有機農業はもともと「自由な農業」だ

目次

◆今注目の「ボカシ肥」―その「気軽さ」と「奥深さ」
◆高品質とはどういうことか―微生物の力を得て作物は生命を貫徹する
◆根―微生物―土の関係をまともにする施肥とは
◆施肥、土つくりとは周囲の自然を呼び込むこと

 減農薬、無農薬、有機農業、そんな言葉をきいてあなたはどう思われるだろうか。これからは避けて通れない課題だと思う人は多いだろう。だが、それ以上に、何か特別の方式のような気がして違和感を覚えるという人が多いかもしれない。

 このところ有機農業の基準をつくろうという声がでてきている。ブームに便乗したインチキ有機農産物が出回っているからだという。土地や気候によってちがう農薬の使用回数や、有機物の量や質の基準を、いったい、どこのだれが、それこそどんな基準でつくるのだろうか。つくる側の善意は別として基準つくりは、画一化を招きやすいものである。

 減農薬や有機農業ははたしてそんなものなのだろうか。農薬が減りさえすればよいのか、化学肥料をやめて有機物を使えばよいのか、そして農家はある特定の方式に従わなければならないのか。

 もっと自由でおもしろいやり方はないのだろうか。

今注目の“ボカシ肥”――その“気軽さ”と“奥深さ”――

 たとえば、今注目したい肥料がある。

 ボカシ肥……油カスなどの有機質肥料にモミガラや落葉などの有機物、さらには山土や粘土を混ぜて発酵させた肥料。

 ただそれだけのことなのだが、今、このボカシ肥の魅力にとりつかれる農家がふえている。

 何が、どのように魅力的なのか。

 ボカシ肥の魅力は何か――と農家に問えば、まず挙げるのはその効果である。効果といっても増収効果がきわだっているというわけではない。ボカシ肥の効果の特色は、作物に病気がでにくくなり減農薬につながることと、着色とか味とかいった品質が向上することにある。減農薬と高品質、この二つは今や野菜や果物などを有利に売るための大きな要件になってきている。ボカシ肥でこの両者を実現できるとあれば、注目されるのも当然だ。

 だが、ボカシ肥の魅力はそれだけではなさそうである。ボカシ肥づくりにとり組んだ農家はたとえうまくいかなくてもめげすに工夫を重ねていく。これまでにない魅力を感じてのことのようだ。それはボカシ肥が“気軽さ”と“奥深さ”をかねそなえているからなのだと思う。

 ボカシ肥には堆肥にはない気軽さがある。同じように発酵させるのだが、材料は堆肥のようにたくさんはいらないし、発酵期間も二〇日ほどあれば充分だ。だいいち、効果がその作にすぐにあらわれるのがいい。効果のあらわれ方がまずかったら、つくり方、使い方を変えればよい。そんな化学肥料に似た気軽さがボカシ肥にはある。型にはまったやり方ではないからである。

 なぜ型にはまらないのか、この点は大事なことなのであとで考えるとして、まずその効果についてみてみよう。

 ボカシ肥は化学肥料のような気軽さがある。だが、土や作物に与える影響、つまり効果のあらわれ方は、化学肥料と同じではない。化学肥料を混ぜてつくるボカシ肥もあるが、それでもボカシ肥である以上化学肥料とはやはりちがう。何がどうちがうか、ボカシ肥の奥深い魅力を解くカギにもなりそうなので、じっくり考えてみたい。

高品質とはどういうことか――微生物の力を得て作物は生命を貫徹する――

 宮崎県のハウス農家、川越義正さんもボカシ肥の魅力にとりつかれた一人である。川越さんはいう。「今まで堆肥と化学肥料で栽培してきた。収量も人並みでまあこんなもんだろうと思っていたけど、ボカシ肥を使ってみたら、今までにないしっかりした生育になった」。キュウリもナスも節間がつまり、葉が厚くなり、実の光沢もよく、キュウリでは痛いほどトゲが高くなった。病虫害にもおかされにくくなったという。

 なぜボカシ肥で生育が変わり品質がよく、病害虫に強くなるのか。それは根―微生物―土の関係がよくなるからだ。

 この根―微生物―土の関係というのは、実は根が自らつくり出す関係なのである。根は一方的に土から養分を吸収するのではない。根は光合成でつくられた養分などの分泌物を出し、それによって根のまわりに微生物を養っている。この根のまわり(根圏)の微生物は根からの分泌物をエサとして繁殖し、一方ではアミノ酸や核酸、ビタミン、ホルモン、各種の無機成分などをつくり出して根に供給する。一種の助け合いである。

 この、微生物がつくり出す養分が重要である。これらの養分は植物に対して、花の充実や着果、果実の肥大や成熟など、生殖生長にプラスになるように働くのだ。作物が子孫を残し命をまっとうすることに大いに役だつのである。

 実験的に作物を微生物がいない状態でつくると、微生物がいる場合と比べて根も茎葉もより早く大きく生長するという。その限りでいえば作物が大きく生長することに、微生物の存在はマイナスらしい。根圏微生物には、根のまわりの養分を横どりするという面もある。だが、微生物は横どりした養分を別の形に変えて作物に供給している。そんなふうにして作物と微生物は昔から共に生きてきた。作物だけが一方的に効率的になるわけにはいかない。そのことがかえって、作物に生命力と安定性とをもたらしてもいるのだ。

 根圏の微生物群が豊かで安定していれば、いない場合と比べて、植物の葉のクロロフィル含量や各種の酵素活性が高まるという試験結果もある。微生物が葉の活力を高める。茎葉はこぶりだが活力が高い、それが微生物とともに生きる作物の姿である。その活力とは、生命をまっとうする強さであり、そこから病害虫に対する強さと、食べものとしての高い品質もうまれる。

 見てくれだけの品質や減農薬ではない。微生物の助けを得て命を貫徹する、そこから生みだされる色であり、味であり、香りであり、日もちなのだ。

 水耕栽培で人為的に養分を送りこめば、微生物の力などあてにせず、むしろ効率的に速く生長する。人工的に環境を整えてやれば、無農薬で立派なものがとれるだろう。だが、環境をきちんと整えないと生きられないというのは、やはりひ弱なのである。そこに本当の品質があるだろうか。

 根―微生物―土、このまともな関係から、高品質で、減農薬に結びつく作物が生まれる。高品質も減農薬も、単に有機質肥料を入れたり、農薬を減らしたりすることで可能になるのではない。土を介して、微生物が安定し、同時に作物が健康になる、この関係こそが重要なのである。ボカシ肥とは、この関係づくりに向けての肥料なのだ。

根―微生物―土の関係をまともにする施肥とは

 さて、こうみてくると、私たちは「施肥」ということについての、これまでの常識を変えなければならない。施肥とは、養分を吸収する作物の根に向けて肥料を施すのではなく、根―微生物―土の健全・安定な関係づくりに向けて施すのである。ボカシ肥はもちろんのこと、有機質肥料でも、化学肥料でも、土中でのその関係に大きく影響を与えることに変わりない。

 この事実を十分考慮せずに、単に「作物が吸う肥料」「生育に必要な養分」を施そうと考えて施肥をするから、根―微生物―土の関係が乱れてくる。化学肥料でも有機質肥料でも同じことだ。「あれが必要」「これが足りない」と養分を投入していくから、いつのまにか多肥、土中養分過剰な状態になってきた。

 根のまわりに肥料が多いと根毛の発達は悪くなり、微生物のすみ家としての根は貧弱になる。チッソばかりが効いて葉は軟弱に繁り病気に弱くなる。そんな生育では根の分泌物がたれ流し的にふえる。下痢みたいなものである。根圏の微生物が貧弱なうえに、みだれた分泌物が多くでれば病原菌など一部の菌が根に群がってくる。そこで土壌消毒。こうして根と微生物の関係はだんだん断ち切られていく。

 さて、ボカシ肥の場合はどうだろう。

 いまボカシ肥と呼んでいるものは、肥料が少なかった時代に生まれた施肥技術である。ボカシ肥は根が張るところに局所的に施すのがふつうである。少ない肥料を効果的に効かすには肥料は根の近くにまとめて施すのがいい。だが肥料分が濃いと根は肥あたりをおこす。そこで、肥料分を他の有機物や土と混ぜて発酵させる、つまりボカスのである。少ない肥料をムダなく(流亡させず)、根に害を与えずしかも長期間にわたって効かす、そんなねらいをもってボカシ肥という方法が工夫されたのだろう。

 そして、そのことの意味は今日一段と重要になってくる。それは過剰施肥による養分の異常蓄積や養分アンバランス、その結果として起こる根圏微生物の貧弱化が問題になっている現在、少ない肥料を効果的に効かす技術がますます求められているからだ。

 このようにボカシ肥はまず、土中成分の面から、根―微生物―土の関係をまともにしていく特性をもっている。しかし、それだけではない。ボカシ肥が、土中の水分状態、空気の状態を良好にするという効果も見逃せない。

 ボカシ肥には乾湿の変化をやわらげる効果があり、根圏に空気が多く、過剰水分が少ない状態をつくり出す。すると、根毛の発生がよくなる。また養分の吸収が安定して作物体の養分バランスがとれ、根の分泌物が安定する。このことが、根圏微生物相の安定につながることはすでにみたとおりだ。

 こうして、根と微生物の共同関係が強まる。その共同によって根が深く張り、団粒化がすすみ、土の物理性がさらに改良されていく。

 さきに“ボカシ肥は気軽だ”とのべた。それは、ボカシ肥を施すという一つの仕事によって、土中の養分状態(化学性)をととのえ、かつ水分・空気の状態(物理性)をもととのえるという多面的効果が出せるからだ。その多面的効果は、「作物の根―微生物」の関係という自然の営み(生物性)が充実し、活発化していくなかで現われてくる。

 化学性の改良は施肥技術と土壌改良資材で、物理性の改良は深耕・粗大有機物投入で、生物性の改良は堆肥や微生物資材で、というように、次々と資材と作業を積み重ねていかなければならないのがいまの土つくりだ。そうしたわずらわしさが、ボカシ肥にはない(ボカシ肥つくりに手間がかかることは事実だが)。

施肥、土つくりとは周囲の自然を呼びこむこと

 ボカシ肥は、一つの仕事で多面的な効果があらわれるから、“気軽さ”がある。しかし、それと同時に、作物の反応を見ながら、根―微生物―土の関係がどうなっていくかをとらえていかなければならないから、そこには“奥深さ”がある。その奥深さも、先に紹介した宮崎県の川越さんの場合のように、作物の生育に“明瞭な”変化となってあらわれる。だから、そこには“面白さ”が伴い、いちどとりくんだ人は、次々と工夫を重ねていく。

 “気軽さ”“奥深さ”“明瞭さ(面白さ)”がボカシ肥の特徴であるが、それは、ボカシ肥が画一的なものでなく、きわめて個性的、多様であることも大いに関係している。

 まずそのつくり方、材料の中身が地域によって、作物によって、人によって異なり十人十色である。油カスや米ヌカ中心のもの、落葉やモミがらを多めに使ったもの、山土やクリークの泥あるいは炭を加えたもの、ルーサンのような牧草を加えたもの、微生物資材を添加したものなど、いろいろである。

 どれがよいとはいちがいにいえない。油カスや米ヌカなどの有機質を使うのは共通しているようだが、これらに、地域、わが家にある素材が加えられて、内容も効果もバラエティに富んだものになる。

 保肥力の強い粘土を加えれば、より肥効の安定に役だつ。炭を自分でつくって加えれば、菌根菌など有用菌をふやす力が強まる。落葉や雑草など身近にある有機物を多く使えば、量を多く確保できるし水分の調節など物理性の改良効果が大きいボカシ肥となる。自分の所の素材、労力、フトコロぐあいと、畑の条件やつくる作物の特性を加味して、それぞれに都合のよいボカシ肥がつくられるのである。

 そして、施す位置や深さも、作物や土に合わせて十人十色である。

 ◇

 ボカシ肥のもつ、“気軽さ”“奥深さ”“面白さ”とは、地域・わが家の自然(山のもの、川湖のもの、田畑のもの、収穫副産物)を、豊かに取り込んで、「施肥」をすることにある。

 そのうえでボカシ肥は化学肥料をも受け入れる。化学肥料は微生物のエサにもなり、他の周囲からの素材といっしょになって、そこにとけ込む。化学肥料そのものは単純な、全国共通の資材だが、それがボカシ肥となったとき、地域的なもの、個性的なものとなる。地域的自然によって、そこで生かされるように方向づけされるのである。「高品質」も「減農薬」もそうした「施肥」の結果として生まれるのである。「有機」「減農薬」の「基準」に向かって、画一的な手だてを打っていくところからは生まれない。あくまで、個性的な自然の活用が先にある。

 今回は、ボカシ肥を中心に考えてきた。しかし、ボカシ肥以外の肥料でも、さらには化学肥料でも、地域自然をベースにした「根―微生物―土」のまともな関係づくりに向けて使う使い方は、必ずある。

(農文協論説委員会)

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