主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 1987年12月

日本的共同社会を農村から

目次

◆田んぼの共同作業が朝市を生んだ
◆「むらの共同性」は必要から生まれた
◆いままた「むらの共同性」がもの言う時代に
◆個を損わないユイの延長としての共同
◆兼業農家をカナメとする
◆世界史的な流れの中で日本的共同社会をつくり出す

 今年は、経済国際化と輸入圧力のもとで、大幅減反(=転作)のうえに、生産者米価は大幅引下げ。農水省は、今後、米価の算定基準を改め、より一層、米価を下げていく構えを見せている。

 米価引下げによって生産費の高い小規模農家を稲作からふり落とし、その土地を大規模借地農家に集積するとともに、米の「過剰」問題もその中で解消できれば一挙両得、というところだろうか。そういう意味で、今年は、農政上の転換の年であった。

 では、農家としては、米価引下げに大幅減反(=転作)という厳しい時代をどう乗り切っていけばよいのか。これからの農業の進むべき道を、どう見定めたらよいのかを考えてみたい。

田んぼの共同作業が朝市を生んだ

 まず稲作を、むらの稲作としてとらえることからはじめる。田んぼの所有は個人単位ではあっても、実際にイネをつくる仕事は、個人の域をこえた仕事になる。そこをまず確認したい。規模の大小や専業兼業の区別を問わず、稲作というむらびと共通の仕事で、必要な共同の場面を(かつてのユイのように)現実にあわせて組み立てる。その土台の上に、その家その人なりの農業の、多様な展開をはかることを考えたい。共同の形は地域の実情に応じてさまざまだろうが、なによりも、必要があるから共同する――という形をとりたい。

 ここでまず、一二年間、機械の共同利用を行なってきた千葉県酒々井町の、ある「水稲生産組合」の事例を見てみよう。

 一三戸(ふだん働くのは男性三人、女性一〇人)で一五haの稲作を行なう生産組合である。専業農家は一戸だけで、あとは全部兼業農家。女性は五〇代が中心で、水田五〇aに取り組む七〇歳のおばあさんも入っている。トラクター二台、乗用田植機一台、コンバイン一台、ライスセンター(乾燥機四台)などを共同利用し、育苗も共同作業でやっている。機械を使う料金は、たとえばトラクターでは一〇a当たり一七〇〇円。オペレーター付で頼む場合は、オペレーター代一三〇〇円がこれに加わる。オペレーターは現在、専業農家である組合長と、電車の運転手、消防士の三人である。非組合員の田んぼの作業請負いもしているが、これはオペレーター代も入れて一〇a当たり五〇〇〇円。

 年間、春で二八〇万円、秋も二八〇万円の利用料が得られ、機械の更新のために毎年二〇〇万円ずつ積み立てている。コンバイン、乾燥機は一〇年以上も使ってから更新したが、これは女性が多いために掃除、手入れが丁寧だからだ、と組合長は言う。

 そして冬は、ライスセンターで(ボイラーや餅つき機が二台ずつ併設されている)、餅加工をしたり転作田からとれた大豆で味噌つくりを行なって、生協、その他に販売する。その出役労賃は、女の人で一日五〇〇〇円。おばあさんでも、一冬二〇日出ると一〇万円の収入になる。

 ところで、ここの組合長は町の農業委員でもある。そこで農業委員会にはかって、五十七年から毎日曜日、朝市と夕市を始めた。水稲生産組合員でこれに出荷しているのは三人であるが、今では町全体に広がり、約三〇戸の農家が朝市に出荷し(夕市は一〇戸)、八〇〇人から一〇〇〇人のお客が集まるまでになった。

 この地域はもともと水田中心で、野菜は転作田や庭先での栽培が主力だが、市《いち》ができたことがきっかけになって、つくる野菜が年間九〇種にもふえた農家もある。週一回の市であるため、夏場は野菜の生育が進んでしまう。そこで漬物にしたり、庭先販売も行なっている。さらに野菜や漬物だけでなく、餅や赤飯、カキモチ、アラレ、梅干なども市に出す。どんなものでも残らず売れるので、農業に自信をもてるようになった、と言う。また、最近は市に客として来る主婦を招いて、トマトケチャップなど、とれた農産物の加工や料理の講習会を催し、大変な好評を得た。

 機械の共同利用や市の組織化は、減反や米価引下げなどによる収入減に対する稲作の生産費引下げという防衛措置にとどまらず、それまでのイネ単作という単純な農業に、転作大豆や野菜の積極的生産をつけ加え、農産加工による付加価値生産と消費者との交流を可能にした。これらの仕事の大半は、二兼農家の五〇代の主婦たちによって担われているのである。

“むらの共同性”は必要から生まれた

 酒々井町の生産組合の事例から、なにを学ぶか。

 このような仕事の組み立て方は、むらがかつて持っていた共同性(ユイ)が、村の実情からの必要によって再生したものといえる。では、むらとは何か。むらの共同性はどこから培われてきたか。

 むらは各々の家の家産としての田畑や、共同牧野、共有林などの村産から成っている。山、川、田畑――これらの家産、村産はただの財産ではない。オカネとしての財産ではない。上手に活用してはじめて生きてくる財産だ。

 たとえば田んぼだが、田んぼを持っていることとイネをつくることは一つのことである。そしてその稲作は用排水路や道路の整備、水管理などにみられる共同性に支えられている。むらは、このような各々の家の家産、村産を土台に、家と家、人と人との関係をつくり出してきた。家産としての田んぼは先祖からの預り物であり、田んぼはより豊かにして次の世代にひきついでいくべきものだった。そして家々の田んぼは、むらの田んぼでもあった。このような家産、村産を土台に人々が緊密に結びついたむらは、これまでも、そしてこれからも、近隣仲良く互いに助け合い、ときに競《きそ》って共に暮らしていく、人と人、人と自然が結合して成り立つ「定住社会」なのである。

 このようなむらの暮らしが、さまざまな共同から成り立ってきたことは言うまでもない。すでに触れた田んぼの水は、用排水路の維持管理も日常の水のかけひきも、人々の共同的なかかわりを否応なく呼びおこす。必要だから共同する。そして労働力の面での共同性は、田植えの場面に典型的に現われていた。田植えというつらい労働を、共に働く活気の中で能率よく運ばせ、むらの田植えをむら全体で推し進めるそのシステムは、労働力が必要な「大」規模の農家に「小」の農家が手間を貸し、助ける結果にもなっていた。高度経済成長に突入した当初、むらに労働力が不足ぎみになってくると、その不足を補いむらの稲作を維持するために、各地で稲作の集団栽培が行なわれたのも、必要による共同であり、むらの知恵である。

いままた“むらの共同性”がもの言う時代に

 このような共同性が弱まったのが、兼業収入と米価値上げによって農業機械を個々の農家が持てた、高度経済成長時代という一時期ではなかったか。個別農家がイネの生産に一定の自己完結性を持つに至ったことは、個々の農家の自立性を高めるという、大きな意味をもっていた。だがそのことは同時に、個々の農家が経営的に危くなり、つぶれるのも自由、という側面も合わせもっていたのである。

 そして今日、値段が高い機械の能力に比べて、自分の農地が狭すぎるという矛盾が、とくに低成長時代の、一〇年にわたる米価の停滞と値下げという状況のもとで、誰の目にも明らかになってきた。リクツのうえでは、だから規模拡大を――となるのだが、これは現実的でない。逆に農地に比べて機械が多すぎる――と考える。そうすると、必要なのは、むらが培ってきた共同性を今一度、見直し、自立したむらびと同士の共同として現代的な共同(ユイ)を再生することだ――ということになってくる。

 もし、永年、培われてきたむらの共同性にもとづいて機械の共同利用を組むのならば、新しい機械をいっせいに揃えてから始める必要は何もない。個々の農家がすでに持っている機械の能力が、その作業面積に対して余力をもっているのだから、いま、むら内にある機械を生かすことを考えればよい。各戸のそれぞれの農業機械が更新期を迎えた際に、他の有効に使える機械を共同で使う方向に話合いを進めていけばよいのである。このばあい、単に機械を使い回すだけではなくて、オペレーターをどう確保するかということが問題になる地域もあろう。そこでは専業と兼業、あるいは若い世代と高年齢世代がどのように共同の仕事を組めるかが、知恵の出しどころとなる。たとえば酒々井町の生産組合では、専業農家の当主(組合長)と若い世代の兼業青年がオペレーターになっている。

個を損わないユイの延長としての共同

 大も小も、専も兼も共に暮らしているむらの共同性は、現代においてもユイの延長としての共同であって、土地を寄せ集め、大規模借地農業を目指す専業農家にその土地での農業生産を譲り渡してしまうような「共同」ではない。「小」の農家を農業から排除するのではなく、守る。言いかえれば、むらの農業を守る。そのための共同なのだから、機械作業の行程のみを共同し、農業生産の根幹ともいうべき作物の栽培管理は、個別の農家が担当するほうがよい。

 稲作農業には、耕うん、田植え、稲刈りのような機械的にできる作業の行程と、水のかけひき、施肥のような機械的にはできない――それぞれの田んぼの土の様子とイネの生育とをにらみ合わせながら命を育んでいく、より農業的な栽培管理の過程とがある。いま、機械代がかさみコストの面から問題になっているのは、この機械的にできる作業の部分だけなのである。米価引下げのもとで経営的にコスト低減がどうしても求められるのなら、この機械作業の行程を共同化すればよい。作物や土と交わって命を育む栽培管理にこそ、農家の主体性が生き生きと発揮される場がある。そこは、老人の深い経験が生かされ、婦人のエネルギーが発揮される場でもある。

 このような共同性によって成り立つイネつくりは、単に機械のコストを引き下げるだけでなく、各人の稲作へのエネルギーを引き出す励みにもなっていくだろう。とれれば、体の奥底から喜びが湧いてくる。とれなければ、なぜ自分がとれなかったのか、仲間の経験に照らして自分が見える。相互の刺激と経験の交換の中で、「欲が出てきて」稲作がおもしろくなり、地域としての稲作技術が形づくられていく。そして、こうした活力の中に高い収量も可能となってくる。増収は何より手っとり早いコスト低減の方法であり、実際上、その効果が最も大きい。機械があることによって、場合によってはオペレーターに援助してもらうことによって、老人や婦人の内に秘められた能力が開花し、そこで初めて転作作物の裁培や加工も含めた、むらの農業が多様に発展する可能性が拓かれてくるわけだ。

兼業農家をカナメとする

 生産性の高い大農が小農を駆逐し資本主義的な農業を築いてゆく、といった経済学の農民層分解論は、日本の伝統的な農村には通用しない。

 アメリカのような新大陸では、開拓時代の当初から、その広大な未開の土地の上に産業としての農業が始められ、自由な競争を軸にして展開されてきた。そこでは近代的・経済合理的にものを考える人間が、白地に絵を描くように新しい大規模農業を築くことができた(いまもアメリカでは、農業不況の中で家族経営が激減し、全農家数の一%でしかない年間販売額五〇万ドル以上の巨大農場が、全農業所得の六六%を占めるまでになっている)。

 しかし、日本のように、歴史的に積み上げられた数多くの仕組みをその農業に蓄えているところで、あえてそういう道をまねることはない。日本で農地が売りに出されるのは、いまも昔も、その家に破局的状況がおきたときである。その際も、むらの誰かが買い取り、その農家が立ち直ったときに買い戻せるようにしておくという伝統的な農地の売られ方が、いまなお追求されているのである。

 米価を下げようと何をしようと、兼業農家を脱農させようという試みは失敗するに違いない。たとえ農業だけでは採算がとれなくても、その農業を続けるのが日本の兼業農家である。ましてや円高不況のもとで失業問題がおき、この先も明るい見通しがないときに、誰が好き好んで農業を手放すだろうか。

 農地を手放さないことを非難してなにになろう。逆に、むらに兼業農家が数多く存在すること――それを、むらの農業の進む方向を組み立てるうえでのカナメにする。どうすればカナメになるか知恵をしぼる。そこがポイントだ。

 このような日本の歴史性に根ざしたユイの延長線上にある共同の道は、世界史的な大きな流れの中でみても、生産性向上・農業発展の有力な方法であり、それはまた世界に類のない新しい共同社会をつくり出す方法でもあろう。

世界史的な流れの中で日本的共同社会をつくり出す

 農家は今日まで、別に農水省に尻をたたかれなくても農業の生産性を伸ばしてきた。なぜ、それができたか。日本の風土と農業の構造に合った機械・設備、土地改良技術の開発など、いわばハード面での成功もある。しかし最も重要なのは、いわばソフトの面、つまりそれらを駆使してなお、むらの農業を成り立たせてきた農家の人たちの知恵と意欲である。これがなくなれば、いかなるハード面の開発も意味がない。

 これから先の日本農業の生産性の伸ばし方は、一にかかって、大小・専兼・老若の別を生かして、どのようにむらの農業を組み立てるかにある。酒々井町の生産組合の例は、そうした“組み立て方”の一つの好事例であり、日本のどこのむらでも、新しい“組み立て方”の試行錯誤がはじまっている。さまざまの試みが数多くされればされるほど、むらの農業の進む道が拓ける。その結果として、日本農業の進む道も展望されてくる。

 日本の農業の将来について、資本主義的な発展のコースを描く考え方がある。それは、一言でいえば、酒々井町の「生産組合」の一三戸一五haという規模を、一戸の大規模借地農家でこなしてしまおうという考え方である。この道が日本では一般的にならないことは既に述べた。つまり、日本においては、この道はハードを生かそうとしてソフトを殺してしまう道である。

 一方で、社会主義的な集団農場風の姿を描く考え方がある。ソ連や中国で試みられた集団農場のように、農業機械化段階にあって「規模の経済性」を発揮し、その成果を、基本的には農業労働者の暮らしを豊かにする方向で分配していく、という考え方である。ところが経営を一本化した集団農場は、ソ連でも中国でも労働意欲の組織化に成功しなかった。これもまた、ハードを生かしてソフトを殺した例である。だから、農業の生産性を上げ農業の豊かな発展を展望するうえでいま必要なのは、規模の拡大ではなくて、ソフトの面で知恵と意欲を組織することなのである。それはそのまま新しい日本的な共同社会の萌芽でもある。個々人が自立して生きて全体がよくなり、全体の共同性によって個々人が生きる社会――。

 そのような共同性は、日本の伝統的な水田農業の歴史の中で長い時間をかけて培われてきたものである。高度経済成長と農業近代化――それは表面で農家の孤立化を推し進めたが、深奥では自立化を促した――を経ることによって、共同性に自立性の芽が付与され、ここに、欧米の農業(社会)とは様相を異にした日本独自の自然的・社会的風土性に根ざした新しい共同社会の創出が展望されるのである。

(農文協論説委員会)

前月の主張を読む 次月の主張を読む