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農文協トップ主張 1987年01月

大企業の夢でなく庶民の夢を
文明としての産業から文化としての産業へ

目次

◆夢を描くための世界情勢の見方
◆「日本が強くなり、アメリカが弱くなった」は大きな錯覚
◆「大企業の繁栄」が「庶民の繁栄」ではなくなった
◆現実的な2つの夢
◆変わらぬ土台に新しい個性を

夢を描くための世界情勢の見方

 新年号だから夢を語ることにしよう。ただし、一〇〇ha規模のアメリカ稲作経営に対抗できる生産性の高い稲作経営を日本で実現しようなどという空想的な夢ではなく、ごく現実的な夢、庶民の夢を語りたい。

 現実的な夢を語るには、将来についての現実的な予測を立てなければならない。日本の政治も経済も世界の政治や経済によって大きく動く。だから世界の将来についての予測から始めなければならない。

 まず、石油と穀物のうごきについて考えてみよう。

 ひと昔前(昭和四十八年)、世界に石油の危機があった。今にもこの世から石油がなくならんばかりの騒ぎであった。一バレル二ドルであった石油が一二ドルに、そしてやがて三四ドルにと値上がりした。それが、今では、石油が余り、値段も下がってしまった。

 ひと昔前(昭和四十八年)、アメリカとソ連に穀物の不作があった。穀物の相場はハネ上がった。世界的食糧危機。日本の国会でさえ、「食糧の自給力を強化する」決議をするくらいであったのだ。それが今では、穀物は余り、値段も下がった。

 石油と穀物について、今後一〇年くらいにどういうことが起こるだろうか。両方ともに不足が起こる。石油も穀物も工業製品ではない。必要だからといってすぐ増産できるものではない。需給のバランスをとる努力が続くのだから、その努力が実れば、すぐ不足になる。自然に制約されているこの種の商品は、需給バランスがとれればただちに、ちょっとした不足が大きな不足に発展する性質をもっている。余っていてちょうどよいのである。農家の方にはこのことは十分おわかりのことだろう。

 石油も穀物もやがて不足する。未来についての夢を語るときには、まず、このことはしかと押さえておきたい。

 次に国際通貨危機について考えてみよう。ひと昔前から、世界の通貨の危機が始まった。今回の「円高」で三回目である。

 第一回目は、昭和四十六年のニクソン・ショック。第二回目は、昭和五十二年のカーターのドル防衛政策。そして今回が、第三回目の、レーガンの円高政策。

 世界の通貨危機はアメリカから始まる。第一回目は、アメリカの貿易収支が赤字になったときに起きた。第二回目はアメリカの貿易外の収支も含めた国際収支が赤字になったときに起きた。そして第三回目、今回はアメリカが債権国から債務国に変わったときに起きた。世界の通貨危機の震源地はアメリカである。

 第一次世界大戦が終わった後、アメリカが世界の経済をリードするようなった。第一次大戦で戦火にあわなかったアメリカの経済は飛躍的に伸びたのである(昭和二十五年の朝鮮戦争で戦火にあわなかった日本の経済が飛躍的に伸びたのと同じである。戦争は特定の国の富を飛躍的に大きくする)。いずれにしても、第二次大戦を経過した後は、アメリカのドルが世界を支配した。

 そのアメリカの力が衰え、ひと昔前から、日本や西ドイツの経済が急成長し、アメリカもとうとう借金国になってしまった。一方、日本は世界最大の債権国になった。力の弱くなったアメリカと協力して世界の不景気を克服するリーダーシップを発揮しなければならない。というのが当今の未来予測と夢の形成の基調になってきた――。

 果たしてそうか。

「日本が強くなり、アメリカが弱くなった」は大きな錯覚

 以上の考え方はまちがっている。アメリカは少しも、弱くなっていない。

 なによりも大事な点は、アメリカには強大な軍事力がある。未来を考える場合に最も肝腎なのはこの点である。

 アメリカの赤字は膨大な軍事力として蓄積されているのである。世界最大の「富の集積」であろう。しかも、その「富の集積」を減らそうとはしていない。いよいよ、軍事力の富を蓄えようとしている。

 もう一つ大事な点は、アメリカは石油をキチンと温存している。どんなに貿易が赤字でもアラスカの石油を日本に売ろうとはしない。その上に広大な耕地(穀物)をもっている。

 世界最強の軍事力を蓄え、石油を初めとする地下資源を温存し、あり余るほどに穀物をつくった上での赤字なのである。日本はどうか。防衛費を国民総生産の一%に押さえ、石油は買い続け、石炭などの地下資源は採算があわないからと切り捨て、農業も採算が合わないとして、輸入にたより、もうかることだけをやって得た黒字である。このように日本の黒字とアメリカの赤字とは根本的に性質がちがうのである。

 債務国といえば、借金をかかえた国なのだから経済的に力が弱いだろうと思いがちだが、そんなことはない。アメリカには、軍事力・地下資源・耕地という形で国内に膨大な資産が形成されている。加えて世界中にアメリカ企業の直接投資が行なわれている。日本の対外投資の主力は「財テク」である。それに対してアメリカの投資の主力は直接投資である。アメリカの海外直接投資の実力は日本の一〇倍をこえるだろう。つまり、アメリカの赤字は、赤字以上に海外に資産を蓄積した結果としての赤字である。そしてその権益を守るためにも強大な軍事力が必要なのである。

 日・米の経済を比較するには債務でなく資産の比較をしてみることだ。アメリカの国内・外の資産と日本の資産と較べてみたらその優劣は明らかである。

 そしてじつは、アメリカと日本の経済を逆転させることはいとも簡単なことなのだ。アメリカが食料品、燃料、原料品の値段を三割も値上げすれば、たちまち日本の貿易収支は赤字になる。何しろ、食料品、燃料、原料品が輸入の七割をしめているのだから。

 打つ手は簡単である。

 石油の需給バランスがとれそうになってきた時期をみはからって、中近東での戦争・紛争の火種に油を注げばよい。つまり、戦争の一方の当事国にアメリカがどんどん兵器を供給すればよいのである。他方にソ連がどんどん兵器を供給することになる。戦争が拡大し、国際情勢が緊張すれば、石油も穀物も値段が上がる。

 アメリカの強大な軍事力は、戦争を大きくすることもできれば、小さくすることもできる。軍事力で経済をコントロールできるのである。だから、断じて、軍事力を弱めることはしない。将来を予測する場合、この点を押さえておく必要がある。

“アメリカの経済力が弱まり、日本の経済力が強まった。円が強くなり、ドルが弱くなった。アメリカが債務国になり、日本は世界最大の債権国になった。「経済大国」日本は、世界の不景気を克服するためにリーダーシップをとらねばならぬ。日本の市場を解放し、外国製品を輸入して製品を輸出するのではなく、資本を輸出し、世界中に日本の工場を建てる。軍事費をふやし、アメリカの兵器を輸入し、アメリカの軍事力に頼るのではなく自前で防衛力(というのは常に攻撃力でもある。防衛力だけの軍事力などというものはない)を強化しなければならない。日本は「経済大国」としての国際的責務を果たさねばならない。”

 この夢はすべて、日本の大企業が、いっそうもうけをふやすために必要な夢である。しかし、決して庶民が平和で豊かな暮しをつくるための現実的な夢ではない。

“大企業の繁栄”が“庶民の繁栄”ではなくなった

 製品の輸入をふやすということは、それだけ日本の国内でつくったものは売れなくなるということである。

 そして、資本を輸出するということは、つまり海外に工場を建てるということであり、日本の国内の工場がいらなくなるということである。それは失業者の増加につながる(この傾向はすでにあなたの身のまわりではじまっている。農村のさまざまの下請工場の操短や縮小――)。

 製品の輸入も資本の輸出も、大企業がもうけをふやす上では都合がよいが、国民の暮し向きはそのために悪くなる。

 大企業の繁栄と、中小企業や勤労者の繁栄が一体となってすすんだ時代は終わったのである。自動車をアメリカで作ってアメリカで売っても企業はもうかる。そのもうかった金でもう一つ工場をつくれば、いっそうもうかる。しかし、日本の国民は失業する。

 東南アジアに工場を建てて、安い労働力と安い原料で製品をつくり、日本にもってきて売っても企業はもうかる。セールスマン以外の勤労者は職を失う。

 大企業の繁栄と、中小企業や勤労大衆の繁栄とが一致しない時代に入ったのである。

 将来についての結論をまとめてみよう。一つは、アメリカはいつでも、すでに戦争・紛争のおきている地点で、戦争を大きくする軍事力をもっていること。アメリカ経済の破局の進行は、その危険性を常にはらんでいること。二つめは、商品輸出による貿易摩擦を回避するために資本輸出の方向をとることは、日本の国内の産業を空洞化させ、日本を住みにくい国にするということ。この二つである。

 こんななかで、現実的な夢、庶民の夢はどのように描けるだろうか。

 一つは軍備縮小の方向へむけて世論を形成すること。もう一つは中小企業、農林漁業が繁栄する方向への経済の流れを形成すること、この二つである。

現実的な二つの夢

 第一の軍備縮小の方向については、幸いなことに「核廃絶」をめざす国際的世論が、アメリカ・ソ連を含め高まっている。軍縮の第一歩としての「核軍縮」を実現する一歩手前のところまで世論は強まっている。この実現が第一の夢である。

 財政赤字に悩むアメリカを助けるには、アメリカの軍事費を日本が肩がわりしてやることではない。軍事費を減らす国際的世論を形成するために、日本政府が行動することである。軍事費を削減すれば、アメリカの財政赤字はたちどころに解決の方向に向かう。軍事費を民政にふりむけることによって、アメリカの景気は回復の方向に向かう。ソ連にとっても事柄は同じである。

 この二つの大国は共通して軍事費の過大な負担によって、経済的な困難に陥っているのだ。この負担から両大国を解放してやらねばならぬ。それこそが、「経済大国」日本が国際的に果たすべき責務であろう。日本政府がそのイニシアチブをとれば、実現可能なところまできている。そして、かんじんなことは、日本政府というのはわれわれの政府だということ。われわれがその気になれば、政府を動かすことは可能だ。世界軍縮の夢。それは庶民にとって極めて現実的な夢である。しかも手に届くところにそれがあるという点が大事である。

 第二の問題である中小企業、農林漁業が繁栄する方向への経済の流れを形成すること――これも幸いなことに「内需の拡大」をめざす世論が高まっている。

 問題は内需拡大の仕方である。

 生活の基本である衣食住。その中で衣は確かに豊かである。しかし問題なのは食と住だ。

 大都会に住んでいる日本人の住居について欧米人は「ウサギ小屋」と馬鹿にする。

「ウサギ小屋」といっても値段は高いのである。「ウサギ小屋」一つ買うお金で、欧米ならば庭付きの家が買える。

 根本は大都会に人口が密集して地価をつりあげているからである。東京圏に日本の人口の四分の一が住んでいる。大阪圏・名古屋圏と合わせて三大都市圏に人口の約半分が住んでいるのである。

 この人口の集中を地方に分散させない限り、「住」への夢を実現することはできない。三大都市圏、面積にして全国の約一割。そこに人口の五割が住んでいて住宅問題が解決するはずがない。この問題を解決できるのは地方圏への人口の還流である。

 次は食の問題。飽食といわれる食の中味は貧困そのものだ。食事つくりに時間をかけられないほど働いた上での「飽食」。季節に合わせた素材、料理の種類に合わせた素材を選ぶ余裕もない。全国画一的で季節性なき食事での「飽食」。こうした中で、今ようやく、産地直結とか、有機野菜やらの「差別化商品」が「ファッション商品」として人気を呼ぶようになってきた。

 それらの「差別化商品」をふんだんに自然に供給できるのは地方圏である。

 金ばかり追いかけるのではなく、「住」や「食」という生活の基本部分での質の豊かさを形成させることが可能な時代に入っている。こうした地方圏の質的繁栄は、国家の繁栄=大企業の繁栄とは方向が異なる。地方圏の利益と中央圏の利益が対立する時代に入っているのだ。

変らぬ土台に新しい個性を

 今、庶民が求めているのは、それぞれの地域で自然と調和し、それぞれの地域の文化や伝統を継承しし、文明によって画一化された産業を、個性あふれる文化として形成する方向だ。生活の量的な水準ではなく、質的な水準が求められる。それを実現するには、地域の個性がそれぞれに発揮されることが前提になる。

 全国的に広がっている一村一品運動や各種の自給運動を、農業や食品加工業が画一的な文明の段階から、個性的な文化の段階へ高まっていくきっかけにしなくては意味がない。

 日本の国土は、山があり、川が流れ、海にそそぐことで成り立っている。そして、そこに田があり畑があり町がある。四季はそれぞれの地域でちがっていて、地域ごとに独自の文化と伝統をつくった。それが生活の土台の部分であり、地方圏では、この土台の部分はいささかも変わっていない。変わらない土台の上に、現代の文明を生かして、それぞれの地域の新しい個性をどのように形成していくか。そこに庶民の現実的な夢をかけよう。内需拡大の基本に、この夢を置く。つまり、地域の個性を生かす「暮しやすい地域形成」への投資こそ、内需拡大の内容でなければならない。

 高度経済成長期、昭和四十年代に中卒で集団就職をした少年たちは、今、四〇代にさしかかっている。家を建てたくなる年頃である。彼らはこの先都会の会社にいつづけていいものかわるいものか、円高不況による先行き不安に悩んでいる。

 彼らをふるさとに呼びもどして、庭先に家を建てさせることはできないのだろうか。息子を呼びもどすかどうかで農家の経営の方針はかわる。五〇代、六〇代の夫婦世帯の未来は、そのこととかかわる。

 これらの血縁・地縁を土台に、都会からふるさとへのUターンが可能な「暮しやすい地域」を形成する。それが「金」だけがあって「顔=人間」のない経済政策に代わる、人間のある経済政策というものだ。十七回農協大会で決議された「地域農業・農村振興方策の策定」や「生活活動基本方針の策定」もそうした趣旨のものであろう。

 たしかに、「暮しやすい地域形成」の夢は、地域の組織である農協が中心になって初めて実現の方向に向かう性質のものだ。「経団連」が中心ではだめなのである。

(農文協論説委員会)

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