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農文協トップ主張 1985年04月

いま「女の仕事」が大切な時代
農家の春は母ちゃんの仕事優先で

目次

◆忙しい春 大きな損をしていませんか?
◆おばあちゃんのタネまきができないと失われるものはとても大きい
◆母ちゃんならではの女の仕事の大切さ
◆女の仕事が農家を守り地域に活力をよぶ
◆地域運動は暮らしづくりの仕事を基本に
◆春です 母ちゃんの仕事を優先しよう

 お彼岸が過ぎると、いよいよ春です。

 農家のお母さんには、とても忙しい季節がやってきます。タネまき、育苗、田んぼの準備、田植えと次々にこなし、あわただしくパートに出ていくお母さん。

 兼業の父ちゃんの休みにあわせて、イネつくりの作業が進むようにと、準備、あと始末に追われるお母さん。

 野菜のタネまきや育苗、植付けを、父ちゃんとともに朝から夕方までこなしていくお母さん。

 それぞれに忙しい春です。子育て中だったりしたらなお大変です。だけど、今年のイネのでき、野菜の値段、リンゴやミカンの成りっぷりを想像して、不安とともに期待もふくらむ、躍動の季節です。

忙しい春 大きな損をしていませんか?

 しかし、忙しい春、新しい気持ちで迎える春に、お母さん、大きな損はしていませんか。何とか田の耕うん、代かきを間に合わせ、田植えをしあげても、し残してしまうこと、あるいは春に失ってしまうものはありませんか。

 あるおばあちゃんが、つくづく、こんなことをいっています。

 「去年は、キノシタマメまくの、やめたんですよ。五月の初めころ、木の下の日陰でもいいし、田のクロでもいい。まいとくと、秋には皮がうす緑色のきれいな大豆がとれて、黄粉や豆腐にはピッタリで、煮豆にしてもおいしい、重宝なマメなんだけどね。春は若い衆が忙しくて、話に出てこなかったし、転作でふつうの大豆をいっぱいつくるようになったし、田のクロにまくなんていい出せないものね……」

 おばあちゃんの家から、マメの種《たね》が一つ消えた。去年の春のことです。ふつうの大豆にはない色あい、日陰で育って味がよくなるというこの大豆ならではのよさ。昔から、そんなよさゆえに、どこの家でも少しずつ作りつづけ、種を守ってきたマメが、静かに、わずかおばあちゃんのさびしい思いだけを残して消えてしまったのです。

 「今年は、ハグラウリまくのやめようかと……」、こんなことをいっているおばあちゃんもいます。ハグラウリ、サクサクとした歯ざわりが涼を呼ぶ漬ウリで、夏の当座漬には欠かせない、古くからの品種。

 このウリも、田植えどきの四月末から五月初めころがタネまきどき。忙しくパートに出かける母ちゃんは、夏の暑い盛りには、キュウリのヌカ漬を買って帰ってくるようになったから、この春「あれ、まこう」という話がしにくいような気持ちだ。まくときにまかないと、もう、「お盆にあのウリは食べられない」という気持ちになってしまい、そのまま消えていってしまう。

おばあちゃんのタネまきができないと失われるものはとても大きい

 こんなふうにして、春がくるたびに、タネまきするマメや野菜が消えて、種類が少なくなっていく。これは、キノシタマメ、ハグラウリのおばあさんの話だけではありません。全国どこでもおこっていた、いまもおこり続けていることです。

 「昔のマメや野菜がなくなったって、ほかに食べるものはあるんだから……」とお考えかも知れません。しかし、種が絶えてしまうということだけが問題なのではありません。マメとか野菜そのものだけがなくなってしまうのではありません。

 大きい損は別のところにあるのです。たとえば、キノシタマメがなくなると、おばあさんは、本当においしい豆腐づくりや、黄粉づくりもできなくなります。店で買う豆腐の味だけが、豆腐の味として残ることになってしまいます。その土地の本当の味が失われ、おいしい味を「おいしい」と食べ合う家族の共感もなくなります。

 それから、キノシタマメがあれば、おばあさんは、おいしい大豆粉を作って、いろいろなものに使いました。粉をひくのは、寒い時期がいいのです。一〜二月の寒の陽に大豆を当てて粉にすると、いつまでも虫がつかず、いろいろな料理に使えるのです。

 マメがなくなると、このような寒を生かす知恵もいつか消えていきます。

 農作物は、収穫したものそのものが食料となるだけではありません。収穫後もいろいろな自然の作用が加わって、食べものとしての価値が高まるものです。寒の陽もあれば、微生物もあります。

 各地域で多種多様につくられてきた漬ものは微生物の力を最大に利用したもの。ハグラウリのタネまきをやめることで、微生物利用が一つなくなるのです。

 こうして、マメが消え、ウリが消えていくことは、めぐまれた自然を豊かに利用していく知恵の数々が失われていくことでもあるのです。

 そのかわりに入ってくるのが、薬剤によって保存された有害食品、機械の力で加工され食べものとしての価値の高まりのない食品です。食卓は、ガラッとかわります。

 そして、こうした変化の中で何よりも心配なのは子どもの健康への悪影響です。マメのおいしい味、おいしいマメでつくった豆腐の味がなく、「おいしい」と食べる場がなければ、とてもマメが好きにはなれません。ウリの漬ものを、「おいしい」と食べる雰囲気がないと、漬ものや野菜好きにはなれません。

 群馬県のある保育園では、子どもたちに健康的な食生活をと、野菜や豆類、雑穀などを積極的にとり込んだ給食をつづけています。四月に入園して、五、六、七月とそのような給食を続けると、子どもたちはすっかり、野菜の煮ものや豆料理が好きになるといいます。

 ところが、夏休みに家での生活を一カ月もすると、いつの間にか、野菜を食べられない子に逆もどりしてしまうというのです。ジュースやカップラーメンなど、不健康な食生活にもどってしまい、野菜を食べたがらない子が出てくるというのです。

 家で、野菜や豆といった、自然の健康食をおいしく食べ合うことが少ないからでしょう。

 マメや野菜をまかなくなる。これは、おばあさん一人のさびしさの問題だけではありません。種が消えてしまうというだけの問題でもありません。すばらしい食べものを育てる自然の力を活用する知恵が消え、さらには子どもの健康がそこなわれることにも、つながっているのです。そして、もしもおばあさんがなくなれば、こうして失われたものは、取りもどしたくてももうもどってはきません。

母ちゃんならではの女の仕事の大切さ

 さて、春のタネまきで何か一つ消えると、つぎつぎと大切なものが失われていくのはなぜでしょうか。

 それは、このタネまきという仕事が女の仕事だからです。女の仕事は男の仕事とはちがいます。一手間かければ、暮しのあらゆる場面がよくなっていく仕事です。一手間はぶけば暮しのあらゆる場面がくずれていくような仕事が多いのです。

 いま、男の仕事は一反でいくら稼ぐという仕事が中心です。一時間働けばいくらになるという仕事の仕方が多いのです。

 しかし、女の仕事は違います。タネをまくことは、まいたマメやウリを収穫して売るためだけではありません。家族が「おいしい」と喜んで食べるための仕事です。寒の陽や微生物などあらゆる自然を使って食べものの価値を高めることにつながっている仕事です。子どもが健全な味覚と食生活を身につけ、身心ともに健康に育つことにつながっている仕事です。子どもといっしょに働く=子どもの教育をすることも含まれた仕事です。

 もちろん、母ちゃんが野菜を作って一反いくら稼ぐとか、パートで一日いくら稼ぐことや、それを家計の足しにするとか、自由に使える小づかいにすることがいけないというわけではありません。それはもちろんあるでしょう。しかし、母ちゃんの仕事のもとのもとには、一反いくら一時間いくらの仕事とはちがうものがあります。いろいろな場面につながって価値を増すような仕事があるはずです。暮しづくりの仕事です。

 パートに出て働く、父ちゃんがやる一反いくらの野菜つくり・果樹つくりをいっしょになって働く、あるいは母ちゃん自ら販売用の野菜づくりに励む、というように、どんな母ちゃんにも、一反いくら一時間いくらの仕事はついてまわります。

 そして、その時間が一日の大部分を占めることもあります。だけど、パートや、父ちゃんの補助労働が、母ちゃんの仕事の基本ではなさそうです。

 いや、一反いくら一時間いくらの仕事が、そもそも農家の仕事の基本ではないのです。むしろ、女の仕事、つまり「タネをまく→おいしく食べ合う→自然を生かしきる→子どもが健康に育つ→おばあさんが生き生きと若い母ちゃんに知恵を伝える」、こういうつながりのある暮しづくりの仕事こそが、農家の基本となる仕事だといえるのです。

女の仕事が農家を守り 地域に活力をよぶ

 今月号の特集「嫁にいきたくなる村」をご覧ください。長野県の小さい集落・喬木村富田地区。ここの母ちゃんたちは、年輩のおばあさんも若いお母さんも、実にいきいきと暮しづくり、村づくりに励んでいます。

 嫁いできた若いお嫁さんが、自分から「農業をやってみたい」といい出します。農家の娘さんで、「お嫁にいくなら農家に」と心に決めている人も少なくありません。

 これはどうしてでしょうか。一見すれば、富田の母ちゃんたちは、野菜づくりでよく稼いでいます。年に一人で二〇〇万、三〇〇万も売り上げる母ちゃんもいるくらいです。しかし、富田の母ちゃんたちの活気、「嫁にいきたくなる村」の雰囲気は、その稼ぎだけによるのではありません。ほとんどの父ちゃんが外へ勤めに出ている中で、母ちゃんたちが、それぞれの家の暮しづくりの仕事として野菜をつくっているからです。

 暮しづくりの仕事としての野菜づくり。たとえば、ある若いお母さんは、「子どもが小さいうち、家で働きたい」これが野菜つくりの動機です。そして「子どもが小さいからなるべく農薬を使わない野菜を選ぶ」、あるいは「夏に子どもにいっぱい食べさせておいしい野菜を選ぶ」、これが作目選びの重要な判断材料です。

 また、ある年輩のお母さんは、お嫁さんが野菜づくりを始めるのに何がいいかを考えて、作目を選びます。連作障害の出た畑は、土に無理をかけない作目にかえます。

 このように富田の母ちゃんの野菜づくりには、それぞれの家の事情に応じた、暮しづくりの仕事が、どんと据わっているのです。

 こうして、嫁が農業をやりたいと思う、娘が農家に嫁ぎたいと思う、「嫁にいくならあの村」といわれる暮しぶりができてきたのです。

 現在の家族の健康を守り、農業を守るばかりでなく、「農業をやりたい」「農家に嫁ぎたい」と、若者が思う気風ができる。次代の農家、農村に向けての、それこそ大きな財産にほかなりません。これは母ちゃんの仕事が暮しづくりの仕事として営まれ、それが農家の仕事全体の基本となっているところに生まれたのです。

地域運動は暮しづくりの仕事を基本に

 一反いくら、一時間いくらの仕事の時間が長く、金額が大きくても、それが農家の仕事の基本ではない。そういう男の仕事が農家の仕事の基本になり、母ちゃんの仕事もその仕事ばかりになるとき、大切なもの=おばあちゃんの生きがい、自然を生かした健康的な食生活、子どもの健康、次代への精神的財産が急速に失われていってしまいます。

 いまの世の中、母ちゃんの仕事を、全面的に一反いくら一時間いくらの仕事に変えさせようとする誘わくや、強制でいっぱいです。農家自身の中にもあります。そのような強制に対して、暮しづくりの仕事を守っていくのが、家族全員の協力であり、農協運動など地域運動です。

 暮らしづくりの仕事が基本となった野菜づくりが、もうからない=一反いくらにならないわけではありません。また、とりたてて煩雑だというわけではありません。家族関係や農協の事業の支えがあれば、いや、母ちゃんたちがそのような関係や事業の方向をつくっていけば、やりやすく、また、働きに見合ったもうけも得られるようになるのです。

 くわしくは、特集をお読みいただくとして、喬木村の農協は、つくる野菜の作目や面積や出荷時期を一律に押しつけるのではありません。育苗センターは、できるだけ、それぞれの母ちゃんが自由に作目・作期を決められるように運営されています。また、販売は、いつどんな野菜が出ても、また少量でも売りさばくようにしています。

 家の暮しづくりの事情に応じた、自由な野菜つくりが可能になっているのです。また、母ちゃんたちがお互いに教え合うことや、無人市の開設なども、自由な野菜づくりをしやすくしています。

 このような、暮しづくりの仕事を重視した地域活動、農協運動は、いまもっとも重要な時期にきているといえます。一反いくら一時間いくらの仕事だけを中心として資材を売りさばく営農指導事業からの転換です。母ちゃんたちが、家の事情に応じて自由に暮しづくりに取り組めば、必ず農家、農村はいきいきとしてくる。そういう環境をつくる事業です。

春です 母ちゃんの仕事を優先しよう

 さらに、農家の父ちゃんの協力はきわめて重要です。一反いくら一時間いくらの仕事ばかりに集中し、母ちゃんをひきずりまわしたり、尻ぬぐいをさせているのでは、母ちゃんは努力のしようもありません。

 母ちゃん、おばあちゃんが暮しづくりのためのタネまきをしようと思っても、田んぼの仕事やハウスの収穫ばかりに忙しくて、畑を起こしてやれないのでは、タネはまけません。野菜の苗を植えたいと思っても、ちょうどその適期に母ちゃんの手があかないようでは、女の仕事の真価を発揮することはかなわないのです。

 春です。三月、四月、五月は、一反いくらの仕事も、暮しづくりの仕事も、いろいろな作業適期が集中します。どのように折り合いをつけるのか、母ちゃん、おばあちゃんは八十八夜の連休にはなにをやりたいのか、是非ことしは、家族で話し合いたいものです。

 農家の女の仕事、暮しづくりの仕事こそが、農家の家族と土地を守り、地域に活力をもたらすのです。

(農文協論説委員会)

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