「総合的な時間」の総合誌
農文協
食農教育  
農文協食農教育2008年4月増刊号
 
筆者。本職はブドウ農家

食農教育 No.61 2008年4月増刊号より

田舎ぶりがいいほうが勝ち!

大分県安心院町

NPO法人 安心院町グリーンツーリズム研究会会長 宮田静一

安心院町の農家民泊の基本的考え

 グリーンツーリズムに力を入れている大分県安心院町(現在、合併して宇佐市安心院町)には、地元大分県をはじめ、関東や関西、北九州などから子どもや若者がたくさん訪れ、農家に宿泊している(中学生の場合、平成十八年度は二九校、約三〇〇〇人)。

 受入れの基本的な考えは「少人数に分かれて農村のごくふつうの民家に泊まり、農業・農村体験を通じて、農村の生活そのものを感じてもらう。だから体験メニューの消化は追求しない。ゆったりとした農村時間のなかでの『本物の非日常体験』こそが農村に対する新たな認識を与えてくれる」というものだ。

 また体験や食事のメニューは統一されたものではなく、受入れ家庭ごとに違う。学校の先生たちにもその基本姿勢を事前に伝え、事後のふり返りのときに、子どもたちの多様で個性的な農家体験の全体がひとつの村であることを理解させてほしいと話している。

 子ども農山漁村交流プロジェクトで、一二〇万人の小学生がムラにやってくる。これまで、たくさんの子どもたちを迎え入れてきた安心院町にとっても圧倒されそうな数字だ。グリーンツーリズムの想像を超える爆発的な展開が、こわさも反面あるなかで、期待される時代になってきた。

農家民泊をはばむ三つの見えない壁

 この、いまの状況は、「過疎化、高齢化が進むなか、『土からモノをつくる』農業だけでは生きていけない。都市の人にあるがままの農村の生活を楽しんでもらうことで収益を得よう」と、安心院町グリーンツーリズム研究会(以下研究会)が発足したときのことを思えばウソのような話である。オウム真理教の地下鉄サリン事件の翌年、平成八年三月のことで、研究会は新興宗教扱い。「グリーン教」と揶揄されたりもした。

 安心院町はブドウの産地で、ワインが特産だ。平成八年九月、研究会は、町の最大のイベント「ワイン祭り」に合わせて、「ワイン祭りに参加して農家に泊まろう」をキャッチフレーズに、第一回の農泊を開始した(安心院町では、農家民泊のことを農泊と呼んでいる)。

 農泊に取り組むうえで、大きな壁が三つあった。

 まず一つめが、家のなかの壁である。安心院は盆地という地形のせいか、人の気性が閉鎖的だ。農家が他人を泊めて金をもらうなどということは、とんでもないことだった。農泊をはじめることにしたあるお嫁さんの場合、農泊について地元新聞で報道された後もなかなかお姑さんに切り出せず、ギリギリ切羽詰ったところでようやく話したということもあった。お姑さんは「とんでもない嫁」と思ったようだが、シブシブ障子もふすまも張り替えて、宿泊客を迎えてくれた。それから一二年、そのお嫁さんは、「民宿百選のおかあさん」に認定された。それをいちばん喜んでくれたのは、お姑さんだった。

 二つめの壁が地域の白い目だ。「あの家も落ちぶれたもんじゃ。あそこまでせんでよかろうに」という無言の声が聞こえてくる。

 農泊に取り組むうえでの三つめの壁が国の法律で、これが最大の壁だった。

 農家が宿泊場所や食事を提供する場合、旅館業法や食品衛生法が適用される。認可してもらうには多額の資金投資と厳しい審査が必要とされていたのだ。そこで研究会では、不特定多数を泊めるのではなく、会員制にして特定の人を宿泊させ、謝礼として農村文化体験料を受け取ることにした。安心院方式と呼ばれるこのやり方なら、認可のための改築などを必要としない。ただ問題は、会員制で旅館業法などをクリアできるという法的根拠が明確ではないことだった。

 そこで研究会では、安心院方式の法的認知のために、さまざまなイベントを企画し、実施した。

藁こずみに挑戦する中学生

 十一月に開催する全国藁こずみ大会。これは各地から訪れる参加者に、農村の風物詩「わらこずみ」をつくってもらいながら、地域資源を活用する農村のあり方やすばらしさを見直してもらおうというものだ。

 柿の苗を毎年一〇〇本ずつ植えていく祇園坊講演会。これは干し柿のなかでも最高級のおいしさといわれる広島特産の柿、祇園坊の苗を、この講演会で配布して、庭先や道沿いに植えてもらおうというものだ。

 また月々四〇〇〇円を五年間積みたてて行くヨーロッパ研修や、二ヵ月に一回、講師を呼んで開催される定例会などを行なった。

 平成十四年三月二十八日、大分県は県内各保健所あてに生活環境部長通知を出した。この通知は安心院方式を追認するもので、これによって安心院方式は大分方式になり、平成十五年四月一日には、国が、農家民泊の規制緩和を盛り込んだ旅館業法施行規則の改正を行なった。規制緩和にはあと一〇年はかかると思っていた私たちにとってたいへんな出来事で、仲間内ではいまでも三・二八事件と呼んでいる。このニュースを聞いたとき、私は目が痛くなるほど泣いた。

小さい子は小さい子なりに藁こずみに参加する

安心院を子どもたちの第二のふるさとに

 学生の団体をはじめて迎えたのは、平成十二年十月のことだ。県内のある高校の生徒、三二〇名が泊まることになった。当時、「キレる一七歳」が話題になっているときで、私たちもなんとなく怖かった。

 わが家にも八名の男子が泊まった。半数が野球部員で、「元気」があふれ返っていた。わが家のブドウ畑の広場に置いてあった藁こずみ大会用の藁の束を見て、一人が「これは何か」と来た。もう一人が「これは米をとったカス」と吐き捨てるように答えた。子どもたちは、生きることについて重症の状態だと私は感じた。

 わが家はブドウの専業農家だが、ナシも少し植えている。一人一玉ずつナシを持たせ、果物包丁で皮をむかせると、誰一人むけないのに驚いた。「こうしてむくんで(むくんだよ)」とむいてみせると、全員むけるようになった。親も学校も、たださせていないだけだということがわかった。

 このとき、この高校の生徒たちは、八〇名ずつ、四回に分かれて泊まったので、四回の歓迎式とお別れ式に立ち会うことになった。そして驚いた。三二〇名の生徒のうち、九割以上の子どもたちが、涙なみだのうちに帰って行ったのだ。 

 後日、この企画を担当した先生から、「子どもたちの逃げ場が欲しかった」と聞かされた。逃げ場をつくる役は、農村に住む人間が十分果たせると思った。

 子どもたちと別れるとき、私は、「いいかえ(いいかい)、心が苦しくて苦しくてどうしようもないとき、安心院においで」と言ってあげる。すると子どもたちは「ホント?」と目を輝かせて別れてゆく。

 ある日、女の子らしい文字で宛名の書かれた手紙がきた。それは一年半前、高校の修学旅行でわが家に農泊した娘さんからだった。

 一枚の写真が入っていた。そこには、わが家に泊まった子どもたちが肩を寄せ合って写っていた。そして、その背後の黒板には「卒業」と大きく書かれていた。

 手紙には、「友達のAさんはダンサーの道に進み、Bさんは結婚し、高校を中退しました。私は美容師になるため現場で働いています。よっぽどやめようかと思うこともあるけど、いつか店長になるんだと思って歯をくいしばってがんばっています。また手紙を出してよいですか」と書いてあった。涙で文字がにじんで見えた。

 あれから五年経った。その子からの今年の年賀状には、「結婚して子どもができました」と書いてあった。

 大阪のある中学校の子どもたちは、親や先生を困らせることが多いとのことだった。ところが安心院に二泊して帰ったあと、一皮むけたみたいに大人に一歩近づいた感じになり、近所でも評判になっているそうである。

 また、これは別の中学校の生徒の話だが、泊めた八人の子どもたちに、それぞれの家庭の事情を順番に話してもらったことがある。そういうことを互いに話したことはなく、子どもたちにとってはじめての経験だった。子どもたちが親や兄弟のことを話すなかでわかったのだが、八人の子どもたちのうち五人が片親だった。これには驚いた。人前で話すことによって、子どもたちも少しは楽になったのではないだろうか。

 この子たちが、みな幸多かれと祈らずにはいられない。

 安心院に来た子どもたち! 都会で暮らすのはたいへんだろうが、がんばってください。どうしようもなく苦しくなったら帰っておいで。安心院はあなたたちの第二のふるさとなのだから。

みんなで食べる食事はことのほかおいしい

農山漁村交流プロジェクトでムラの再生を

 研究会は一二年前にドイツを訪れ、ブドウ畑が続く人口六五〇〇人の町、フォークトブルクの市長さんにお会いした。私が「どれくらいの人がグリーンツーリズムにかかわっていますか?」と質問したところ、市長はあきれた顔をして両手を広げ、「一〇〇%ですよ」と答えた。その言葉によって、私は信じられないほどのショックを受けた。このとき、研究会の目標が見えたのである。

 ドイツ語には「過疎」という言葉がない。

 日本ではこの頃「限界集落」という言葉が新聞に出ない日はないが、限界集落の問題を解決するには、バカンス法を含め、グリーンツーリズムを本格的にやるしかないことを、私たち研究会はヨーロッパ研修から学んできた。
 安心院にはじめて子どもたちを迎え入れたとき、私は、これが農村再生の大きなキッカケになるという予感を持った。今度は小学生一二〇万人がムラにやってくる。全国のグリーンツーリズムを志す皆さん、肩の力を抜いて、楽しみながら、子ども農山漁村交流プロジェクトを定着させましょう。

 田舎ぶりのいいほうが勝ちなのだ!

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