「総合的な時間」の総合誌
農文協
食農教育  
農文協食農教育2006年1月号
 

食農教育 No.45 2006年1月号より

ゲストティーチャーでは不十分!

「みそこし応援団」で
地域の先生どうしのつながりづくり

福岡・立花町立上辺春小学校「みそこし応援団」の取組み

編集部

 給食・栄養指導で食生活は改善されるのか?

 熊本県との県境に位置する、福岡県立花町立上辺春小学校(児童数七一名、栗原眞二校長)には、「みそこし応援団」と呼ばれる聞きなれない学校支援組織がある。今から四年近く前の二〇〇二年。当時、福岡県・八女郡学校給食会の研究指定を受けていたことが結成の直接的なきっかけとなってはいるが、その問題意識がおもしろい。火付け役となった石本勉前校長はこう語る。

 「給食の研究事業というと、食事の準備や後片付け、栄養指導などに力を入れるのが一般的ですが、それでは本質的な食生活改善には結びつかないのではないでしょうか? まとめの研究紀要では決まって『家庭・地域との連携が今後の課題である』と書かれています。それなら、最初から本気で家庭・地域と連携して、子どもたちの食生活を地域ぐるみで変えていくにはどうしたらよいのかを考えるうちに、『みそこし応援団』の構想が浮上したのです」。

 食べることは、人間が生きるうえでの原初的な営みだ。ヒトの歴史は、食べものを「みつける」ことから始まり、次第に作物や家畜を「そだてる」ようになり、その過程で調理加工し「こしらえる」技を磨き、礼儀や作法にのっとって「しょくする」文化を根づかせてきた。これらキーワードの頭文字をとって「みそこし」と名づけたそうだが、とにかくキャッチーな言葉をつくって、地域の人を学校へ呼び込みたいという思いが石本先生の頭にはあったようだ。

 「学校で地域の食文化を教えてください、というとなんだか大所高所からの知見を披露しなければならないように聞こえますが、地域のお母さんたちに、「山菜やキノコを『みつける応援団』になってください」「米や野菜を『そだてる応援団』になってください」とお願いすれば、本当に広い分野から多彩な人材が学校を応援してくれるだろうと考えたのです」。


石本勉先生

 応援団をどのように組織したか

 四月当初はゼロのスタートだったが、前述したような理念や組織イメージを考え、五月末には二〇人もの応援団員を組織したという。どのような手順で地域の人を巻き込んでいったのだろうか?

1.力のある学校評議員を
 まず、核となってもらえそうな方に学校評議員をお願いした。たんなる校長の諮問機関としてではなく、学校の教育課題に積極的に力添えしてもらうという立場としてこれを位置づけた。

2.校区内の全戸に応援団員を募集
 学校だよりや回覧版を使い、全戸に「みそこし応援団募集」の案内を配布した。「みそこし応援団? なんじゃろか?」「じつはこういうことなんですよ!」と説明できるよう、地域が期待感をもってくれるような雰囲気づくりを行なうのだ。

3.「第一回みそこし会議」開催
 五月末、チラシや口コミを通じて、二〇名ほどの方が集まった。地域の食文化を「みそこし」という視点でとらえ、野山を知っている方、米や野菜のそだて方を知っている方、調理・加工に詳しい方、食事作法に通じた方など、自分ができること、やってきたことをどんどんあげてもらい、子どもたちに披露してもらうこととした。


「みそこし応援団」といっしょにつくった栗料理を給食で味わう

4.「第一回みそこしサミット」開催
 五月三十一日。応援団のみなさんが体育館に地域の食べものの実物を並べ、子どもたちにそのつくり方や背景を語った。タケノコご飯、鬼の手こぼし、梅干し、弁財天コンニャク、キウイジャム、ミカンゼリー……。子どもたちの目の前に上辺春の食文化が一瞬にして立ち現われたとともに、具体的な学習課題が見えてきたという。

5.年間学習計画を立てる
 サミットの内容や子どもたちの反応を受けて、数名の教員で一年間の学習計画を一気に立てた。
 みそこしサミットで登場した現物と応援団の方々は、すばらしい学習素材とその語り手だ。だが、そのままでは教材とはなりえない。味噌を濾すかのごとく、地域の教育資源を精錬する営み(教師による教材化)があって、はじめて学習課題となりうるのだ。
 こうして、支援体制を整え、具体的な課題学習に入るまで、およそ二ヵ月。はっきりいうと、付け焼刃でつくった組織の感は否めない。しかし、なにかことを成すときは、いっとき一気に練り上げなければならない場面がある。今思えば、これがそのときだったのかもしれない。

 子どもの学習支援と自分の暮らしの見つめ直し

 学習内容と運営のし方はこうだ。一・二年生は野山へ出かけ、ヨモギや木イチゴ、カキ、クリ、アケビ、ムカゴなどをみつける学習。これらがある場所、採り方、おいしい食べ方、保存のし方などを学ぶ。「みつける応援団」の方に手紙を書いて、都合のつく方に誘い合ってきてもらい、いっしょに学習をする。


「ほら、木イチゴみつけた!」

フェンスにからまるツルからムカゴをとった。ムカゴご飯にして食べる

 同様にして、三年生はコンニャクづくりとその加工、四年生は梅干づくりとその秘密しらべ、五年生は干しタケノコをつくり、アイガモ・竹炭農法によるお米を使ってタケノコご飯づくり、六年生は郷土料理の鬼の手こぼし、お茶の作法などの伝統文化を調べて発信する学習を行なっていった。もちろん、誕生給食や祖父母ふれあい給食、バイキング給食、リクエスト給食をとおして、学習と日常の給食指導をつなげる試みも行なってきた。


研究発表会で開設された「みそこし食堂」

 一方その間、みそこし応援団の方たちも毎週のように会合をもち、自分たちの食文化について勉強し合ったそうだ。「『鬼の手こぼし』は上辺春が発祥と聞くが、どげんふうにはじまったのかしらべてみようか」「竹は何種類植えとったと? モウソウ、マダケ、ハチク、シラタケ、チンチク……。二月から六月まで順々にタケノコがでてくるようになっとるばい。これも昔の人の知恵やげな」と、自身の暮らしをみつめ直す作業を重ねていった。

 こうして、十月には学習の中間発表である「第二回みそこしサミット」が開かれ、十一月の研究発表会本番では、子どもたちの発表のほか、応援団による「みそこし食堂」を開店。二〇〇名にのぼる教員や栄養士、教育関係者をして「こげんぜいたくなものははじめて食べた」と言わしめた。

 ゲストティーチャーでは不十分

 石本先生は言う。
 「近ごろ学校では『人材活用』や『ゲストティーチャー』と称して地域の方に授業をしてもらう機会が増えましたが、学校からの依頼で地域の人がバラバラに来るだけでは不十分です」。

 学校と地域先生の個別的な関係だけでなく、地域の人たち自身のつながりをつくることに『応援団』の大きな意味合いがあるのだ。農協婦人部や生活改善グループなど、既存の地域グループはたくさん存在するが、「みそこし」のように学校と直結した形でつくられる「応援団組織」は、地域の人たちにとっても願ってもないものなのだ(カコミ記事参照)。


「みそこし食堂こしらえ処」。県、郡の発表会なので手袋、マスク着用。竹の器もすべて消毒した

コンニャクづくりの秘密に興味津々

 教育に民間活力の導入を

 石本先生は、「教育の民営化」を提唱する。民営化といっても、学校経営に株式会社の参入を認めるとかいう類のものではない。学校で背負い込みすぎたものを、地域の人たち主体で運営してもらえるよう部分的に事業委託していこう、という考えだ。

 たとえば、夏の校内キャンプ。さまざまな職種からなる地域の力が総動員されれば、飯盒炊飯やキャンプファイヤーなどは先生方の指導よりもはるかに充実したものとなるし、子どもたちの感動も大きいにちがいない。餅は餅屋なのだ。三〇頁の所沢市立上新井小学校の事例も、学校農園の管理を一部民営化したといえるだろう。

 学校が地域の人たちのために活動の場をお膳立てする「学校開放」の考え方を一歩すすめ、学校で背負い込んできた事業の一部を民間に委託し、これまで以上の教育的効果をあげる。民間活力の導入は、地域も学校もともに元気になる道なのだ。見方を変えれば、上辺春小学校は、「みそこし応援団」によって、一つ投げれば十返ってくるような、まことに頼もしい委託事業の受け皿をつくってしまったといえる。

 現在「みそこし応援団」は、町の「地域振興会議」の一員にもなり、学校と直結した地域おこしの実行部隊として、その活躍の場を広げている。

コンニャクイモを育てた
コンニャク加工はキウイの剪定枝で灰づくりから


中村和代さん。
「鬼の手こぼしできあがり!」

これからの地域が
いとおしくなりました

みそこし応援団 中村和代さん

 校長先生の話術にひっかかった

 何べんも何べんもチラシがきました。学校だよりや回覧版、地域への配布物のなかに、みそこし応援団募集の案内があって、なんやろか? と思いました。そのうち、近所でも噂になりだして、『なごーいかんけん、ほな、行ってみろうか』ということで、最初のみそこし会議に参加したんです。
 校長先生は『自分のやってきたことを子どもたちに教えてください』と言われました。『得意な分野はありませんか? 野菜づくり、料理、昔ながらの食べもの。何かありますか?』と言われて、鬼の手こぼし、タケノコご飯、弁財天コンニャク……と思い思いに言ってみると、『そう! それを教えてやってください』って。その気にさせられたというか、踊らされたんですね。動かざるをえんように話術でひっかかったようなもんです。

 外部の人に問われて気づく、暮らしの価値

 月に四〜五回集まって勉強会を開きました。石本先生や大学の先生、外部の人のいろんな話を聞いて、当たり前だった暮らしのなかによさがあったことに気づかされました。私たちだけで結成したのではムリ。問いかけられることで、それこそ川の中に石を投げたかのように、これならどうか、こんなのもあるが……と広がっていったんです。すると、子どもたちにそのよさをつないでいきたい、と思うようになりました。
 鬼の手こぼし、という料理があります。もち六にうるち四の米を水に漬けたあと、竹の皮で三角に包んでぐつぐつ煮ます。竹のアクがしみ込んで、味と香りがよくなり、保存も効きます。食べるときにゴマ塩をふりかけるのですが、辺春地域が発祥なんです。でも、いつどこで食べられはじめたかはぜんぜん知りませんでした。応援団で集まって『こうやったげな』『これはこうやげなばい』と『げなげな話』をしながら、文献で調べたりしていくうちに、西南の役で西郷さんが県境の山中集落に来たとき、腰にぶらさげたアク巻き(鹿児島のちまきで、もち米を炊くときに灰汁を入れて固め、竹の皮で包む)を落としたのを、誰かが拾ったのがはじまりだとわかりました。包み方が「鬼のこぶし」に似ていたから、鬼の手こぶし、鬼の手こぼし、となったのだと、名前の由来も知りました。

 学校からの呼びかけを待っている

 十一月の研究発表会では、ランチルームを使って『みそこし食堂』を開きました。地域の食堂です。松尾地区にしかできない弁財天コンニャクや、干しタケノコのおから漬け、塩漬け、酢漬け、フキやサトイモの煮付け、梅干しや青梅のシソ巻きなど、たくさんの梅料理。それはそれはいろんなものをつくりましたねー。器も竹を二つに割って手づくりしました。

 みそこし応援団をとおして、ふだん何気なく食べてきたものの価値に気づかされたんですね。それを孫の世代に伝えるという新しい役割をみつけて、これから先の地域がいとおしくなりましたよ。

 私たちみたいに、自分の子どもも成長して、孫も近くにいないような者は、用事がなければ学校に出向くことはありません。でも、自分も子どもも通った学校だから、気にはなってる。なにが手助けできるかわかりませんが、学校から呼びかけがあるのを待っているんです。


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