農文協  
  
食と農の学習の広場ルーラル電子図書館田舎の本屋さん
Ruralnet・農文協食農教育2003年3月号

食農教育 No.25 2003年3月号より
[特集] 「ふるさと学習」の4つの手法

聞き書き ……………………………………………………………………………
 

初取材をレポート!

 

森の「聞き書き甲子園」

 

奈良県立生駒高校 森下政明くん

 今年度、林野庁と文部科学省の主催で、「森の「聞き書き甲子園」」(フォックスファイアー・イン・ジャパン)が開かれた。全国100人の高校生が、各地で森にかかわる仕事を生業とした、「森の名手・名人」100人に聞き書き取材を行ない、その技や人となりを伝える催しだ。

 はじめての聞き書きを、高校生たちはどのように行なったのか? その実際を奈良県から参加した森下政明くん(17歳)にお聞きした。

ボーイスカウトでは見えなかったもの

 森下くんは、幼稚園の年長さんのころからボーイスカウトの活動を続けている。月に1〜2回ほど、近くの山でキャンプやハイキングを重ねてきた。しかし、10数年間続けてきて、いまいちピンとこなかったのが、「自然と一体化する」ということ。なんだか表面的なものしか見えてなかったような気がしていた。

 そんなとき、ボーイスカウトのリーダーでもあり、県の教育委員会に勤める瀧本高志さんから聞き書き甲子園の参加をすすめられ、2つ返事でOKしたという。そういえばボーイスカウトで山に行くと、木を切っている人の姿を見る。でもその木はどこにどう行って、たとえば住宅の柱になっているのか、まったく想像もつかない。木を切る人の暮らしとは? 木や自然にかかわる生活とはどういうものだろうか。 

アンケート調査とは違うんだな

 8月26日〜28日までの3日間、東京でみっちりと聞き書きの研修を受けた。森にかかわる仕事をしている人たちのビデオを見たり、作家の佐野眞一先生、阿川佐和子先生、塩野米松先生の講習を受けたり。聞き書きとはなかなか奥が深そうだが、やることといえば、聞いた話をそのまま書くこと。「簡単だろう」と思っていた。

 そんな考えが崩れたのが、実際の聞き書き練習だったという。4〜5人が1グループになって、1人が語り手、ほかの数人が聞き手になって実際に仲間の高校生について聞き書きする。森下くんは語り手になったのだが、これがなかなか話せないし、聞き出される感じでもない。つっこんだ話にならないのだ。どうも、みんなあらかじめ用意した質問表にとらわれちゃって、ふだん会話するようにすんなりと言葉がでない。聞き書きをアンケート調査のようにすすめたらうまくいかないな、と思った。

自分の関心から、相手の言葉が引き出される

片岡さんと森下くん
片岡さんと森下くん  

 さて、研修後森下くんが聞き書きする名手名人が事務局より発表された。奈良県の桜井市に住む片岡晃さんだ。片岡さんは吉野の杉や桧を切る製材職人であり、(株)片岡木材の経営者でもある方だ。

 1月にはじめての取材を行なった。図書館やインターネットで製材について調べ、研修での失敗を繰り返さないように、がっちりした質問表をつくるのではなく、まずは自分の関心を相手に伝えること、相手の話の腰をおらないように注意して取材に挑んだ。

 片岡さんは、幸いにも森下くんの聞き書きを全面的に応援してくれて、桜井の製材の歴史から、現在職人が育たなくなった理由、自身の生い立ちまで、いろいろな話を聞かせてくれた。

 森下くんが興味を抱いたのは、片岡さんがパプアニューギニアのラバウルに行った話。海外のことには興味があって、学校で行なっている、卒業時に3年生から古くなった体操着を集めてユニセフに送る活動にもかかわっているという森下くん。自身の関心を片岡さんにぶつけたら、海外にまつわる片岡さんとそのお父さんの不思議なめぐり合わせについて話を聞き出せた。

○片岡さんの話

▼ほんとの幸せって?
 私の親父も製材職人やったけど、戦時中は親父の働いていた製材所の機械までも徴用されたんよ。現地で宿舎を立てなあかんからやけども、そのときに機材だけ持って行っても仕方ないから職人として資材といっしょに親父も雇われていったわけやな。それがパプアニューギニアのラバウルというところやった。

 ところが、私も昭和49年にたまたま同じラバウルに行くことになったんや。桜井木協の森林調査で。というのはね、ちょうどオイルショックのあとで、日本に山林多しといえども無限にあるもんやないと思った。消費こそ美徳の時代や。あのときはほんと、日本の山はきっと枯渇するやろうと思ったよ。それで日本から資材持ち込んでいってむこうの山をただ同然で買い上げて、そのかわりこちらは学校や病院を建てるっていう計画をしたんやな。結局採算がぜんぜんあわんいうんでその話はなくなったけど、ああ親父もこんなところに行っとったんやなー、思たよ。

 またたいへんなところやったんやな、ラバウルいうとこは。とにかく貧しい国で、裸の大将がでてくるようなとこやさかい。機械もっていって裸の大将といっしょに木ぃ切って……。でも、その日その日がすごい楽しかったなー。彼らは自分たちの村やったら、そこの原野いうか、野にあるものを何でも採取して食べてもいいんよ。だから、金は1銭もいらへん。ほんまに「原始生活」やけど、顔に苦がないんやね。みんな助け合って生き生き暮らしとった。ほんとうの幸せってこれなのかなー、と思ったよ。

聞き込みたい話をしぼりこむ

 さて、1度目の取材ではテープの録音状態がとても悪く、テープおこしにたいへんな苦労がいった。やはり取材時に1度イヤホンで聞いてみて録音状況を確かめる作業をして取り掛かることは大事だ。そんなこともあって、次からは音質のいい録音用MDウォークマンを買ってのぞんだ。

桜井の木材市
  桜井の木材市

 12月の2度目の取材では、桜井の木材市場を見学させてもらう。森下くんにはまったく理解できない言葉が行きかうなか、片岡さんは木の切り口を見ていく。どこでどう取引きが成立しているのかわからず、その迫力に圧倒されるばかりだった。

 明けて1月。3回目の取材。当初は山の木がふだん目にする住宅になるまでに関心があったのだが、片岡さんの思い―山を守ることの大切さ―を受けて、主題を変更することにした。そこで、今度は本職の製材業についての話をしっかり聞き込み、自然を守るとはどういうことか? について聞こうと思った。


○片岡さんの話

▼木を見て木を挽く
 製材のまず1番最初の仕事は市場に行って木を買ってくることや。木口を見て、年輪に隠された木の歴史を読みとることからはじまる。何年前に枝打ちをしたかもわかるし、風でもめたあとを見れば台風や雪害がいつあったかまでわかる。100年くらいの木やったら昭和9年の室戸台風のあともしっかりでてるで。最近では平成10年の9号台風やな。

年輪に隠された歴史を読みとる……
  年輪に隠された歴史を読みとる……

 あの台風が、今の吉野材の欠点にもなってるんやけど、あれで何百億もの損害がでた。地面すれすれまで木がしなっとるのを私も見たよ。木は山の斜面に立ってて、いつもは下から吹き上げる風に耐えてるのに、山によっては上からドッーンと吹き降ろしてきた。それで、一発で倒れてしまった木はまだよかった。横風とかに耐えて残った木のほうは、繊維がズタズタに切れてしまったんやな。

 ところで、木には「あて」っちゅうもんがある。山の斜面に木が生えてるやろ。斜面の内側を「腹」、外側を「背中」っていうんやけど、斜面でも木はちゃんと天に向いてまっすぐ立っとる。ちょうど背中を曲げるようにして。木は背中の側に力を入れて、年輪に逆らうようにふんばってるんや。それを挽くとどうなるか。今度は反対側にギューと反りかえってしまうねん。乾いてくるほどに、「あて」のあるほうの繊維がちぢんで反り返る。

 それで、あの9号台風やねんけど、あのとき揺れたほうの繊維はみごとに切れた。せやけど、背中のほうは強いもんやからめったに切れん。だから、腹と横の2面は切れても、背中ともう一つの面は残ってたんや。それを探して生かしながら挽いていく。そういうのも、職人の技なわけやな。

――なるほどー。

▼生きた木と死んだ木
 ところが、今はそういう職人の技が発揮できないような世の中になってしもた。昔の家は、柱の上に「胴ぶち」いうもんを渡して、そこに新建材なりを張ったんやけど、今は「じか張り」いうて柱にじかにボードを入れる。そうすると木が生きとったら困るねん。温度や湿度が変わって柱が動くようでは壁が割れてしまう。だから、みな死んだ状態の木にせないかん。

 木が死ぬということは、水分を10%ぐらいにするということ。水分が17〜18%あれば木は生きとる。湿気でふくれたり縮んだりする。だから、人工乾燥で一気に10%以下にしてしまう。それを薄く切って張り合わせたのが集製材やねんけど、今の住宅のほとんどがそれやないかな。

 木を生かすにしても、今は人工乾燥で17〜18%に落とす。でも、放っておけばさらに乾こうとして、木の性によっては表面が割れてしまうんよ。

 それで、どうすると思う? シュリンクいうて、ビニールでぐるぐる巻きに包んでしまうんや。ちょうどパック売りの食品みたいなもの。すると乾かないから割れも出ずに、木も呼吸しなくなる。そうして木を殺さずに手早く製品をつくるのが今のやり方やな。

 昔は家を建てるにしても、1年くらいかけて工事しながら、木の悪い性を抜いていったもんや。それが今は3ヵ月とかやからね。すべて自然に逆らったやり方になってしまう。

 そうするともう、木を生かす技術なんてもんは必要なくなる。図面を見る頭さえあればできるわけやね。
 

▼自然を守るということは?
――じゃあ、逆に製材屋さんが技を発揮しやすい状態っていうのはどういうときなんですか。

 そうやな、理想を言えばみんなが近山の木をつかって在来工法で家を建てるようになることかなー。山が近かったら下草刈りとか枝打ちとか、しっかり手入れもするようになるやろし。手入れされた木を挽くと美しいもんよ。そこまでいかんでも、県内産を使えば、建てたあとも安心できる。

 昔の大工さんが手塩にかけてカンナで削ってたころは、大工さんもやっぱり木を生かそうと努力して製材所の意見を取り入れていた。施主さん、つまり注文主がいても、半分以上は製材所側に目が向いていた。ところが、今は大工さんなり工務店さんは90%は施主さんに目が向いて製材所には後ろ向きになってしもうとる。

 いろんな要素がからみあってこうなったんやけど、やっぱり施主さんも大工さんも製材所に目を向ける、つまり山の木1本いっぽんに目を向けなあかん。山林業はどんどん衰退していくし、そうでないと自然を守っていくことはできんと痛切に感じとるよ。

教科書にはない生の勉強

身振り手振りで語っていただいた
身振り手振りで語っていただいた  

 話を聞いた森下くん。ふつうの1枚板よりも集製材のほうが強いものだと思っていたから、「生きた木と死んだ木」の話には驚いたという。

 なんでも、小学校高学年の3年間、図工の時間にはいつも、木でつくった舟やプロペラなどのおもちゃをつくっていたという。丘の上に学校があり、その下に材木屋があった。先生が陶芸を専門としていてたものだから、クズの木材をもらってきては、糸鋸や小さな帯鋸も使いながら自由につくらせてもらっていたという。そんな経験から、ふつうの1枚板よりも張り合わせの集製材のほうが踏んでも割れにくいし、強いものだと思っていた。

 しかし、片岡さんの話してくれた木材とは、たんなる建築部材ではなく、生きものとしての木。芯をもった1本の木を山に立っていたのと同じような状態で立たせると、木は本当に力を発揮してくれる。横揺れの地震にたいして、生きた木と死んだ木ではぜんぜん強度が違うのだという。「教科書には載っていない生の勉強」。取材をとおして、森下くんのなかで木や自然にたいしての認識は確実に深まっていることだろう。

(文責・編集部)
 

● 「森の「聞き書き甲子園」公開フォーラム」
・日時 平成15年3月21日(祝日)
・場所 日本青年館(新宿区)
 http://www.rinya.maff.go.jp/kouhousitu/kousien/kousien-posuta.html

 


もどる